見出し画像

空気について

 ここのところ、空気について考えている。物質としての、窒素と酸素となんやらかでできている空気について考えている。
 そんな、考えても何もならないような事を、理由もなくふっと考える時がある。

 空気は、モノだから、ちゃんと質量もある。重力にひっぱられてるから、地面近くが一番たくさんある、つまり空気が濃い。
 その空気が一番濃いところで、私たちは生活している。苦しくなく、普通に色んなことができる。(病気とかになるとまた違うけれど)
 ほんの、3000とか5000メートルとかの山に登るだけで空気は薄くなる。きつい運動で息が切れる。エベレストは8000メートル。
 空気、というか大気がほとんどなくなるのは100キロメートルくらいらしい。それでも、それ以上の高さでも、完全に空気がなくなるわけではなくて、グラデーションみたいに宇宙にふわ~って漂っているんだろうな、と想像する。

 人間や動物や植物、魚も、菌もウイルスも、空気が一番濃い地上仕様に作られているんだよね。もしその条件が変わったら、あっけなく、なくなったりするんだよね。空気の温度が今より上がるか下がるか、空気の中身が変わるとか…大気汚染とか放射能汚染もそうなるか。ここのところのウイルス感染…
 少しずつ適応していく部分もあるかとは思うけれど、そうでなければ滅びる危険性。絶滅。そんなに特別な事でもない気がしてきた。

 ようするに、私たちの生きられる条件は、ものすごく限られている。
 今吸ってる空気があって、飲める水があって、生きていけるくらいの気温で、もちろんそこに食べ物は必要で、人間ははだかんぼだから服も着なくちゃダメだし、雨露しのげるお家も必要だし。
 人間なんてみんなそんな頼りない存在なのに、なんでわざわざドンパチやるんだか。今生きていることだって、当たり前じゃないのに。明日、いや今この瞬間だってどうなるかわからないような存在なのに。もっと、謙虚になって、やさしくならなければなあ、と反省する今日この頃であった。

 ところで、今、わたしが吸ってる空気は、動いていく。空気は常に動いていて、今部屋の中にあった空気は窓を開ければ外に流れていって、風になってどこまでもいく。私が吸って出した空気は、どこへ行くかな。誰かが吸うかもな。北朝鮮にだって行くかもな。コロナで、換気換気と言われて、改めて空気の事も考えた。      見えない空気。私も誰かが吐いた空気を吸っている。世界中、みんながお互いに吐いた空気を吸っているんじゃないかな。
 誰かが吸って吐いた空気には、その人の一部が混じって吐き出され、その粒子は遠くどこまでも流れていって、やがてまた誰かの一部になっていく。そんなイメージを思い浮かべてみる。

 テレパシーとか、以心伝心とかって、もしかして、実際に誰かの吐いた空気を吸って感じたりする可能性もないかな、と思う。
 それは、多分、人種とか国籍とか全く関係なく、もしかすると、人間とか動物とかウイルスとかとも感じあったりするのかもしれない。
 感染、って言葉が毎日毎日繰り返された日々をなんとか生きてきたことは、新しい伝達方法を、生き物すべてが書き換えている途中なのかもしれない。
 目に見えないものの存在を感じないわけにいかなかったこの3年は、今まで使っていなかった自分の、機能とか部分を、再認識するきっかけになったように感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?