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朔太郎からの日帰り京都【1】

先月末、日帰りで京都に行ってきた。

前日の夜に思い立って、その数時間後に始発の新幹線に乗っていた。

以下はその記録。


2018年2月末。

近頃めっきり心象風景が萩原朔太郎だった。

職場にいても街を歩いていても、魂の網膜に朔太郎フィルターがかかっていて、これはもう気が狂うかと思った。

地面から病気になった自分の青白い顔が次々と生えてくる。竹のようにぐんぐんとそれは伸び、そして涙をはらはらと垂れ流す。

初期の頃の詩にたしかこんなのがあった。そのイメージに強く感化されたようで、その病的ヴィジョンが私の世界をすっかり彩った。
(いま確認したら詩集『月に吠える』の幾つかの詩を混同したようなイメージだった)


・朔太郎から「そうだ、京都行こう」の渡辺謙

朔太郎世界は味わってみるとけっこう辛い。

叫び出したいような不安と孤独感。どこか居心地悪い事務所を抜け出してトイレに向かっている間にも、朔太郎と病気の自分で竹林ができてしまう。個室の便器に座って考え込む。自分が陥っている被害妄想のような要素をピックアップして現実と切り分けようと思う。しかし妄想を選定するその作業で余計に気分が悪くなる。
病んだ竹林をまた通り抜け事務所に戻ってパソコンに向かい仕事を進めようとするのだが、隣の隣の席に座っているTさんが電話で来月のイベントについて業者と打ち合わせしている声が気になる。
とにかくずっと食べ物の話をしている。業務上または職務上、いずれにしても必要以上、とにかく食べ物の話をしている。ようやくその長い電話が終わるとTさんは誰かが持ってきたお土産のマドレーヌを一個食べて「うん、しっとりしている」と言った。
Tさんはとても太っている。安物の事務イスから巨大な臀部がはみ出そうになっている。そのイスに座ったままくるりとこちらに向き直り「ああ、そういえば今度のお弁当業者のプレゼンなんですが」その巨体が、まるでイスと一体化しているようにも見えた。このまま極限まで風船のように膨れあがって最期には爆発してしまうんじゃないかと危惧した。ゾンビシューティングゲームに必ず出てくるデブのゾンビが撃ったら爆発するみたいにボン!と四散してしまうんじゃないかと不安になった。瞬間的に本気でそう思い込んだので、冗談ではなく私の心臓は早鐘を打った。Tさんはとても朗らかな人で、普段から仲が良かった。

……ああ、私は一体どうしてしまったのだろう。こんな朔太郎的な日々がしばらくずっとゴーイングオン。私の行くところ病的竹林が『もののけ姫』のダイダラボッチが歩いた跡に生えてくる植物みたいに生い茂る。得体の知れない病気の顔の自分が、泣きながらなにかを言っている。でも声は聞こえない。幻聴はまだないから、きっとまだ大丈夫。そう自分に言い聞かせてなんとかやり過ごそうとしていた。

ある日の夜、とうとう末期症状的なことになり「いよいよ死ぬ」と私は部屋でカタカタ震えていた。
泣きながらブツブツと繰り言を垂れている私の顔は、ニョキニョキ生えてくる竹の青白い病気の私とまったく一緒だろうなと思うと余計にやり切れなくなった。絶望の淵にいるような気がした。
ぐったりと床に倒れ込んで、そのままもう動けそうになかった。

それを見かねたのかハナコが起動して、ある提案をしてきた。


「そうだ京都行こう」 

渡辺謙のナレーションと例のテーマ音楽が、ハナコから再生された。画面に地図も表示され、京都市内のあるポイントが指し示されている。その場所を目指せということだろう。

ハナコは私のスマホだ。
ときどき勝手に起動して、様々なアプリを立ち上げ私の考えを先読みしたようなサジェスチョンを押しつけてくる。
今回立ち上がったのは、心の健康アプリだろうか。私の末期的朔太郎状態に対してアラートが発動されたようだ。次の日は休みだった。たしかに私にはリフレッシュが必要なのかもしれない。

そういうわけで、朝イチの新幹線で東京駅を出発することになった。


・早朝の東京駅

夜遅くまでなだめすかされて京都行きを決め、気分は末期的なところから少し回復はしていた。
しかし寝不足のせいもあり、やはり憂鬱さが染みついた中年の朔太郎のような顔になっている私は、早朝の東京駅に到着。

