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ユン・セリとホン・チャヨン ヒロインが表現する可笑しみについて

ドラマを鑑賞する上で、ヒロインのキャラクターはとても重要。
嫌いなタイプのヒロインだと感情移入が難しく、結果として途中で挫折しかねない。

ちなみに私は「強い女」がヒロインのドラマが好み。
ウジウジメソメソな弱い女がヒロインだとイライラして体に悪い。


そう言う意味で、「愛の不時着」のユン・セリは完璧だった。
類い希な美貌はともかく、社会的地位が高く自立している彼女はまったくもってステレオタイプなヒロインではない。
また、頭の回転が早く合理主義者。つまらんことでグダグダ悩んだりしないところも気持ちよい。思い立ったらすぐ行動。そして、どんな時でも自分の頭で考え意思決定をする。男に守ってもらうだけのか弱い女ではないはないのだ。

そしてもう一人、最近注目しているヒロインがいる。
それは現在配信中の「ヴィンチェンツォ」のホン・チャヨン
弁護士として成功している彼女もユン・セリ同様に社会的地位は高い。合理的で行動力があるところも同じ。自信家で負けず嫌いなところもよく似ている。
切れ長のお目々がわかりやすい美しさでないところも魅力的(このドラマで彼女のファンになってしまった)。


さて、この二人の設定が似ているのはそれだけではない。
美人でデキる女なのに「ちょっと面白い」のだ。

「愛の不時着」が多くの人を魅了したのは、シリアス一辺倒ではなくほどよくコメディ要素が組み込まれているから。まさにロマンティックコメディの王道を行くのが「愛の不時着」なのだ。
ユン・セリの自己肯定感が、時折飛び出す勘違い発言を正当化するパワーを持っていて、そこからジワジワと可笑しみが生まれるという流れ。

一方の「ヴィンチェンツォ」は、「愛の不時着」に比べて恋愛要素が薄め&コメディに寄っているのでジワジワくる可笑しみというよりは、直球での可笑しみがある。ホン・チャヨンの意味不明な動きや表情は、「キレイな人があそこまで」な感じが妙に面白く、そこが視聴者にとってはツボなのだ。

いや、ツボなだけではない。自立した女であるユン・セリやホン・チャヨンのコメディ要素は、視聴者が強者である彼女らへの共感を生むことに一役買っている。この可笑しみこそが作品の良きスパイスであり、欠かせない要素なのだ。


さて、この二人のヒロインをみて思うのは視聴者が求める女性像の変化だ。
平凡な女の成長物語や不器用な女の成功物語では視聴者は共感しにくくなっているのかもしれない。

そこで、地位・お金、明晰な頭脳までも備えている自立した女たちの登場だ。
既に多くのものを手にしている彼女らがある日突然試練ぶち当たり、それに全力で立ち向かう。その時、男に頼ることありきではなく自分が持つリソースをフル活用し乗り越えていこうとする姿に視聴者は力をもらう。

そして彼女らの恋のお相手。
彼らは常に彼女らと対等な立ち位置にいる。
この「対等な立ち位置」というのがある意味キーワードなのだと感じる。

視聴者が観たいものを作るのがドラマ制作側の意図であることを考えれば、それが昨今のトレンドということか。

ともあれ、自立した女が愛する男を守るために行動する姿、あるいは父の仇を倒すためにパートナーと共に戦う姿は観ていて心地よい。


ところで、「ヴィンチェンツォ」のラブラインは今の所(13話まで鑑賞)それほどの盛り上がりはないけれど、ここからラストに向けて展開は変わるのかしら。
今夜もしかと見届けよう。






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