読書漫筆

 最近読んだ本についての備忘録。

1 原田マハ『ジヴェルニーの食卓』『楽園のカンヴァス』

 『ジヴェルニーの食卓』は、マティスとピカソ。ドガ、セザンヌ、モネ。彼らの日常を、その隣で過ごす人々の目から描く作品。
 巨匠、天才と呼ばれるような画家たちの姿を見つめる人々の視線が決して卑屈でなく、画家とその作品への愛情や敬意、憧れに満ちたものであることによって、登場する画家たちの人物像がより鮮やかにいきいきと立ち上ってくるように思える。
  召使の少女から見たマティスとピカソのすがたが書かれた「うつくしい墓 Interview avec Maria Magnolia」がとりわけ好きだ。語り手であるマリアがもともと仕えていたマダムのところから、マティスに届けたマグノリアの花。その花に宿る命を見つめるようなマティスの視線。みつめる対象の色やかたち、光に恋をし、それを写し取ろうとする視線。画家の作品そのもののような明るく鮮やかな色彩と情熱が、マリアの語りの中に流れている。マグノリアの花がマリアからマティスへ、そして彼の死後、ピカソのもとへ、それから再びマティスのもとへと運ばれていく、その描かれ方もうつくしい。物語の中を光が通り抜けていくような感覚を抱いた。

 『楽園のカンヴァス』は以前読んだことがあり、結末を知った上でもう一度読むと、伏線の張り巡らし方に改めて感歎する。「アンリ・ルソー作とされる一枚の絵画の真贋を、一冊の古書を読んで見極める」という筋を聞くと、美術ミステリという分類になるように思うのだけれど、真贋を判定してそれで終わり、というのでもない。物語を読み進めるにつれて、ルソーの生きた1900年代初頭のパリ、物語の主な舞台となっている1983年のバーゼル、そして2000年の倉敷とニューヨークとが徐々に、ゆるやかにつながっていく。一枚の絵画から時代を超えて物語が広がる。
 原田マハさんは、人と人のつながり――それは血のつながりであったり、同じひとつの対象に向けられた感情によるものであったり、さまざまなかたちであらわれる――を、やさしく温かい筆致で描くのが巧みだと思う。そこに、美術作品と画家への敬愛が込められたストーリーが絡み、何度も色を重ねて描かれた絵画のような奥行き、質感が生まれる。描かれた人物たち――小説の主人公であるティムや織絵、そしてもう一人の主人公ともいえるアンリ・ルソーや、彼が描いたヤドヴィガ、ルソーと同時代を生きたピカソといった人物たちが、とてもいとおしく思える。
 読み終えて、芸術を愛するということについて、少しわかったような気がした。

2 サン=テグジュペリ『星の王子さま』(河野万里子訳)

 本屋に立ち寄ったら、新訳と書かれた帯の文庫を見つけたので手に取った。子どもの頃に読んだものは確か内藤濯訳だったと思う。新訳はキツネがかわいらしい口調になっているのでちょっと妙な感じがしたけれど、物語のだいじなところには変わりはない。
 「いちばんたいせつなことは、目に見えない」というキツネの台詞は有名だしよく覚えていたけれど、久しぶりに読んで、これに続く言葉があったのを思い出した。
 キツネは言う。
「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ」
「きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」
 わたしはもう子どもではなくなってしまったし、思っていたような大人にもなっていないけれど、少なくともこの先、これを忘れない人間ではありたいと思う。

3 ミヒャエル・エンデ『モモ』 

『星の王子さま』に続いて、これも児童文学の名作とされる本だ。モモと呼ばれる少女が、人間を欺いて時間を盗む灰色の男たちに立ち向かう。
 モモの住む街に現れた灰色の男たちは、住民のもとへ現れては彼らがいかに時間を無駄にしているかを説き、時間を節約して銀行に預けるようにと勧める。彼らの口車に乗せられた人々は時間の節約にいそしむが、それは彼らの暮らしを決して幸せなものにはしない(このあたり、『星の王子さま』でひたすら星の数をかぞえている実業家を思い出す)。
 前半のほうでは少し説教じみたところもあるが、物語の中盤、モモが「時間の国」で見た「時間の花」のうつくしさや、そこで聴いた「星々の声のことばとメロディー」はわたしたちの想像をかきたてる。それから、終盤の灰色の男たちとの対決、モモの勇敢さ、追跡の緊迫感とスピード感、盗まれた時間がふたたび解放される瞬間の迫力といったものには、子どもにかえったように夢中にさせられた。
 モモが住む街で起こっていることは現代社会に起きていることと同じだ、とか、人びとは目先の利益を追いかけるばかりでほんとうにだいじなことを忘れている、とか、そういう教訓をこの本から得ることももちろんできると思うけれど、この本が名作であるのはただそういうことが書かれているから、というだけではないだろう(なんなら、本の価値をそこから得られる教訓だけで決めるのは、『モモ』から得られる教訓に反するものではないか)。さっきの『星の王子さま』にしても『モモ』にしても、だいじなことについて話す、その話し方がとても魅力的で、「星々の声」のように響いてくるから、長きにわたって愛され続けているのだろう、と思う。


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