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0982.「なんだかんだ自分って、親に愛されていたんだな」という実感が持てるかどうか


日曜日。
ではあるものの、朝6時に目が覚めたのでそのまま起きることにする。ハチ(旦那さん)も早起きしていて、今日はコーチをしている母校ハンドボール部の公式戦なので、引率があるという。
豆を切らしているので、粉でドリップしたコーヒーを入れて、洗濯機を回す。

ハチはそうそうに出かけてしまった。残った子どもたち(この子たちも7時には起きる)に「朝ごはん食べにデニーズでも行く?」と聞いたらふたりとも歓声をあげたので、お散歩がてら近所のデニーズへ。

いつも、うたちゃん(中3娘)は塾かミュージカル、かんくん(小6息子)は野球で忙しく、休日の朝といえどもほとんどみんなが揃わない。こんな日は久しぶり。「なんだか旅行みたいだね」とみんなでウキウキしながらモーニングのメニューを広げて楽しんだ。
去年は年末に家族で温泉にも行けたけど、年明けとともにいよいよ高校受験も本番を迎えるし、うたちゃん本人も「とにかくどこにも出かけずに勉強したい」ということで、家族旅行は春まで延期することにしたのだった。

なので、たかだかファミレスのモーニングですごく喜んでいる子どもたちを見て、わたしも幸せな気分に。家から、みんなで、離れる、ってすごく大事なことだよね。

それでも9時には解散して、かんくんはおにぎりを持って野球の試合へ、うたちゃんとわたしは「なんとなく志望校にしてもいいかも」という某都立高校まで行ってみて、雰囲気だけでも味わっておこうという主旨で、ふだんは行かないエリアまで足を運んだりした。

電車に乗って彼女と出かけるのは久しぶり。もうすぐ15歳の彼女の足のサイズは24.5でわたしよりも大きくて、身長もいよいよ抜かれるか……というくらいになってきた。いつのまにこんなに大きくなっちゃったんだろうな?
ついこないだ産んだ気がするんだけど?
と、並んで歩くかわいい盛りの中学生を見ていた。

そういえば、下の弟が生まれたときに決めたことが、「月に一度はうたちゃんの日にしようね」ということだった。うたちゃんは2歳半で「お姉ちゃん」という立場になり、その日からはこれまで独占していたママからの関心や抱っこやおひざというものすべてが、突然現れた新しい赤ちゃんのものになる、という経験をすることになった。

わかりやすく赤ちゃん返りという現象はあったと思う。わたしも、0歳児と2歳児を両腕に抱えて途方にくれて、よく3人全員で泣いて過ごした夜があったのを覚えている(ハチが帰宅してギョッとしていた)。
だれからも幸せに見られていたけれども、だれも幸せじゃなかった日々だった。ウィンウィンという言葉があるけれど、あの日々はまさしくLose-Lose-Lose-Loseだった。

その中で、わたしとうたちゃんの約束ごとが「月に一度のうたちゃんの日」というもの。

毎月どこか1日だけ、わたしはうたちゃんだけのママになる。
その日だけは、かんくんを優先しないで、うたちゃんをいつでもいちばん優先する。そしてできれば、ふたりでお出かけして(といっても2、3歳とかだから近所の公園くらいだが)、うたちゃんが行きたいほうに進んで、うたちゃんがやりたいことをやって、ずっとずっとうたちゃんとママが一緒にいる日だよ。

そんな約束をして、わりと長い間その日はわたしたちにとってとても大切な日になっていた。まあ、ふたりが大きくなって一緒に遊ぶようになってからは、そんな制度もいつのまにか自然に消えてしまったわけだけど。

今日、彼女とずっと一緒に過ごしながら、そういえばそんなことやってたなあ、となつかしく思い出した。

わたしはまあまあ昔から、占いとかカウンセリングみたいな仕事をしていたせいか、ひとの心の中にある苦しみを垣間見るということがあって、やっぱり根深いのは「親子関係」なんだな、というのは経験から肌で感じることだった。
特に、長女という立場の女性が持つ葛藤、中でも、弟や兄などの男兄弟を持つ長女、の葛藤というものを色濃く感じていて、そこには「母親は、わたしよりいつでも弟(もしくは兄)をかわいがっていた」という苦しみが、なんというか通低音のように鳴り響いているような気がしたのだと思う。

姉と弟、という構造にうたちゃんとかんくんがなったときに、わたしなりになんとか「ママはたしかに弟をかわいがっていたと思う。けれども、わたしだってちゃんとママに愛されていたもんね」という、思考じゃなくって心の感触のようなものが、彼女の中に残っていてほしい、と願っての、そんな約束ごとだったんじゃないかな。

吉本ばななさんが、子育てについて「正解ってわからないですけど」と前置きして、「大人になったときに、”いろいろあったけど、なんだかんだ言いつつ自分って、親に愛されていたんだな”という実感が持てていれば、それが正解じゃないでしょうか」と語っていたのをおぼえている。

そうか、わたしは親に、こんなにも愛されていたのか。

という気づきがあるだけで、過去の真っ黒だったオセロの目が、一気にばたばたと真っ白にひっくり返っていく、というようなことは、だれしもにあるものだから。

まあそんなふうに子育てができたかどうかがわかるのは、もっとうんと先の話なのだけど。



2022年9月スタートのライティング・ライフ・プロジェクト第12期生、満席となりました。ありがとうございました。



<世界観と表現>ビジネスコーチング、9月期は満席となりました。



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