0615.まっとうな意見を言うことのできる人は稀
まずは楽しむのが先、とかとりあえず遊べ、とかばかり言いたくなっている。というかそんなひまがあったら遊びたいと思う。そんな自分に驚いている。
なにかヒントを探しているとき、ネットやSNSを見回してみても余計に迷ったりもっと悪い場合は他人と自分を比較するマインドゲームにはまってしまって落ち込んだりしてしまう。こういってはなんだけれど、漫然とキーワードを検索するよりは、「このひとだ。このひとは明らかに自分より自由で、軽くて、冴えている」と思えるひとの文章や思想に触れたほうがいいと思う。
ネットの海には明らかに自分より不自由で、重苦しく、自分でもなにをいっているのかわかっていないのでは?と思うようなひとたちの世迷言であふれているので 笑(言い方w)、読んでも落ち込むかむなしくなるばかりだ。
読んだあとに落ち込んだりむなしくなるものは全部にせものだ。
本物には次元と時空と人智を超えたエッセンスが(比率は色々ではあるが)浸透しているので、読んだあとは必ず、体感があるはずだ。
軽くなり、呼吸が深くなり、目の前の視野が広く明るくなり、そして「よし」と動きたくなるようなフィジカルな作用があれば最高だ。コンテンツの内容で「超〜共感〜」みたいにわかりやすくなくていい。
わかりやすいものの中にも「そのままでいい」とか「あなたは悪くない」とかありがちなことを書いているくせに、読み手の力を奪うものがある。マウンティングをなぜひとがやるのか、なぜそれをみんなが嫌がるかというと、単にマウントしてくるそいつがウザいというのもあるが、「何もかもわかっているわたし」というポジションに自分を置くことで相対的に分離と階層を生み出し、相手に無力感を与えるからだ。
相手が無力感を感じれば感じるほど、マウントしているひとはパワーを感じるし、エネルギーを奪うことができる。
わたしは松村先生の文章を読んでいるとき、意味がわからない内容であっても自分の内側に力がみなぎってくるのを感じる。彼は最新の著書の中で夢から情報を得るということの有用性について語っているのだが、こんなふうにつづく。
そんなわけで、”真っ当な意見を言うことのできる人は稀”なのだから、とにかく「このひとはホンモノ」と心の底から思えるひとの本だけをたまにぱらぱら見る程度で、ほんとうにそんな程度のインプットでいいんじゃないかな、と思ったそんな夜でした。
完全に文字数オーバーしてますけど、マツキヨ先生の引用のせいなのでギリギリセーフとします。明日はみなさんおやすみかな。
まずは楽しいことを先にして、たくさん遊んでくださいね。あんにょーん!
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