うさぎの鳴く声⑥【小説】
「お姉ちゃんが人に相談するなんて、はじめて聞いたかも」
奈々からのメッセージにはそう書かれていた。
ウサギは声帯的に鳴くという行為ができないのだそうだ。
鳴くことができない代わりに、鼻を鳴らしたり、足を鳴らしたり、身体の動きで感情を表現するのだそうだ。
感情はそこにないのではなく、伝えていいのかわからないだけだから。
もし、この感情を声に乗せて表現してしまったら、空気に触れさせてしまったら、突然重たい空気が押し寄せてくるのではないか。
目の前にいるあなたが、それを受け止めてくれるのか。
「知らないだけよ。全然しないわけじゃない」
妹に悟られていることに、微妙に違和感を感じたから、軽く否定しておいた。
少なからず姉のプライド。
「ふーん。じゃあ、恋だね。恋」
画面に出てきたメッセージに目を剥いた。
「いや、先生だよ?」
「優良物件だね」
「くだらないこと言わないの。トマトの世話でもして、もう寝たら?」
「くだらなくないよ。最近優しいし、甘えられる相手がいるなら、うらやましい限りだよ」
ぽんぽんぽんとメッセージが飛び交う。
高校生にもなると、恋愛話が盛り上がる。
微妙な年齢になってきた私は、逆に聞かれたくない。妹と恋バナなんて、シェアしてどうする。
「じゃあ、これから友達とご飯だから」
なんて、適当な言い訳をして、その場を切り抜ける。
ちょっとだけ可能性を考えしまう。
恋とか恋じゃないとかそんなんじゃなく、ただなんとなく哲也さんには、頼れる年上の人であって欲しいなって、微かにそう願うだけ。
年上だからとか、先生だからとか、イメージで押し付けるのはよくないけどね。
ふぅ。
軽く自分の空気を抜きながら、台所へ向かう。
約束なんてなかった。
今日のご飯もさっくり自宅でいただこう。
1人ご飯も嫌いではない。
昨日買ってきたもやしがあったななんて、冷蔵庫の中身を吟味し始める。
その時間も最高の贅沢である。
つくしちゃんはボーダーコリーという種類なんだそうだ。
牧羊犬してたりとか、羊追いかけてる犬がいるでしょ?あれだそうだ。
運動大好き、遊び大好き。人好きな子だから、楽しいと思うよ。あれから哲也さんから、たまにつくしちゃん情報が送られてくる。
突っ伏して寝る姿や、庭のようなところを走り回る姿。華麗な犬というイメージを強く持つようになった。あと、たぶん疲れない。疲れないんじゃないだろうか。走れば走るほどテンションが上がっているように見えた。
キャンプに行ったのだろう。テント脇でくつろいでいるつくしちゃんの写真も送られてきた。
本当にずっと一緒にいるんだなと思った。
病院も一緒に通勤しているのだそうだ。
仲がいいけど、ふとした時にさみしい気持ちにならないのかな?と思った。自分より寿命の短い犬に、そこまで託すイメージが、私にはあまりなかった。
それでも10年も続いたら、彼氏より場合によっては、旦那さんよりも長続きなのかもしれない。
永遠なんてないと思えば、その時その時を一生懸命に生きてくれて関わってくれる、そんな相棒がいた方が、人生は楽しいのかもしれない。
今週末のお散歩に参加しませんか?と哲也さんから連絡がきた。
忙しくないんですか?と遠慮がちに聞いたら、犬に休みはないからねと言われた。
確かに忙しいからと言って、散歩にお休みはないのだろう。
「2時間くらいジョギングできる格好で来てね」
哲也さんからのメッセージに目を疑う。事前情報に覚悟はしていたものの、なかなかの運動量。
哲也さんが先日のカフェで、ペットレンタルサービスについて、熱く語っていた気持ちがわかる気がした。
関わってみないと、こんなに運動するとは思わないだろう。それも毎日。
