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パパのオレ、オレになる?! 第13話

第13話 旅人

翌日から俺は、早速旅の計画と準備を始めた。

行き先はどうしよう。どこに行こう。アメリカにはまた行きたい。行ったことのないところにも行ってみたい。…ロンドンも気になるけどちょっと違う。インドは価値観を変えるというけど、お腹を壊す想像しかできない。あれこれ考えても全然思い浮かばないし、スマホであれこれ見てもいまいちぴんと来ない。

こういう時は大きな本屋だ!翔太を送った後に家の掃除を終わらせ、新宿の紀伊国屋書店に行き、るるぶやマップルなどの旅行案内本や、現地の人の在住記、現地の自然や建築物について詳しく書かれた本のタイトルをまずは一通り眺めた。

すると、「世界一美しく・住みやすい街パースの女性旅ガイド」というタイトルが気になった。世界一美しいこともさることながら、住みやすいというワードに心がひかれた。絶対に独身の時には気にならなかった言葉だ。今の俺には、翔太に誇れる仕事をするという仕事も重要だが、根底では翔太や理沙と一緒に生活をするということも、切っても切れない条件として存在している。

しかも、女性旅ができるなら、男一人の俺は余裕でできるだろうと思い、本を手に取った。すると、「異なる文化が共生する多様性にあふれた街」、「ニューヨークのセントラルパークより大きなキングスパーク」、「インド洋沿いの美しいビーチ」、さまざまな歴史的な建造物など、という言葉が写真とともに紹介され、言葉になっていないけれど、俺の求めている何かがここにある気がして、目的地はパースに決めた。

その本とオーストラリア全体の旅行ガイドも購入し、人で溢れる新宿でもわりと席の取りやすい、近くのセガフレードでクリーミーな泡をこんもりのったカプチーノとともに眺めた。

キングス・パーク公園、世界遺産のフリーマントル刑務所、西オーストラリア州最大の砂丘ランセリン砂丘、不思議な形の岩が乱立するナンバン国立公園、ウエーブ・ロックやコアラやカンガルーなどの動物。写真を見ながら、早く行きたくてたまらなくなってきた。

朝まで、行きたいところが何もない、どこにもピンと来ない、と思っていたのが嘘のようだ。

それから、オーストラリアの旅行ガイドもパラパラとめくる。なぜだろう。オペラハウスには全然興味がわかない。グレートバリアリーフにもそんなに心が動かない。唯一、ウルル(エアーズロック)は行ってみたいと思ったけれど、どうしてパース以外にはそんなに興味がわかないんだ?

せっかくバックパックで一人旅をするなら動き回るのは自由なはずなのに、どうしたものかと思案していると、ああ!と合点がいった。「住みやすい街」に惹かれたように、今回の旅のテーマは「暮らす」だからだ。無意識に求めていたことに、やっと意識が追い付いて理解ができた。

そうなったら話は早い。スマホを取り出し、パース往復の航空券をネットで探す。スカイスキャナーで最安チケットを探す。大体12万円か。宿が大部屋形式のホステルで一泊4500円前後。まあまあかかるけれど、仕方がない。安宿がこの値段なら食事や物価も高そうな気がする。

会社を辞めたし、子どももいるのにこんなに一人で出費をして何やってるんだと思うものの、こういう時は踏ん切りが大事だ。自分への投資だと思って出すしかない。投資しなければリターンもない、と言い訳のようなことを言って自分を納得させる。

そこからは日々、理沙やお義母さんとの調整を進めた。

お義母さんの滞在期間が10月28日から11月11日までで2週間。でもこの2週間は目安で、最終的にいつ退院になるかは直前にならないと分からないらしい。退院が早まることはほとんどないらしいけど、1日、2日は早まっても大丈夫なように、ということも考慮して、俺は10月29日に出発をして、11月8日に帰国をすることになった。

出発当日の朝は理沙と共に起き、理沙の出社までの時間を一緒に過ごした。理沙は、朝食を会社に着いてから食べるので、俺は準備をする理沙について回る形になった。

「いよいよだね~」
「うん。久々の海外、ちょっと緊張するわ〜。俺、行っていいのかな。」
「まだ言う?突然会社を辞めておいてよく言うよ。」
そういわれてしまうと、合わせる顔がない。
「どうせ行くなら、充実した旅にしてきてよね。」
「理沙には感謝しかないわ。」
「ほんと、よくできた奥さんだよね。」
と理沙が自分で言って自分で笑う。

「じゃあ、行ってくるね。アツトも行ってらっしゃい。無事に帰ってきてね。」
「ありがとう。無事に帰ってくるわ。」

玄関でハグとキスをして、理沙を見送った。
それから俺も準備をして、寝ている翔太の頭をなでて、心の中で「翔太、行ってくるな。」と呟いた。そして、起きてくれたお義母さんに挨拶をして家を出た。バックパックなんて何年ぶりだろう?