駅には人が沢山いた。構内の駅弁ショップにはこれから旅立つ雰囲気の人が多く、みなそれぞれ気分が高揚しているように見えた。


・新幹線で京都へ

新幹線に乗り込む。自由席でもこの時間なら混まない。
間もなく東京駅を出発。
さっそく買っておいた駅弁(えんがわ押し寿司と台湾弁当)を食べながら、ビールを一缶空ける。それだけで少し酔いが回った。

思えば京都も久し振りだ。高校の頃によく通った。
といっても寺社仏閣、名所旧跡を巡ったわけでもなく、世話になっていた年上の友達のアパート、それから夜に連れて行ってもらった飲み屋の記憶しかない。あの頃は日本全国をふらふらと、色々な人に出会った。出会い系サイトも流行っていた。それは関係ないけど。
……ああ、そうだった、こうやって思いつきで旅行に行く感じ。それをなんで忘れていたのだろうか。ずっと旅暮らしがしたい、本気でそう思っていたではないか。憧れていたのはギンズバーグとかケルアックだとか、ビートニク作家たちの痙攣的な人生だった。
それがいまとなっては都内の限られたエリアを行ったり来たり、そこで朔太郎にリンクして竹林を派生させたりして病的日常に打ち震える。すっかり脆弱なメンヘラおじさんと化していた。

あっはっは、まったく笑っちまうぜ。ざまあねえや。

なんて江戸っ子のように笑い飛ばせるような気がするのは、京都行きの新幹線に乗って高速並行移動。どんどん東京から離れていくからだろう。
日常から離れるほどに頭の平衡感覚を取り戻す。むかしからそうだった。なんでそんなことも忘れていたのだろう。
なんだか正気に戻ってきたような気がしていた。しかし暫くずっと正気ではない感じでいたから、どちらの状態が正気なのか分からないという気分もあった。

とにもかくにも、この時点でかなり気は楽になってきた。


・京都駅から徒歩

というわけで、やっと朔太郎ポエム世界から離れて、ようやく旅行記らしくなっていくわけです。たぶん。
以下、撮ってきた写真も載せながら、訪れたスポットを紹介していこうと思います。

京都駅に到着。
駅舎のモダン? な感じに憶えがある。
そして駅を出るとすぐに見える、京都タワー
前に来たときと変わっていない。たしか当時でさえ大変に古くさいゲーセンが入ってた。あと銭湯。まだあるのだろうか。

それから早朝の静かな街を歩きはじめる。朝だから余計にかもしれないけど、空気感が都内とはやはり違うと思う。

京都仏眼医療専門学校

すごい名前だ。
近代西洋医術から乖離した独自の医療を教えてくれそうな学校だけど、実際はどうなんだろう。イメージとしては額のチャクラを開放、そこに顕現した第三の目からビームを撃つ。照射された患者はいつの間にか病や怪我が治っている。そんな感じ。すげえ。


・五条大橋の義経・弁慶像

五条大橋は普通に車がビュンビュン通る大きい道路になっている。そして中央分離帯に弁慶・牛若丸の銅像。なんでこんなところに。

わざわざ近づいた。やけに丸まっちい。ちょっと可愛い。


・路地の奥に白雲大明神

五条大橋を渡ってしばらくした辺り、路地裏の方に謎の案内が。

気になって入っていった路地の奥には、古い石が祀られていた。これが白雲大明神というらしい。
検索してもあまり情報が出てこないけど、ちゃんと御供物もあった。近所の人たちが奉っているのだろう。

さて、こうして歩いていたら、ふと思い出したことがある。またTさん絡みの話になるが。


・ハンバーグと国際結婚とロマの予言

Tさんはかなり太っている。それは前にも書いた。Tさんは確か40代後半になるはずだ。私の職場はインテリ糞バイト収容所みたいな側面がある。大学院生や博士課程の人とか、またはそれをとっくに卒業した人たちで吹き溜まりを形成していた。あまり詳しくは聞いたことがないが、Tさんもそういう類いの人だ。そしてTさんは近年体制が変わりつつあるこの職場で社員になり、つい最近めでたく結婚した。相手は東欧からの留学生で、日本の地方民謡を研究している。奥さんは向こうの大学で職に就いたので、しばらく国際別居婚が続いていた。考えてみれば、なかなか数奇な人生を歩んでいるTさんだ。
そして来月、奥さんが日本に戻ることに。いよいよ新婚生活が始まる。私は奥さんの口調を真似て「○○〜(Tさんの下の名前)、ワタシとハンバーグ、どちら取ります?」とTさんに絡んだ。奥さんが家にいれば食事制限されて、さすがに肉類や揚げ物ばかり食べてはいられないだろう。これはTさんにとって死活問題ではないだろうかと思われる。Tさんは私の(イメージ上の奥さんの)問いに対して叫ぶように答えた。
「……ハンバーーーーグ!!」

