読"食"漫筆2:2021年の読書記録
2021年を振り返って、なんとなく、食にまつわる本や漫画に縁があったような気がしている。
堀江敏幸さんと角田光代さんの『私的読食録』を読んで、そこで紹介されていた吉田篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした』を読んだというのは以前書いたけれど、それ以来、何気なく手にとった本が食にまつわるものだったり、主題としてではなくても食べること・食べ物・料理についての話が出てきたりしていた。
ということで、2021年の振り返りがてらその感想を書いておこうかと思う。
1 よしながふみ「きのう何食べた?」
弁護士のシロさんと美容師のケンジの日々の食卓と、彼らの生活を描く作品。今年は映画版も観に行った。
毎回、シロさんの作る料理がすごくおいしそうだし作ってみようと思えるものも多い。この年末は18巻で佳代子さんが作っていたりんごきんとんを作ってみたりした。
そういう料理漫画としての良さもあり、それと同時に、シロさんやケンジたちの生活が紡がれていく様であったり、家族をはじめとした色々な人たちとの関わり合いが描かれているのが魅力的なところでもある。
相手の好きなものを作るとか、思ったことをちゃんと言葉にするとか、伝わり切らないところがあってもコミュニケーションの努力を放棄してしまわない人たちだから、見ていてこちらも温かい気持ちになる。
漫画というよりも映画のほうの感想になってしまうのだけれど、主題歌のスピッツの「大好物」が本当に映画にぴったりだった。「君の大好きな物なら僕も多分明日には好き」という歌詞は愛そのものだと思う。誰かと食卓を囲みたくなる作品。
2 ゆざきさかおみ『作りたい女と食べたい女』
漫画をもう1篇。こちらは美味しい料理をたくさん作りたい野本さんと、好きなものをたくさん食べたい春日さんの話。
やっぱり出てくる料理がどれも美味しそうというのはあるが、料理漫画というよりも、食べ物を通して二人が自分のやりたかったことを叶えたり、自分がどうしたいのかに気づいたり、自分を苦しめていた偏見や保守的な価値観を乗り越えようとしたりしていく過程に主眼があるように思う。
その中でお互いの「作りたい」「食べたい」という気持ちをそのまま受け入れ、「美味しい」という感情を共有する二人の関係性はとても素敵だ。
3 三浦しをん『愛なき世界』
ガラッと趣向を変えて小説1篇。三浦しをんさんの『愛なき世界』文庫版が出ていたので読んでみた。(上のリンクは単行本だけど)
文京区本郷のT大学松田研究室でシロイヌナズナの研究に明け暮れる院生の本村さんと、彼女に恋をして即刻振られる(!)料理人修行中の藤丸くん、それから研究室の人たち、藤丸くんの働く洋食屋さんの店主やその周りの人たちの形作る物語。
一見、料理とは何の関わり合いもなさそうに見えた小説だったが、主人公の一人・藤丸くんが料理人修行中ということで、研究室の皆さんに出前を持って行ったり、そこで植物のことを聞いて食材の見方が変わったり、実験の様子を見て料理との類似性に気づいたり、そんな藤丸くんの発言が逆に本村さんの研究の助けになったりする。
料理も実験も、「こうしたらこうなるだろう」とわかりきった枠の中でやっているだけでは面白い結果には出会えない。失敗を繰り返しながらそれも含めて楽しむこと。研究だけでなくて、生きて行くうえであらゆることに通じる話かもしれない。
物語のなかで藤丸くんと彼が働く食堂「円服亭」の大将が作る料理には、食べる人への思いが存分に込められている。研究室のセミナーに弁当や懇親会の食事を作ってほしいと頼まれれば、どんな人が参加するのか聞いて、信仰上食べられないものがある人がいればその人にも食べられるものを調べる。わからないことを知ろうとする、知りたいと思う、そして相手に応えようとすること。
作品のタイトルとは反対に、愛に溢れた話なんだと思う。
4 柳家小三治『ま・く・ら』『もひとつま・く・ら』
また趣向を変えまして。今年10月に亡くなられた落語家の柳家小三治さんの噺のまくらを集めた本。
これも一見すると食べ物や料理の話ではなさそうだけれど、割と食べ物に関するエピソードが出てくる。塩の専売法というのがあった頃の「日本の塩はまずい!」という話では岩塩に対する思いが語られていたり、オリーブオイルやはちみつへのこだわりが語られたり、食べ物とは違うが熊の胆の話が出てきたり。
その中で印象に残るのが、たまごかけご飯の話。
戦後、たまごが貴重だった頃、たまさか1個手に入った時にそれをいかにして家族7人でたまごかけご飯にして食べたか、というエピソード。こういう話で笑って良いものか……と思いつつ、ユーモアとペーソスの混じり合った語り口に笑いを誘われる。醤油で水増し(醤油増し?)したたまごをご飯にかけていくところの描写とか、仕草を想像してついフフッと笑みが漏れてしまう。
そこから時代は下り、落語家となった現在、自分の思う究極のたまごかけご飯の食べ方の話に移る。ご飯の盛り付け方からかき混ぜる回数まで、それは事細かに。
内容が内容だけに単にほほえましいとか笑えるとかほのぼのするというのでもない気がするのだけれど、たまごかけご飯というものが持つ意味合いを思ってなんとなくしみじみして、そしてクスリと笑える。何より読んだ後、書いてある通りのやり方でたまごかけご飯を食べたくなり、その日の夕食はたまごかけご飯になった。
5 石井好子『巴里の空の下オムレツの匂いは流れる』
『東京の空の下オムレツの匂いは流れる』
たまごの話つながりで石井好子さんのエッセイ2冊。
料理に関するエッセイで、歌手でもある石井好子さんがその仕事や旅行で訪れた各国の料理なんかも出てくるのだけれど、何より石井さんによるレシピの描写がすてきだと思った。
たまごをフライパンに流しいれる時の感覚、炒めている玉ねぎの色味、出汁の香りとか、読みながら五感を総動員する。料理をする、という行い自体がなんだかとても楽しく愛おしいものに思われてくる。
エッセイというくくりでありながら、文字だけでこんなに読んでいて心踊るレシピ本というのはなかなかない。
というのが2021年後半の読"食"記録である。
食べることは生きることにも直結するし、今ではあまり人と食事もできないが、誰かを思って料理を振舞うこととか、「美味しい」を共有することはコミュニケーションの方法でもあるし、愛にもなりうる、ということなんだろう。
来年は、もっと誰かと食卓を囲める1年でありますよう。
書くことを続けるために使わせていただきます。