理沙は普通に会社に行くのに、俺は妻と子供を残して旅に出る。罪悪感のような重荷は成田に着くころには前向きな気持ちに変わっていた。

成田空港には8:30に到着した。チェックインカウンターで荷物を預けた後、保安検査を通って、出国審査だ。海外は新婚旅行以来で、ちょっと緊張する。

搭乗ゲート前の座席の広い椅子に座って旅行記などを読んでいると、ついに搭乗のアナウンスが聞こえてきた。理沙に「行ってくるね」と連絡をしてトランジット空港であるクアラルンプール行の飛行機に乗り込んだ。

飛行機はゆっくりと滑走路を動き始め、エンジンの俺の心と共にエンジンの音も徐々に高まり、機体が滑走路を離れる瞬間を迎えた。ついに出発だ!

久しぶりの機内食にワクワクしたり、映画を見て過ごしているうちに、だんだんと日本を離れていくことを受け入れているのを感じる。日本時間14:12か。理沙はまだ仕事をしているし、翔太も保育園だ。そう考えると、家族は日常を過ごしていて自分だけこんなところにいるのは…と一瞬思ったけれど、だからこそ得るものをしっかり得てくるんだと、自分の選択を信じることにした。

そして、クアラルンプール空港に到着すると、エキゾチックな香りが漂うフードコート、華やかな免税店のディスプレイ、旅行者たちのざわめきが耳に入り、自分の中に長いこと影を潜めていた冒険心が目を覚まし始めるのを感じた。

約3時間のトランジットは空港内を歩き回っているとあっという間に過ぎ、今度はいよいよ電光掲示板にパースと表示されたゲートを通って、機内へと向かった。

パースへは深夜2時過ぎに到着した。入国審査を無事に通過し、到着ロビーに出ると静まり返った空港に独り立つ自分を実感した。Wi-Fiにつなぎ、理沙に「無事到着!」とだけ連絡した。もっとワクワクするかと思っていたけれど、今はそれより夜の静けさと、長時間のフライトによる身体の重さの方が勝っている。事前に予約をしておいた空港内の仮眠スペース「Sleeping Pods」に向かい、何も考える間もなく眠りに入った。

朝になり、まずキングスパークに向かった。空港から電車とバスで移動し、購入したガイドブックで紹介されていたベストビューのスポットに向かった。目前には芝生の緑が広がり、その向こうには海の青と空の青が混じり合い、市街地のビル群も景色の大事な一部となっている。

地球の自然の中を感じながら、都市で最先端の文化をもって、本音で暮らす生き方。

いつの間にか持つようになっていた、俺の中のパースの象徴のようなイメージが目前に広がっていた。ガイドブックの写真を一目見たときから、今回の旅はこの景色から始めると決めていた。

それからは毎日、五感がフル稼働する日々だった。

ウルフレーンという路地には、建物の壁一面に色とりどりの幾何学模様や、真っ白に立体を感じるアートがあり、街とアートの融合のダイナミックさに驚嘆した。

歩いていたら風に乗って聴こえてきたベル・タワーの鐘の音は澄んでいて、深みのある低音と高音が調和し、景色とも共鳴するような響きだった。音根に導かれるようにタワーに向かいエレベーターで上に上ると、さわやかな青空とともに大きなヤシの木や緑豊かな公園が眼下に広がり、それを巨大なビル群が囲むという、文字通り都市と自然が共存している姿を空から一望できた。

アボリジニの音楽やダンスの体験では、ドリームタイムの物語やトラディショナルな打楽器やブーメランの音色に耳を傾けながら、別世界に引き込まれたような感覚を覚えた。

ある日はカンガルー、ワラビー、ウォンバット、コアラの本のすぐそばまで行って彼らの匂いを感じたり、餌をあげたり、太くてしっかりとした毛に触ったり抱っこをしたりと、人間以外の生き物の存在を体感したりもした。

世界遺産に登録されているフリーマントル刑務所の帰りに立ち寄った「モジョーズ」では、隣のテーブルに座っていた地元のご夫婦に話しかけられ、ビーチで夕陽を眺めることを薦められた。

夕刻になって海岸線に腰を下ろし、日が沈む様子を見つめると、オレンジ色に染まる空と海の美しさに、時間を忘れて魅了された。

自分は何を得ているのか、この日々をどう活かしていくのかと日を追うごとに不安な気持ちも生まれた。だけど、そう思ったときは「理沙や翔太、お義母さんが応援してくれたからこそ、ここにいる。」と自分に言い聞かせ、目で・音で・味で・皮膚で・香りで、パースの大地や人や動物たちが自分にくれる全てを余すことなく受け取ろうと、思い切り今この瞬間に目を向けるように切り替えた。