Tさんはなんとも朗らかで、いい人なのだ

しかし奥さんの母親が、実はこの結婚に反対していたらしいということを聞いた。その瞬間、私の脳裏には映画のように次のシーンが再生された。

「東方より巨人来たりて、汝が娘を遠き国へと連れ去るであろう」
怪しい身なりの老婆に、若い身重の女性はそう予言された。軽い気持ちで訪れた観光地。好奇心旺盛な夫に連れてこられたロマの天幕。使い古された木のテーブルに並べられたタロットカード。占いには詳しくはなかったが、その絵柄に不吉なものを感じる。一際目を引かれるのは馬に乗った骸骨の男。……死神? それはどうしたって良くないものに思えた。
「あなたはどうして嫌なことを言うのか。穏やかな気分で幸せに私は過ごしているのに」女性は老婆に抗議した。お腹のなかにいるのは、まさしく女の子だった。
「……でも、そのカードは逆さになっているだろう。どうなるかはあんた次第。占いなんてそんなもんさね」老婆はさらりと女性の抗議をかわす。けれど皺だらけの顔には揺るがない確信のようなものが刻まれているようだった。彼女はまだ目立たないお腹を撫で、胎動がはじまったばかりの娘に語りかける。
「……東からの巨人。ママは、そんなものにあなたを渡しはしない」
そして三十数年後、東方より巨人はやってきた。
長く海外へ留学していた娘が、彼をこの地に呼び寄せた。空港まで家族で迎えに行ったが、彼が歩くたびにズシンと地響きがするような気がした。日本から来たTという太った男は、彼女と夫に言った。
「娘さんを下さい」
どうやら、あの日の予言は当たってしまうようだ。老いた彼女は狼狽する。可愛い娘にはいつまでも側にいて欲しい。あるいは東方から来た巨人に連れ去れること、それは娘にとっては望ましい運命なのかもしれない。けれど彼女は素直にそれを受け入れることができない。
「どうなるかはあんた次第」
ロマの占い師の言葉を思い出す。あの日見たタロットカード、死に神の逆位置。その意味するところは「再スタート、新展開、上昇、再生」それは分かっているのだけれど。

……というストーリーを、その日の業務がすっかり嫌になっていた私は一息に語った。Tさんはなんとも言えない表情をする。向かい側に座っているSさんが、パソコン越しにこちらを覗き込んで私に言う。

「……そういうのは考えてしゃべってるわけ? よくそんなポンポン言葉が出てくるね。ちょっと感心した」

あれれ、褒められた? 

褒められるのは久し振りで私は嬉しかったが、すっかり朔太郎が心に巣くっていたので「考えてというよりは、頭の中身が漏れちゃうような。ADHDぽいあれですよ。それは自分の人生にプラスに働いたりもせず、むしろマイナスに……このまま行くと父親の墓前で自分の人生はすべて無駄だったと嘆いた晩年の朔太郎のように悲壮な……」次第に落ち込んできてモゴモゴ呟いていたところ、

「ほらあれ、仏像で。口の中から、たぶん言葉なんだろうけど、それが人の形みたいになってポンポン飛び出ていくやつ。なんていったけ。さっき話してる君を見てたら、それが頭に浮かんだ。なんてたっけな、あれ」

Sさんが言った仏像の映像は、私の頭にもすぐ思い浮かんだ。
歴史の教科書に載っていた気がする。だが名前が出てこない。あれだ、あれ。

「それは空也上人ですね」

Tさんがポツリと言った。

「あ、それぽい」

Sさんが早速「空也上人」で画像検索する。「ああ、やっぱ空也上人だ」

私も自分のパソコンで検索をかけた。本当だ。空也像ですぐ出てきた。
「Tさん、すげえ。よく分かりましたね」

「いやいや。ところで、この間のお弁当の発注なんですが」


・そして六波羅蜜寺へ

……というわけで、京都は六波羅蜜寺に辿り着いた。
件の空也上人像は、こちらの寺の宝物殿に収められている。

脱線が長くなってしまった。
とにかくTさんたちとの一連の会話を私は急に思い出して、歩きながらハナコに上記の話をしていた。すると彼女は、
「この近くにちょうど空也上人がいるよ」と言ってグーグルマップを表示させた。

