見出し画像

111.満ちる / リアクション・モード


わあ。今日はすてきな1日だった!とても印象的な日だった。特になにも起こっていないのだけど、いま1日の終わりにこうしてキーボードをたたきながらそう感じた。なにかいいものが満ちていたような、そんな日だった。

エポックとしてはとうとう我が家に食洗機がやってきた!ヤアヤアヤア!な日なんだけど、それとは関係なく。

午前中はずっと設置工事だったので、うしろでガチャガチャとなるDIYっぽい音を聴きながらしずかに仕事をしていた。仕事以外で今日、ふと思って決めたことは「リアクション・モードで過ごそう」ということだった。

リアクション・モード。って聞いたことあるひとはいるだろうか。ロバート・シャインフェルドさんという自己啓発系の作家の方の提唱する在り方というか、ライフスタイルで、朝起きてから、こんな感じ。


何かをやる気になったり、インスピレーションがわいてきたりするまで待ちます。そして、「何か」が送り込まれてきたら、それに反応します。インスピレーションがわき、やりたくなったことをやるのです。一日中、その連続です。夜になったらベッドに入り、朝になったら起きて、同じことをします。

『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』/ ロバート・シャインフェルド著


午前中は工事のひとがいたので、思いの他仕事がはかどった。ひとがいると集中できるんだな。それで、その後はリアクション・モードだ、と思ってじっとしていた。じっとしていたらふと「絵が描きたいな」という気持ちになった。

そういえばわたしは昔、絵を描くのが好きで、得意で、そうだな、クラスで3番目くらいにうまい子っているでしょう?休み時間になると「あのマンガの絵を描いて〜」って言われたりするような。そんなことがよくあった。でももう、絵なんて何年も描いていないので、いざ「描きたいな」と思っても、なにをどうしていいのかさっぱりわからなくなっていた。

さっぱりわからなくなっていたので、思わず「絵 初心者 なにから」とかで検索してしまうほど(なんかすっごいダメな感じがしますw)。いろんなひとが、いろんなことをアドバイスしてくれていたのだけれど、わたしが気に入ったのは、

では、フリーハンドでまずは「円」を描いてみましょう。

という提案だった。どうしよう、せっかく絵が描きたくなったわけだし、スケッチブックと絵具とか探して引っ張り出してくる?それとも、コピー用紙にボールペンで好きなマンガでも描くか?としばしフリーズしていたので、「円!ナイス!」と思って飛びついた。

そして、たくさんの円を紙に描いていった。大きい円、ちいさい円、重ねてみたり、つなげてみたり、幾何学っぽくしてみたり、濃くしたり薄くしたり、いろんな円を描いた。描いているうちに、なんともいいようのない感情が湧き上がってきた。

なにこれ!なんか!楽しい!ぞー!

みたいな(笑)。すごくきれいにくるりと丸く描けるときもあれば、いびつになるときもあって、どれもただの円なのに、見ているとかわいく見えてくる。顔もにっこりしていたと思う。そんな感じで、しばらく円を描く、というリアクション・モードを楽しんだ。

筋トレもやった。筋トレは、実はこれまでにいろんな筋トレをやってみたのだけれど、その動き自体に喜びが見出せない(辛いとかではなく、その動きに音楽的だったり、旋回するような流れがないと感じる)ので、いつも長続きせず断念していた。唯一かなり長い間やり続けることができた”チベット体操”だったので、また回帰した。

チベット体操は、いきなり旋回からはじまる特異な体操なのだけど、その5種類のポーズと動きの中に”身体が喜ぶ感じ””身体がその動きを肯定している感じ”というのがあって、わたしにとってはやっていて無理を感じない、唯一のもの。

ヨガと筋トレと修行を足して3で割って、ちょっと神秘的なエッセンスを注入したあいのこみたいな感じなのだ、チベット体操って。

さらに、いまはおやすみしているんだけれど、コロナ前までは定期的に受けていたボーカルレッスンの課題曲だった『いのちの記憶』を弾き語りしたい!という気持ちになったので、よたよたと慣れないコードを押さえながら、歌っていた。

歌ったときに、あ、わたしの歌が変わった、と思った。

べつにうまくもなんともないんだけど、この「note100日チャレンジ前」と「note100日チャレンジ後」のわたしがちょっと違うので、それが歌にも出るんだなー!と思いながら、歌っていた。

そんなふうに、今日は流れにのって川を進む小さな小舟に乗っているような感じで、ゆらゆらと過ごしていた。さて、そんなふうに今日わたしはいったいなにをしていたのかと考えたとき、

感情やこころを、なにかにのせて表現する、ということのバリエーションを、いっぱい見つけたのかもしれない、と思った。

これまでは、わたしがなにか自分という存在を表現にのせるとしたら、そのツール(道具)は「ことば」「文章」しかあり得ない、と思っていた。それしかできないと思っていたし、あまりにも使いやすいし、使い慣れていた分だけ固執していたのかもしれない。

でも今日、たくさんの円を楽しく描いて(ドキドキお絵かき体験、と呼ぶことにする。とても久しぶりだったので)、ピアノを弾きながら今までとはちょっと違う感覚でのびのびと歌ったとき、「絵も、歌も、ピアノも、同じなんだ」と強く感じた。

もっと強く感じたのは、ああ、わたしたち人間というものは、きっと生まれたときから死ぬまでずっとずっと「自分を表現する」ということが本当にすきな生き物なんだ、ということだった。

Niziプロジェクトで、絵を描いてパフォーマンスをしたマヤちゃんに対するJYParkさんの言葉が印象に残ってる。


絵が上手に描けるかは、音楽と同じで
自分が伝えたい感情が
その絵を通じて現れていたら、それがうまく描けたということです。


そういうことをしているとき、わたしたちはすごく満たされるんだな。

単に、絵を描くのが楽しいとかすきとか、ピアノを弾くのが得意だとか、そういう面でももちろん満足できる。でも「ああ」っていう深く満ちる感じって、絵に、歌に、ことばに、ダンスに、料理に、写真に、走りに、まばたきに、ただ一本の線をひくというただそれだけのことに、”自分の感情”、”自分の内側にある心象風景”みたいなものが「乗った」と感じるとき、なにか言葉にはできない、もちろん数値にも評価にもできない、なにものにも変えがたい

「自分が世界に満ちる」/ 「世界に自分が満ちる」

ということが起こるのだ。そこに深い喜びがあるってことがわかって、とても嬉しい今日だった。


ライティング・ライフ・プロジェクト第3期、8月スタートします(現行価格は第3期までとします)。詳細はすこしおまちください。先行案内はメルマガにて行います!










文章を書いて生きていくと決めました。サポートはとっても嬉しいです。皆さまに支えられています。あと、直接お礼のメッセージを送らせていただいておりますm(_ _)m