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大人のための青春ドラマ『二十五二十一』のド直球が心に刺さる

Netflixで配信中の『二十五二十一』は、本日(2022年3月16日)時点で10話まで配信済み。

いよいよ後半の山場に向かって物語が展開する。

ここでは、ド直球な青春&スポコンが心に刺さる『二十五二十一』について綴ります。

1.「あざとさ」なしのド直球な展開が心に刺さる

このドラマのすごいところは、ド直球なところ。
それゆえに、涙する場面も少なくない。

たとえば、アジア大会でコ・ユリムと対戦し優勝したナ・ヒドが、世間の批判に晒された時。

ユリムの主張によって誤審疑惑が巻き起こり、ようやく勝ち取った金メダルに疑義を抱かれたナ・ヒドはひどく傷ついた。
彼女にとってそれは、これまでの努力を否定された気分だったはず。

しかし世間は、惜しくも銀メダルとなったユリムを悲劇のヒロインとして持ち上げる。ヒドは人々から謂れのない非難を受け、コーチすらも彼女を庇おうとしない。


その絶望の中で彼女の心を癒したのが、食堂で出会ったおじさんが投げかけた、この言葉だった。


さぞかし つらかっただろう
人生はいろいろあるよ 大変だったね


ヒドの心に寄り添った見知らぬ人たち言葉。
それはヒドが一番欲していた言葉であり、必要としていた言葉だった。

そして、彼女の涙腺は崩壊。それまで堪えてきた感情が一気に溢れ出す。

それは、やっと肯定されたことに対する安堵感からであり、ヒドの心を癒した。


そしてこの場面、漏れなく私の涙腺も崩壊。
コレ、なんというか、すごく温かい涙で、心の柔らかいところを突っつかれ、思わず流れた涙だった。
(今、その場面を思い出しても泣けてくる。。)



さて、この物語は青春真っ只中にいる登場人物たちの、友情、恋、そして成長が描かれている。
その中でも、より心を動かされるのは「成長」の部分だ。

憧れだったユリムのライバルになるため、努力を重ね突き進むヒドの姿には力をもらえるし、同時に、悔しい経験から立ち直ってゆくヒドの「健全な強さ」に勇気をもらう。

とにかく、真っ直ぐで素直なヒドがぶち当たる壁、抱く感情は、誰もが共感する普遍的なものであり、共感せずにはいられない。
そして、そこに真っ向から挑むこのドラマの正統派っぷりが素晴らしい。
この「あざとさ」なしのド直球な展開が、複雑な人間関係や感情のもつれを表現する作品が巷にあふれる中において、特に輝いて見えるのだ。


それにしても、Ep6の終盤からEp7にかけての、アジア大会の決勝戦(ヒドVSユリム)の描写は秀逸だった。数十分の時間を割いての描写はなかなか気合が入っていたし、躍動感あふれるカメラワークで観る者の感情を揺さぶる演出はお見頃。

「ライバル同士の勝負」という緊迫した場面を、ガッツリ楽しませてもらった。


2.ヒドとイジン、成熟途中の感情にときめく

ヒドより4歳年上のペク・イジンは、高校生からみれば大人の男。
そして彼は、ヒドをはじめとする高校生らの兄的存在でもある。

実生活でも弟想いの兄であるイジンは、何かにつけて抱え込む性格で、その辺りは白黒はっきりさせたいヒドとは正反対。

たいていの場合、こういう組み合わせは相性が良く、二人はお互いの足りない部分を補うような関係を築いていく。

そしていつしかヒドはイジンに恋心を抱くようになり、一方のイジンは、ヒドを子供扱いしつつも、彼女の強さや包容力に惹かれていく。

なんというか、この「成熟途上の感情」がとてもイイ。
これから盛り上がる要素を多分に含みつつも、まだ距離を詰め切れていないところが絶妙とでも言うか。。


ともあれ、イジンはヒドにこう言う。

おまえはいつも 俺を正しい道 いい場所へ導く


この告白、フワフワと恋に浮かれた感じじゃないところがいいんだな。
ユリムとジウンが高校生らしい「ラブラブ」な関係になりつつあるのとは違って、ある意味深みがあるのだよ。

