約束
“約束”という言葉には、今でも
大きく動揺してしまう。
だから、安易に約束はしないし、
人には決して「約束したのに」とは言わない。
ただ、歳を重ねるにつれ感じるのは、
日常とは約束の積み重ねであるということ。
小さな約束をいかに大切にできるか、
守ろうと努められるかによって、
関係は紡がれ、
信用や信頼が育まれていく。
待ち合わせの日時、物の貸し借り。
「もうしない」「次からはやる」
といったことも。
「今日は早く帰るよ」
と言ったら、がんばって早く帰らなくちゃ。
相手が子どもでも、パートナーでも、犬でも、うさぎでも。
―――
約束はときに変わることもある。
『爪切りなんて大嫌いだ!
ねえさんいつも「イヤなことはしないよ」って言っているのに、約束がちがう〜〜〜!!!』
と泣き叫ぶ、うさぎさんがいる。
『イヤだ~!』と私の顔を後ろ足で蹴っ飛ばし、逃げていく。
だが、グングン伸びるのに切らないわけにはいかないし、
「そんなにイヤなら自分で削りなさい」
と言っているのに、でれんと寝ている。
その上、真夏と真冬に病院に連れて行くと、それだけでぐったりしまうのがうさぎという動物である(我が家には、車はない)。
「悪いようにはしないよ」
に約束は変更し、この夏も家で少しずつ爪切りしている。
汗だくになり息切れしながら、なだめすかし、細~い爪を切る私の方が、
『イヤだ~!』と叫びたい。
―――
約束は、どうしても守れないときもある。
分かりやすいところだと、
出勤日に体調が悪く休む。
あたりまえだが、これを責めるのはおかしなこと。
休んだり遅れたりの連絡は、仕事にかぎらず、必ずするべきだ。
分かったらできるだけ早く、伝えるべきだと思う。
相手を心配させないための、思いやりとして。
仕事を休む場合、
電話ができないときは、誰かにしてもらってもいい。
上司や同僚にメールでもラインでもいい。
確実に伝わる方法なら、何でもよいと思う。
職場に電話をかける力がどうしても出せないときも、あると思うんだ。
だから、本人がかけてこなかったと影で言ったりするのは、さびしいことだと私は感じる。
少しがんばればできるのなら、自分でかけた方がよいとは思う。
職場の側も、たとえば、
「来週出勤できるか、金曜日に連絡してもらえますか?」
などと直接伝えられる。
何より、声がきけるとお互いに安心する。
このことは、とても大切だと思っている。
高熱が出たり、ゴホゴホ咳き込んだり、骨折したりしないかぎり、
“まともな休み”だと認められないのは、いかがだろうか。
明らかに大きな不調が、体にみられないとき、ズル休みのように捉えられがちだ。
これは誰にとっても、しんどい風潮だと思う。
精神的につらくて休む。
疲れすぎて動けなくて休む。
頭やお腹や肩が痛くて休む。
痛い、つらいはそのためのサインなのだから、休んでいい。
休んで早く回復できそうならなお、休めばいい。
“耐え難い無理” になる前に。
「〇〇さんはきっとズル休みだ」
などと耳にすると、息苦しさを感じる。
元気だと思われてしまうから、電話したくない。電話できない。
とても残念なことだ。
約束を守れないとき、
守れなかったとき、
できることはひとつ、
「ごめんなさい」と言うこと。
それが許される社会であってほしい。
受け入れる余裕のある環境が、増えていってほしい。
―――
約束は、自由を狭める側面もあるだろう。
しかし、ひとつずつ守っていくことで、相手と自分への信用や信頼が生まれる。
自分との約束は、守るのが最も難しい。
約束ができる相手がいることを、とてもありがたいと感じる。
爪切りさせないうさぎ・ルーナに
「ずっと一緒だからね」
と、家に来た日からほぼ毎日、伝えている。
彼女とのこの約束があることで、死ねなくなった(笑)
生きる意味は“生きること”になり、
帰る場所ができた。
―――
「元気になると約束したのに、約束を破った。ばかやろうだ。」
大好きな祖父にどなられたのが悲しくて、
「ごめんなさい、許してください」が言えなくて、
その後疎遠になった。
15歳の私は、祖父の気持ちは想像できなかった。
頭の中は、自分のことばかりだった。
意地を張らずに素直になれていたら、と今思う。
祖父に許されなかったのではなく、きっと私が祖父を許せなかった。
傷ついたのは私だと思っていた。まるで、傷つけられたかのように。
私以上に祖父は傷ついていたのかもしれない。
約束は守れなかった方も、
守ってもらえなかった方も
さびしい。
だからこそ私たちは、
許し合い、感謝し合う。
「じいちゃん、ごめんね。
まだ摂食障害やっています。」
遺影の中の祖父は、笑っている。
2024.7.28
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