パパのオレ、オレになる?! 第4話
第4話 風向き
家に向かう途中のコンビニでいいから、たっぷりの生クリームが贅沢に使われたスイーツでも買って帰りたかった。俺は、落ち込んだ気持ちを回復させたかった。
だけど早く帰る方が優先か…と考えて、どこにも寄らずにげんなりしながら家に向かう。帰りついたのは、最寄り駅を通り過ぎてから約35分後だった。
「ただいまー」
「おかえりー」
「パパ、りー!」
開けられたままのリビングの扉の向こうから、翔太が駆け寄ってきてくれるのが目に入る。そのまま抱き上げたいけど、特にコロナ禍以降は手を洗ってからでないと理沙から指摘されてしまう。手を洗ったところで、結局菌が服についていれば一緒だと俺は思うけど、そういうことではないらしい。
翔太はお気に入りのトリケラトプスのぬいぐるみを振り回しながら、手を洗うのを待っていてくれている。理沙の好みで、統一されているベージュ色のタオルで手をふくと、翔太の両脇の下に手を入れ、グッと力を入れて抱き上げた。その瞬間が最高に好きだ。心から可愛い。
翔太がほっぺたをペチペチと叩いてくる。「翔太、いたいよ~!」なんて言うけど、翔太の手がほほに触れる度に湧き上がる嬉しさの方が何十倍も大きい。「パパ、あっち!」と、翔太がリビングの方向を指さす。これは、さっきまで遊んでいたおもちゃのある子供部屋に連れて行けということだ。
「おかえりー。お疲れ様」
乾燥機から出てきたホカホカでふわふわの洗濯物をたたみながら理沙が言う。
「ほんと疲れた…」
「ご飯あるよ。」
「ありがとう、食べる。」
「翔太、どうする?パパの膝の上にくる?遊ぶ?」
「しょー、リンゴたえる。」
「ごめん、それはダメだ。じゃあ、ちょっとだけパパと遊ぶか。」
抱き上げたままの翔太を高い高いして、キャッキャという笑い声を聞くと全ての疲れが飛んでいく。ついでに唇をブルブルブルブル~とかして笑わせたりもする。翔太は童心に帰らせてくれる。
誰に笑われる心配もなく変な顔をして、おなかを抱えて一緒に笑う。ただそれだけのことが本当に幸せだ。
肩車をして、翔太を喜ばせたいと足をしっかり持って、ビュン!としゃがんだら「パパたって」と言われた。キャーキャー言われながら立ったら今度は「すある」と言われる。翔太の指示通りにスクワットを7,8回やったら足腰が安定せずヨロヨロし始めた。さすがにこれはヤバいと翔太に許しを乞うた。
「もう1回」と言われてもう一回はやったものの、鳴りやまない「もう1回」コールにはこれ以上応えられず、床に膝をつき頭を低く下げて翔太を床に下した。「パパのる」と無邪気に言われるけど、身体がついてこない。「ごめん、パパもう疲れた。」と本気で降参した。
動いたらおなかが鳴り出した。翔太にご飯を食べていいかと聞き、OKが出たというか、むりやりOKをもらった。翔太を抱っこして一緒にキッチンに向かい、ラップのかけられた食事をレンジで温めた。
ピーッ、ピーッ。翔太を下におろし、お皿まで熱くなったオムライスを取り出して、テーブルに移動させる。スプーンがいるな~と思い、食器棚からスプーンを持ってくるついでに、冷蔵庫から麦茶とケチャップ、サラダも取り出す。
「これ、今日のサラダだよね?」「そうそう!それも食べて。」と高くなった洗濯物の山の向こうから理沙が答える。
翔太は狭いダイニングテーブルの下でブツブツと何かを言いながらミニカーを走らせている。
洗濯物をたたみ終わった理沙がダイニングテーブルの向かいにきて椅子に座り、
「今日、どうしたの?」と聞いてきた。
「猫が…」と言う勇気はなく「取引先の定例で担当課長の毒気にやられたのと、好き勝手ないことを言う部長面談に疲れたって感じ?ボーっとしてたら目の前でドアが閉まったんだよ」と言うと、「ふーん。そういうの珍しいよね。」と言われた。
たしかに乗り越しなんて、お酒を飲んだときに過去1回あっただけだ。
俺は、きっと俺が思う以上に疲れているんだ。
「週末の予定って、なんかあったっけ?」
理沙に聞くと「スーパー銭湯でも行く?」と返事が返ってきた。