優雅なお散歩ではなくてジョギングに誘われるとは、ちょっと想像していなかった。
普段30分くらいのジョギングに行っている効果はあるだろうか?健康とダイエットのためにはじめたのだけど、まさかこんな時に役に立つとは思わなかった。
何事も続けていると、使う時はくるものだ。
日曜日、公園で待ち合わせて待っていた世界はとても楽しいものだった。
軽く小走りに走りながら、哲也さんと動物の話をする。やはり獣医は難しいお仕事だそうで、飼い方の指導をすることが多いそう。
「詳しい人はとても詳しいんだけどね、かと言って、それが必ずできるわけでもないし」
話の返し方がわからず、あいまいな顔をしてしまっていたのだろう。哲也さんが続けて話し始めた。
「動物ってさ、可愛いもんね。可愛いとさ、喜ぶことしてあげたいよね。けど、それがよくないこともあるんだよね。僕たちもさ、おいしいものばっかり食べてたら太っちゃうでしょ?」
確かに私も美味しいもの食べて、食べすぎたと思ってジョギングにでかける。
「でもさ、それで困ってて病院に来る子もいるんだよ」
寂しそうに笑いながら、この散歩の目的地が近いことを教えてくれた。
5分ほどすると少し開けた場所に出た。
公園だ。
かなり大きな公園で、こちらの入り口からは全貌がわからない。少し歩くと、大きな芝生広場が見えてきた。かなりのサイズで、少し先に川のようなものも流れている。
時間帯が早いせいか、日曜日にしては人がまばらだ。
そこで、つくしちゃんの凄さを見せてくれた。
フライングディスクキャッチだ。
哲也さんがまっすぐ前方にUFOのようなディスクを投げる。その動線を追うようにつくしちゃんが走り抜ける。
ディスクが落ちる前に見事にくわえる。パクっとディスクキャッチだ!犬を飼ったことのない私はその光景をはじめて目撃した。
いや、犬だったらどの子でもするわけではないのだろう。チワワのディスクキャッチとか見たことがないし。
それとなく哲也さんに聞いてみた。
「チワワのディスクキャッチ!いいね、見てみたい」
相当面白かったのだろう。いつも落ち着いた表情しか見せない哲也さんが、声をあげて笑っていた。
「ちくわのディスクキャッチを見てもらったのには、理由があるんだ」
内心そんなに笑わなくてもいいのにと、少しイラっときた私の感情が、スッと落ち着く哲也さんの低音の声。目線。
「茜ちゃんは、コーギーが飼いたいって言ってたよね」
コクリと頷いて目線を合わす。
真剣さが伝わってきたからだ。
「コーギーはね、牧畜犬だったんだ。牛追いをしていた犬種として知られていて、コロコロとした愛くるしい見た目ではあるけど、運動量は多い。遊ぶのも大好き。食べるのも大好き」
伝えたい感情が、声から響いてくる。
ずっと最初から、カフェで私が相談した時から、哲也さんは哲也さんのやり方で伝えてくれてたんだ。
続きを促す目線を送る。
「覚悟がいるよ。確かに、つくしほどの運動量はいらないと思う。つくしよりも小型だからね。ただ食パンなんて言われるずんぐりした体からもわかるように、太ればその短い足に腰に負担がかかってしまうんだ」
きっともうトライアルは始まっていたんだ。
はじめて相談した日から。
つくしちゃんの生活を見せて、自分の生活を教えてくれて。なんだかマメな人だなって、嬉しくなって返事をしてた自分が、バカみたいに思えるほど、真面目に相談に乗ってくれてたんだ。
「僕のつくしに付き合ってみるといいよ。それが楽にこなせるなら、きっと茜ちゃんと飼いたい犬の生活はうまくいく思うよ」
にっこり笑った哲也さんに、まだこの関係は続けていいんだなと安心感を覚えた。
この人はどこまでも私の先生であり続けてくれるんだな。
そう思うと安心感から、今日という日がとても楽しく感じられた。
終わり🔚