そしてついに、帰国の途に就く時が来た。

帰りの機内で、俺はこの旅で何を得たのだろうと考えた。

自然や動物とのふれあい、人とのあたたかなコミュニケーション、感動的な景色、アートという表現方法、歴史の重み、自然と都市が融合した環境での暮らし。

「何を得たのか」と考えると気が重くなるけれど、とにかく俺は夫でも父親でも、会社員でもなく、秋山篤人というひとりの人として豊かな時間を過ごしたことは間違いなかった。

「ただいま!成田着いたよ」
朝7時頃に成田に着き、荷物の受け取り待ちをしながら理沙に連絡をした。土曜日だったので、翔太の好きな成田エクスプレスに乗って迎えに来てくれるという話も出たけど、朝5時に翔太をたたき起こして成田に連れていくのはちょっと大変だということで、家で待っていてもらうことにした。

それでも駅までふたりとも迎えに来てくれて、ホームから階段を降りて改札の向こうに翔太と理沙を見つけたときには嬉しくて嬉しくて、手を振りながらこぼれんばかりの笑顔が溢れた。目の前に来た10日ぶりに会う翔太は、より一層しっかりとしたお兄ちゃんになった気がする。

「パパー!おかえりー!」
「おかえり。」
翔太は満面の笑みで、理沙は少しほっとしたような顔で俺にお帰りを言ってくれる。

翔太を抱き上げ、「ただいま翔太!」と頬ずりをする。「理沙、ただいま。」俺より少し背の低い理沙に目線をあわせながら伝える。
二人の顔を見れる喜びとともに、俺の居場所に帰ってきたという安堵感でいっぱいになった。

家までの帰り道は、翔太が今朝食べたという、おばあちゃんの作ってくれた目玉焼きの話とか、そういうたわいもない話をひたすら聞いた。いつも以上に、翔太が俺に一生懸命に話す話を聞けるのが楽しくて幸せに思えた。

帰るとお義母さんがお昼ご飯にカレイの煮つけを用意してくれていて、これには感動した。

1週間以上もこちらの都合で翔太のお世話をお願いして、仕事もせずに旅に出てしまった俺に、「日本に帰ってきたら醤油が恋しくなるって聞くじゃない?今の人は違うかもしれないけど、残ったら晩御飯に食べればいいかなと思って。」と、言ってくれた時には、なんて素晴らしいお義母さんなんだと心から思った。

その日の夕飯は、お義母さんの作ってくれた、肉じゃがをメインに、ひじきの煮物、ほうれん草のお浸し、ハムとコーンの入ったマカロニサラダなど、副菜も含めた色とりどりの和食がテーブルに並んだ。自分たちではメインばかりで、めったに作ることのない数々の和食に舌鼓をうちながら、俺がパースで経験したこと、思ったこと、感じたことをいろいろと話した。

公園でもフレンドリーに話しかけてくれた人と、つたない英語ででも身振り手振りで会話を楽しめたこと、レストランの店員さんとはオーダーの際には毎回一言は話したこと、そもそも見知らぬ人とでも笑顔で挨拶をすることが当たり前なこと、自然が身近にある豊かさ。

人とのふれあい、新しい体験、壮大な景色、異なる文化、動物たち、大自然のエネルギー。こう、なんていうか…一人でいるのに一人じゃないと感じられる。精神的な広がりを感じられるような…。

まだ、仕事にどうつなげたらいいかは分からないけれど、自分の欲しかった感覚を得られた嬉しさや、久しぶりに日本語で思いの丈を話せる喜びもあって、疲れとお酒もあいまって、俺はとにかく自分の思ったことをべらべらと語り続けた。

理沙もお義母さんも最初は興味津々で聞いてくれていたけれど、いつの間にかみんなで翔太の寝かしつけに行っていた。

翌日は日曜日ということもあってみんなで一日自宅でゆっくりと過ごし、その次の日は一日お義母さんのおしゃべりに付き合った。そして水曜日、ちょうど2週間目がお父さんのリハビリ病院への転院日となり、俺も病院に行って荷物持ちを手伝った。リハビリ病院は、理沙の実家の近くにしたということで、お義母さんもそのまま帰宅することになった。

お義父さんは、お義母さんから俺のことを聞いていたようだったけど、「お父さんに、お父さんの時と時代は違うんだから!と、釘を刺しておいたから!」と事前にお義母さんに言われた通り、お義父さんから何かを言われることはなくて、ちょっとほっとした。だけど、気を使わせていることには申し訳なくもなった。

オーストラリアへの旅も終え、お義母さんも自宅に戻り、俺は本格的に転職活動を始めることにした。

そうはいっても、オーストラリアに行って体験したり感じたことはたくさんあるのに、まだまだ言葉になっていないことがたくさんあった。だから、これをどう仕事につなげたらいいのか分からなくて、奈緒さんのカウンセリングの予約を最短で取った。帰国から数日後の金曜の11時だった。


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