「俺はお前を愛している」という言葉は、20代前半の男子としては大人っぽすぎる感もあるけど、資産家のお坊ちゃまから転落したイジンなだけに、それもありかなと思う。

とにかく、ヒドの関係は「愛」だと言い切るイジンの真っ直ぐな瞳にはときめかないワケがない。


ところで、高校生くらい時って年上の男の人に憧れがち。同級生のように子供っぽいところがなく、自分の知らない世界を知っていることが頼もしく思えたり。

でも、20歳前半の男子といえば、自身の人生に試行錯誤する若者。そう言う意味で、イジンもまだまだこれから成長していく立場なのだ。


そんな二人が残り6話でどんな成長を見せるのか。

現在の描写で、ヒドがイジンと結婚していないところを見ると、二人は付き合い、そして別れる展開なのだろうと想像するけど、何はともあれ、二人がこれからどう変化していくのかが楽しみ。


3.『二十五二十一』は大人のための青春ドラマ

この物語は綿密に計算された「大人のための青春ドラマ」だ。

第一に、過去を扱うドラマの特権、ポケベルが存在した1990年代を懐かしむと同時に、かつて自分も持っていたであろうウブさや純粋さに想いを馳せることができる。


そしてもうひとつ。
高校生のナ・ヒドを、現在31歳のキム・テリが演じているという点だ。
彼女の演技は本当に素晴らしく、しぐざや話し方、表情まで全てが高校生にしか見えない。

これってすごいことだと思うけど、一方で、現代の高校生たちがこのドラマを見た時、どんな感想を持つのだろうかと考えてみる。
たぶん、物語としては面白くとも、自分たちの世代(若者世代)の物語としての共感は薄いのではないかと想像する。

実際に1990年代を扱っているという時点で自分たちの時代の話でないことは明白であり、青春真っ只中を生きる同世代的な共感よりも、「自分たちの現実とは別の世界のお話」という視点になるのではないかと思うからだ。

つまるところ、「物語は面白いけど、これは昔の物語」的な。


だからこそ、高校生とは遠く離れた年齢の俳優が高校生を演じていても、違和感なくドラマを楽しむことができる。というか、「昔の高校生」を描いたからキム・テリが光るのであって、「現代の高校生」をキム・テリが演じたら、それはそれで違和感を感じたのではないかしら。

「1990年代・20年以上の時間の経過」というキーワードが、演者の実年齢に対する先入観を振り払い、むしろ、高校生を見事に演じきっているキム・テリへの賞賛につながるのだと思う。


何はともあれ、このドラマは大人のための青春ドラマだ。
今や40代となったナ・ヒドの立ち位置と視聴者のそれは同じであり、かつて青春を生きた人々のための物語なのだ。
だからこそ登場人物にスッと共感できる。そして、胸が熱くなる。


ところで、気になることがある。
Ep10では、40代になったヒドが、娘との会話で青春時代の出来事を「覚えていない」と言う場面が登場する。

これ、何を意味するのか?

以下の記事を読んだ影響もあって、何か大きなどんでん返しが11話以降に待っているのではないかしら?と、ドキドキする。


そういえば、確かにこのドラマが始まった時から、違和感というかいくつかの疑問があった。


■なぜ40代のナ・ヒドをキム・テリが演じていないのか?
■なぜ40代のペク・イジンがナ・ヒド母の「活躍している」という言葉でサラッと語られるだけで、映像として登場しないのか?
■40代となったナ・ヒドの夫は誰なのか?



考えすぎ、もしくはただの妄想かもしれないけど、今後の展開に期待。。




<番外編メモ>
どうしても言いたいことがある。。
それはオープニング映像の秀逸さ。
「昔のドラマ感」を前面に出しているカット割がめちゃ刺さる。
テレビ画面のサイズ、粗い画像は、まさに1990年代世界の再現。

そして音楽もイイ!
昭和のスポコンを彷彿とさせるOSTに、一周回ってときめくのだ。

「ザ・青春」をこれでもか!と前面に押し出す演出は、逆に新しい。

と、いうことでオープニング映像からスキップしないで観ています。


★Ep10以降の感想を書いています。こちらもどうぞ!

 

トップ画像:tvN「2521」公式サイトより引用
http://program.tving.com/tvn/twentyfivetwentyone

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