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許して

私は、ザ・じいちゃん子だった。

母いわく、
私は起き上がりこぼしのコロコロちゃん以外にはニコリともしない赤ちゃんで、人見知り、場所見知りが激しく、とにかくよく泣く子だったそうだ。
7時間泣き続けたこともあり、声が枯れてもまだ泣いていたと、笑い話になっている。
抱いていないとさらに激しく泣くので、母はずっと抱っこしていないとならず、何度もベランダから捨てたくなった、と。
妹がベビーカーにも乗れ、あやせば泣き止む赤ちゃんだったので、子育てというものはこんなに楽なのか、と驚いたそう。


そんな私が大好きになったのが、じいちゃん(母方)。
父だと素っ裸のままワンワン泣きながら飛び出してくるお風呂も、祖父とは仲良く入っていたそうだ。
「だれとお風呂に入る?」と聞くと、私が必ず「じいちゃん!」と答えた話は、幾度と聞かされた。
(不思議なもので、妹はばあちゃん子だった。)

本当に可愛がってもらった。
祖父は私の手をひいて、いつも近所の散歩に連れて行ってくれた。散歩の途中で、お風呂の中で、たくさん歌を歌ってくれた。
家族の中で、浦島太郎の歌を五番まで空で歌えるのは私だけである。

小学生になっても、祖父母の家に遊びに行くのが楽しみでたまらなかった。
そんな祖父母との関係は、14歳のときにぽっつり途絶えた。
私が心身を壊したのが原因だ。

不孝者と言われても仕方ない。

でも、

「元気になると言ったのに約束を破った、バカヤロウだ」
と言われた。
そしてそれ以上に、母が責められていたことが、悲しみとして今でも残っている。その原因が自分であると、気持ちの行き場がなくなり、自分を責めるしかなくなる。


もし何か思わぬことが起きたら、そのときこそ、支えてあげてほしい。
その子にとって大切な人を悪く言わないでほしい。


あれから20年が経ち、母が母親になった年齢を私自身が越し、祖父母が他界してからも時間が過ぎた今だから、このように言葉にできる。

祖父母の気持ちは想像できる。
でも、今元気でいてくれたとしても、関係は戻らなかったと思う。
ごめんねの一言があれば変わったかもしれないが、お互い言えなかったし、言う気がなかった。

書きながら、私は悪い娘で、悪い孫だと思う。許せなかったから、許されなかったのかもしれない。


偉そうに言える立場ではないのですが、
一言に子育てといっても、その子の気質、育てる側の体力やお仕事、周りの環境などで、大変さはさまざまだ。
病気や障がいがあったり、私のように超高感度センサーを持つ子を子育て中の方へ…
本当におつかれさまです。
どうかご自分のことも大切になさってくださいね。


写真は、『かみさまからのおくりもの』という絵本から。
読み聞かせをしてくれていた当時からの、母のお気に入りの本だ。
その中の

たくさん泣いた赤ちゃんは
歌が好きな 声のきれいな子になりました

という箇所を私に重ね合わせていたことは、大人になってから知った。

2023.7.14


私にとって摂食障害は、健康な心身だけでなく、多くのものを奪った。

子どもたちはもちろん、子どもに携わる方たちも守られる社会でありますように。


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