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179.夢がないときもあります


歯医者へ。右の奥歯の治療なのに、よりによって右のくちびるのはじっこ(下唇と上唇の境目のとこ)にヘルペスができていて、治療で口を開けるたびに傷口はひらくわ、先生が器具でどうしてもそこを引っ張らざるを得ないので激痛だわで、とんだ地獄だった。

大人なのでそんなに大騒ぎしないぞう。と心には決めていても、胸の上にある手はぐぐぐと真っ白になるくらい握りこぶしをにぎりこんでいて、ベッドの上に投げ出された足も痛すぎてキュイーンと足指がまるまってしまう。おまけに、先生の器具が傷に触れるたびに「うぐっ」とうめいてしまうという(笑)。
どう考えてもやりづらい患者だ。「うん、今日はやめようか!」と先生も爽やかにおっしゃった。「どうしてもそこ当たっちゃうもんね。ハハハ」と。うう、その英断、もっと早くても良かったですう....。

とずきずきする傷口をおさえながら思ってたら「あ、左の歯から治療すれば良かったね!」って、コラー。もう、ほんと、痛かったなあ。


おいしいものを食べることが好きなひとが「1日に3回も、幸せを感じる機会があってうれしい」というようなことを言っていた。わたしはおいしいものがよくわからないので、その言葉自体に賛成というよりは、そういう幸せについての感性・感度っていいな、と思った記憶がある。

わたしは、好きなマンガがあって、その物語が続いていて、数ヶ月にいっぺん続きの巻が発売されて、それを楽しみにその日まで生きる。そしてその日がやってきて、読んで幸せな気持ちになる。ということは、たいへんすてきなことだと思っている。

なんでそんなこと言ってるかっていうと、あるクライアントさんから「夢がない」「全力で生きたいのに、いのちを燃やすものがわからない」という言葉を聞いて、それが引っかかっているからだと思う。

夢。夢かあ、と。
いのちを燃やす、かあ、と。

それは、もちろんそういうものがあったら良いだろう。羽生結弦がどこまでも自身の表現を高みを目指している姿は美しいし、わたしが好きなBTSだって、果てのない夢を追いかける男の子たちだと思う。いきいきと自分の才能とスキルを生かして、進むべき道を歩んでいるひとたちはかっこいい。

でもさ、とも思う。

夢、ないときだってあるよ。
全力でいのちを燃やす、という言葉ってたしかに強烈で美しくってひとを魅了するけれど、なんかその言葉だけがふわふわとした幻のようにわたしには聞こえる。

そのふわふわとした幻を、もしほんとうに自分のその手につかんでみたいと思ったら。その幻を、実態のあるカタチとして自分の人生の中で実感したいと思ったら、その途方もない夢のような風景と、今自分の目の前にある実感とを、つなげていかないといけないんじゃないかな。

つまり、夢を生きる。とか、自分のいのちを燃やして全身全霊で生きる。という抽象度の高さに辿りつくためには、

「いまの自分の目の前にはなにもなく、自分は空っぽです」

ではなくって、それこそ本気で「三度三度のごはんの時間が、本気で楽しみ!」だったり、「数ヶ月に一回刊行される好きなマンガを読めるこの瞬間が、死ぬほど楽しい!」とか、そういう目の前にある、いま触ることのできる”歓びの歌”を、ちゃんと自分が歌えているかどうかがけっこう大事なことなんじゃないかと思うのです。

その、一見するとちっぽけで「しょせん、日常に埋もれちゃうようなさまつなことだよ」とか「単なるひまつぶしでしょ」って言いたくなるようなことが、そのひとつひとつが、はしごのようにつながっていった先に、自分だけの

「夢を追いかける感覚」とか「全力で生きる感覚」というものがあるような気がするのだ。

その、夢や全力の対象物って、ただ探しているだけでは絶対に見つからないんだけれど、自分の中にある「好きだ」「待ち遠しい」「なぜか胸がふるえる」という、その”微細な感覚”というものを、ちゃんと日々の中でていねいに見てあげて育てていって、その感覚をどんどん研ぎ澄ませていったその先に、

ああ、これが自分にとって、自分の存在をかけるに値するものなんだ!


という確信が生まれるような気がするんだよね。やりたかったことは、演劇でした。とか講師でした。とか実業家でした。とか、そういうわかりやすい結論ではなくて。


うーん、字数を費やした割にはうまく伝えられないな。うまく書けない。まだまだだな。

だってわたしがこの世でいちばん「このひとの文章が最高にアツいぜ」って思う女性の物書きの方って、なんとエロゲフリークの方ですからね。死ぬほどおもしろい、誰にも真似できない最高の文章力で、ありとあらゆるジャンルのR18ゲーム(男性向け、女性向け問わず)をやり込んで、寸暇を惜しむ勢いですべてのゲームのレビューを超〜マニアックに書きまくってる女性ですもの(ここでご紹介するのはさすがに俺もちょっと恥ずかしいからやめとくね?あるのよ、なけなしの羞恥心がさあ)。

それってすごいことだと思うのです。でも、かなりの時間とお金を投じてとにかくアダルトゲームをやり込み続ける人生って、なかなか「夢を生きてる」とか「いのちを燃やしてる」って思いにくそうじゃない?笑

どうしても、その言葉の美しさがひとり歩きして、そのイメージに引っ張られた概念に当てはまる”なにか”を探してしまいそうじゃない?

でも、そうじゃないと思うんだよね。と言いたいのだけど、もうこれ以上の語彙がないのであきらめる。でもまたいつか書いてみる。

つまり、夢を生きるって、みんなが羽生結弦になることでもないし、みんなが表に見えるすてきな何者かになることとは、根本的に違うっていうふうに、わたしは思ってる。



ライティング・ライフ・プロジェクト、第4期は満席となりました。関心を寄せてくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。
第5期は、また来月にメルマガにて募集いたします。*






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