見出し画像

一歩進んで、また一歩

正月ボケもなくなってきた今日、この頃。何となく過去に制作した楽曲たちを聴いていると、遠い昔に作った曲のように聴こえた。紛れもなく自分の作った音楽だけど、今同じものを作れと言われてもできないなあなんて思いながら。その時の感覚はやはりその時のもので、時間と共に薄れていく。その上、姿形まで変わってしまうものだから、気が付いた時には違和感なんか持ったりして。めんどくさいんだか、愛おしいんだか。


スケッチシリーズを終えて以降、結局答えは見つからないまま月日だけが過ぎ、何がやりたいのか、どこを目指しているのか、色々よくわからなくなった。ので、作りたかった歌物を2曲だけ作って制作から少し離れていた。
12月の中旬頃から飲み仲間のkasaiさんと何か一緒にやろうと唐突に始まったのが「tohk」というユニット。緩くやりましょうなんて言っておきながら、いざ始まれば遊びは本気に変わる。
私の音楽と彼の音楽は遠いというか、正反対の位置にいるような感覚があった。ので、正直合うのかなあと思っていた矢先、サンプリングされて切り刻まれて返ってきた自分の曲を聴いて、これだと思った。

今まで作ってきた曲は意味のあるものだし、愛着も当然ある。が、正直その先に行きたくてもがいている状態だった。一度出来上がった曲を違う曲に作り変えることで、何か見つかるかもしれない。そんなわけで今年は、完成した自身の曲をサンプリングしながら曲を作る「再構築」をテーマに進めようと思う。
音のスケッチは、やってみたところ思ったよりいい方向だったので、もう少し続けたら先が見えるような気もしている。

制作環境は相変わらずiPadのまま。気兼ねなくできるのがいい。サッと出せて、立ち上げも速い。普段持ち歩いているiPhoneでサンプルを採取したり、それが予想だにしない音に変わっていく様も、また楽しい。自身でメトロノームに合わせてパッドを叩いた時に生まれる微妙なタッチの差も人間味があっていい。




子供の頃の無邪気さを、ふと取り戻したくなった。曲にしようとしなくていい。ただ、そこにある音が気持ちいいとか、どこに行こうかなんて思いを巡らせるだけでいいんだ、と。自然に身を委ね、全身で感じたものを日記として残すように。誰かの代わりではない私自身を。


tohma

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?