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bye bye

スケッチ15日目。何となく始まったスケッチシリーズもついに折り返し地点。これを習慣にしてからというもの、朝の倦怠感はなくなり、スケッチの時間確保のために家事などの雑用を以前よりもテキパキと行うようになった。記録をつけるためのnoteもだらだら考えずに、何を書くか、今日はどんな気持ちだったかなど作曲の時と同様、ガーッと頭を回して勢いで書き進める。荒削りの部分は後でいくらでも修正が効くので、ひとまずその時にしか拾えない音を忘れないように打ち込む。

公園で遊んでいた時に16時だか17時だかになると、穏やかに鳴り始める帰りの音楽が頭をよぎった。子供だった当時、ピアノは弾いていたけれどシンセサイザーの音に馴染みがなかったせいか何の音かわからず不思議に思い、その音に対する関心は強く残っていた。それがここに行き着くのかあ……おっと、勝手に感慨深くなってしまった。

bye bye 2022.10.18

夕焼けや家庭のあたたかみを感じるような色を使いたくなった。本にも書いてあった。とにかく手を動かせと。今日の画は描きたいものというより、使いたい色に手が反応して、具体像を考えていた思考を塗りつぶすように描いていた。具体像描いたってしょうがないだろ、お前がやりたいのはこっちだろうと誘導されているようだった。物は語りかけてこないけれど、手は自分の意志でありながら自分の意志でない何かのような時がある。かといって神聖さはない。ここに座っているのは紛れもなく自分自身。

今日まで制作した曲を続けて聴いてみた。最初の方は何となくやっているなという音使いだったものが、徐々に意思を持っていくようになっている。今までとは違う場所から好きな音を探している自分が見える。掴むことはできないけれど。
今日の曲はひょっとしたら、自分の中で何かを得られたのかもしれない。幼き日の自分が手を振っている光景が目に浮かんだ。


tohma

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