こういうとき、言ってもいないのに俺の求めていることをズバリと当ててくる理沙は、エスパーではないかと思うことがある。
「うん。行きたい。晩御飯も食べて帰る感じでいいよね?」
「うん、それでいいんじゃない?」
週末は仕事のことなどすっかり忘れて、理沙と翔太との家族時間を満喫した。土日だけは俺も料理をする。土曜の夜はスーパー銭湯の湯上がり処で蕎麦を食べたけど、日曜の昼は焼きそば、夜は肉じゃがを作った。
最初は出産前後で動けなかった理沙のためにと始めた料理だったけど、喜んでくれると単純にうれしい。さらに、作るのに慣れた今は、自分が食べたい味をイメージして、それに近づけるにはどうしたらいいか?と実験している感じも楽しい。理沙にはひかれたけど、それで美味しい料理が食べられるんだからいいと思う。
日曜の夜には、月曜の夜に理沙が料理をしなくていいように、多めに作ることも覚えた。我ながら良くやっていると思う。
楽しい週末が過ぎ、また平日の朝がやってきた。
月曜の朝は翔太の機嫌が異常に悪く、これまでになく手こずった。一か月ぶりくらいにバナナを床にバンッと投げられ、ギャンギャン泣かれて着替えも大変だったし、玄関先までも引きずるようにして連れて行った。理沙が夜のうちに荷物を用意して、通園バッグを玄関に置いておいてくれたことに今日ほど感謝したことはない。
靴を履かせるのも、泣きわめきながら足をバタバタして俺は白旗をあげた。仕方がないので靴はビニール袋に入れて、ベビーカーのフックにかけた。ベビーカーに乗るのも泣き叫んで嫌がり、今日は無理だ、と諦めて翔太を担いで徒歩10分の保育園までの道のりを歩いた。雨が降ってなくて本当に良かった…。
保育園に着く頃には号泣からグズグズくらいになっていたけど、先生の顔が見えると再び号泣し始めた。それを見た先生は「翔太君、お父さんと一緒にいたいのね。先生でごめんね」と言いながら、タコの吸盤のように張り付いた翔太を俺から引きはがした。胸が痛むけど、仕方がない…。
いつもは先生と一緒に笑顔で見送りのバイバイをしてくれるけど、今日は先生も翔太をあやすのに一生懸命で、早々に「お父さん、大丈夫ですので、あとは任せてくださいね。いってらっしゃい」と言われた。俺も、翔太には絶対に聞こえていないのを分かりつつ「翔太、行ってくるな」と言い、先生に会釈をして園を出た。
疲れた、と思いつつ、さっきまでの翔太の重さがなくなった分、駅まで徒歩5分の道のりは身軽だった。
電車に乗って理沙に「今日は朝から大変だった。バナナ床に捨てられたし、号泣で抱っこで登園した。片づけきれてないごめん」と業務連絡をした。
メッセージを送信し終わって、無意識に一仕事終えたと思ったのか、思わず心の中でため息をついた。早く気持ちを楽にしたくて、イヤホンをして、毎朝のルーティンにしているゲームのアイコンをタップした。
今日は朝から大変で、一日どうなるかと思ったけど、仕事は意外と穏やかで特に何の問題もなく定時を迎えた。とくに理沙からの連絡はないけど、なるべく早く帰ろうと思った。といっても、普通に帰るだけだけど。「帰るよ」と連絡を入れると、すぐにOKのスタンプが返ってきた。俺が定時で帰れるときは、翔太のお風呂は俺が入れることになっているので、理沙はこの時間の着信にはすぐに気づくように着信音を最大にしてくれているらしい。
家に帰ると翔太の機嫌は直っていて、玄関先まで笑顔で迎えに来てくれた。翔太と一緒にネジで泳ぐアヒルで遊びながら楽しく風呂に入り、夕飯に昨日と同じ肉じゃがを食べ、寝る前にひとしきりミニカー遊びをし、今日も幸せな一日が終わった。
*
ときどき翔太が癇癪を起したり、仕事でもトラブルが起きたりはするけど、最近はわりと穏やかな日が多い。
ただ、最近、『受け取り合戦ゲーム』を始めて、会議が面白くてたまらなくなってきた。最初に動画を見たのが七夕頃だったから、始めてからもう3、4週間が経つだろうか。
キッカケは、会議中に課長の長い話をボーっと聞いているときだった。ふと、猫の言っていた『人の思いを受け取る』話を思い出し、暇つぶしに誰かが発言をしたときに、その発言に対する誰かの受け答えを気にしてみたのだ。