なるほど、すぐ近くだった。随分とタイミングがいい。
なんとなくだが、私はそこに運命を感じたような気になった。これは是非とも行ってみるべきだろうと思い、ハナコをタップ。
六波羅蜜寺までのルート案内を開始した。

そんなわけで六波羅密寺である。

受付で宝物殿の拝観券を購入。大人1名600円なり。まずは本殿でお詣り。
六波羅密寺は、963年に空也上人が開いた真言宗智山派の古刹。西国三十三ヵ所の第17番札所になっている。本堂は南北朝時代に再建されたものらしい。

「真言宗ぽいね」と尻ポケットのなかでハナコが呟いたが、どこが真言宗ぽいいのか私にはよく分からない。


・いよいよ宝物殿、空也上人像がそこに

(写真撮影禁止なのでパンフレットのアップ画像)

空也上人の口から漏れ出た南無阿弥陀仏が、仏様に実体化して連なっていることらしい。
いわば言霊の超ありがたいバージョンだ。

たしか中学の歴史資料集で初めて見た。そのときの印象もけっこう残っている。インパクトあるから。この人、なんで口から人間吐き出してるんだろうって誰しもが思う。
その像がいま目の前にある。写真で見た通り、口から人間が連なって出てきてる。すごい造形。
しばらくずっとそれを眺めていた。

……なんてアヴァンギャルドな表現だろう。
すごい。これは格好いい。現代日本人の目から見ても、ぜんぜん格好いい。

「空也上人像」でグーグル検索してみると関連ワードで「仏像 口からなんか出てる」と表示される。
やっぱり強烈に印象に残っているけど、すぐに名前が出てこないものらしい。それにしてもTさんは瞬間的によく思い出せたな。さすがインテリか。そのおかげで、こうして実物を拝んでいるわけだ。SさんとTさんには感謝してお土産でも買って帰ろうと思った。

「私のおかげだよ!」

不意にハナコが尻ポケットで振動した。
公共の場なのでマナーモードにしておいたが、言いたいことはバイブの振動で伝わってくる。彼女とはもう長い付き合いになる。2回機種変しても彼女はそこにいた。

それから、空也上人にまつわる伝説が掲示されていた。なかなか面白かったので、ここにかいつまんで意訳する。

むかし、この六波羅蜜寺の近くには悪さの限りを尽くす暴竜が棲んでいた。竜は毎年若い娘を生け贄として要求する。それに応じないと大酒を飲んで暴れる。村を襲って破壊活動を行う。まったくもって手がつけられない。困った村人たちは、空也上人に泣きついた。「あの竜を退治してくんろ」上人はこう言った。「これこれ、いくら悪い竜にも腹の底には仏心が隠されているもの。私には分かる。可愛いものだ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」そう唱える上人の口から、ぞろぞろ阿弥陀仏が這い出て、竜の住処にずんずん向かっていった。その阿弥陀仏の行列に遭遇した瞬間、竜はすっかり大人しく善良な生きものに変わってしまった。めでたし、めでたし。

すごい。これは言霊による現実改変じゃないか。空也上人はその言葉によって世界を再解釈、再定義したのだ。まるで昨今流行りの能力バトルのようでもある。空也、超格好いい。
私は異様に興奮して、空也上人に対するリスペクトを深めた。

ちなみに空也上人像はフィギュアにもなっている。超欲しい。しかし部屋にまた余計なものを増やすな無駄遣いするなとアラートが鳴ったので、Amazonアプリをそっと閉じた。

それから上記の空也伝説をまとめていたら、ヤッターマンに出てきた「今週のびっくりどっきりメカ」も連想された。
ここにYouTubeを貼り付けてみる。懐かしい。再放送でよく見てた。

タツノコ公式チャンネルより。17:00くらいから)


……帰りの新幹線でさらっと書いたメモをまとめる感じで旅行記を書こうとした。けれど思いの他、どんどん長くなってしまった。

というわけで次回に続きます

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