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秋のひとりごと

8月の終わりから息子の幼稚園が始まり、また怒涛の毎日が始まった。今日は久々にゆっくりお風呂に入れたので、湯船に浸かりながら思ったことを書いていこうと思う。

最近は本を読んだり、息子のレゴ遊びに本気になったり。合間に作曲はしているものの、完成しない日々が続いている。そういう時は大抵、壁を越えなければいけないフェーズだったりするので、焦らず吟味しながら進めていこうと思う。とはいえ、曲の一つでも上げないと忘れられそうだな〜とも。まあ、その内。


先週の中頃、6年近く使っていた電動自転車の電源が突然入らなくなり、バッテリーも充電出来なくなってしまった。この自転車のお陰で勾配が急な近所も、幼稚園の送り迎えも楽だったのだが…本当に必要か?否、別になくても困らない、ということで買わない選択をした。
いつもなら素通りする畑も、徒歩でしか通れない自然豊かな川沿いの道も、歩いていると色々なものが目に留まる。息子の送り迎えを徒歩にしたことで、近所で仲のいい友達と一緒に帰ったり、花や虫を観察しながら歩くことで気晴らしになったり、といい事ばかりが続いている。ついでに、私の健康維持の為の適度な運動にもなっていたりする。

夫婦共に今使っているiPhoneも、同じくらいの年数が経つ。この前発売された新しいiPhoneに買い替えようかと話をしていたところ、値段を見て呆れた。特に機能的な部分を求めていないため、現状のままバッテリーだけ新しいものに変えて壊れるまで使うことにした。
正直、買い換えることが当たり前、使い捨てなんて日常茶飯事な現代に嫌気が差している。物を長く大切に使うという考えはもう古いのかもしれないなあ…。

便利なものは時間を短縮できていい。ただ、そこでしか出逢えないものもあったりするので、一概に便利な暮らしが豊かだとは思わない。この頃の私は、ちょっと不便な生活に心地よさを感じている。何故か。あれば楽なのかもしれないが、自分の手で、感覚で、五感を使ってこそ養える部分を知らずに過ぎてしまうことがあまりにも多く感じるから。
このところ革新的なAIについても、技術は凄いものだし、最先端の人々が文明を開拓していくのであって、私のようなガラパゴス人間ばかりでは何も発展しない、言わずもがな。しかし、私は何となくその過程で人間らしさが失われていく現実を恐れている。そんなことあるわけがない、としても。否定的に見ているわけではないが、人が人であることを忘れてしまうような結末にはならないで欲しいと切に願う。現に、AIが出てきたことで戦意喪失している人が少なからずいるのは事実。上手く取り入れるだけで済めばいいが、飲まれたらそれまで。何事も摂取しすぎは体に良くない。

SNSも縮小していこうかなと思うほど、時代の流れに逆らうように自分の中でどんどんガラパゴス化が進んでいる。いっそ離島で自給自足生活を送りたいとも思う。人が煩わしいのでなく、情報が煩い。静かな場所で本でも読んで、文通とか…ああ、小学生の頃やってたなあ…もう誰かに手紙を書くことも無くなったなあ。また始めてみようかな。

雑多なひとりごとにお付き合いいただき、ありがとうございました。


tohma


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