すると、プロジェクトに誰をアサインするか、という話題ひとつでも「なるほど、こういう否定の仕方があるのか」とか、「すり替えた!」とか、「この人は意外と人の気持ちを考慮して発言しているな」とかが、前よりも分かるようになってきた。
今までもうっすらとは気づいていた。だけど、どうしてその発言でモヤモヤした気持ちになるのかなんて分からなかった。だけど、脳内で『受け取り合戦ゲーム』をはじめてからは、その謎のベールが剝がされて、理由が分かるようになってきた。
そうすると会議すら面白くなり、人の話し方とかに興味がわいてきた。
はじめは誰かと誰かの会話を気にするだけだったけど、徐々に、自分自身の受け答えでも「否定してしまった!」とか「すり替えちゃったなぁ」と気づくようになった。気づくごとに、相手の反応の違いにも意識が向くようになり、言葉の大切さを実感する。
それとまだ時々だけど、何かを言われたときに、今までだったらパッと「否定」の反応をしそうになるところをグッとこらえて、相手の言うことを「受け止める」こともできるようになってきた。
そうすると、ものすごく嬉しさがこみあげてきて、心の中で自分に「グッジョブ!」を送ってしまう。思わず笑顔になる自分が気持ち悪くないかと心配になるけど、今のところ誰にも指摘されたことがなくて安心する。
『受け取り合戦』プレイヤーである俺のレベルは、間違いなく上がっていると思う。
周囲がそれに気づいているのか気づいていないのかは分からないが、トイレで手を洗っているときに後輩の湯山に「秋山さん、最近何かいいことがありました?」と聞かれて、何も思い浮かばなかったので「いや、何もないよ」と普通に答えたが、湯山は「そうですか…お疲れ様です」とスッと立ち去った。
あとからハッ!と、「湯山にとっては、内容ではなく、会話を拒否するものとして受け取ったかもしれない」という可能性に気づいた。
さすがにこれは俺に非はないだろうとも思ったけど、こういう質問と答えみたいな会話はどうすればいいんだ?と疑問に思った。すぐに忘れていたけど、その翌日に自販機の前でばったり会った塩見からも「何かいいことあった?」と、同じことを聞かれた。
そんなに俺にいいことがあったように見えるのか?、と疑問がわいたけど、違う返答をしたらどうなるか実験だと思い、「いいことあったように見えるのか。」と、なるべく塩見の発言を受け止めたことが伝わるように言ってみた。すると、「おー、そうだな。楽しそうに見える。」と返事が返ってきた。
相手の性格や関係性の違いもあるかもしれないけど、明らかに湯山とは違う反応が返ってきた。今まで同期とはいえ、同じフロアでたまに姿を見かけるだけの関係だった塩見からこの反応が返ってきたことに俺は驚いたけど、悪い気はしなかった。
周りから俺は楽しそうに見えてるのか!という発見も面白かった。
思わず「ありがとな!」と返事をすると、塩見が「俺ももう少し気分良くなりたいよ」と言ってきた。その言い方から、塩見が仕事か何かに疲れているのを受け取った気がして「そうだよなー。まあ、今度飯でもいこうぜ」と、気分の良くなっていた俺は思わず言ってしまった。自分でも驚いた。
今まで、というか、とくに忙しいときの俺だったら「そんなの、関係ない俺に言ってくるなよ」くらいに思っただろう。
「おー、頼むわ」という塩見の返事も意外だった。
席に戻ってメールを見ると、課長から面談依頼のメールが来ていた。なんだろう。嫌な予感しかしない。一気に気持ちが暗くなる。俺のスケジューラーには明日8/1金曜日の16-17時で「面談」というタイトルの予定が入ったポップアップが出ていて、会議室も併記されていた。
「承知しました。よろしくお願いします」
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いったい何なんだ。
1組でも多くの幸せ夫婦を増やすために大切に使わせていただきます。ありがとうございます。