大切に使うこと
最近エシカルな生活を推進する企業が増えています。
それ自体とても良い流れだし、これからも推進するべきだと思います。
ただ、エシカルに方向転換する際などに、まだ使えるものを捨てていないでしょうか。結局それってエシカルに繋がらないことだと思うんですよね。 今回はそんなエシカルについてお話ししたいと思います。
エシカルとは?
エシカルについてウィキペディアで調べてみるとこんなことが書いてあります。
本来は倫理的、道徳上という意味なんですね。
だから、単に環境保全をしようと生活全般から気にしている、「意識の高い人」を指すわけではありません。
日本では、「エシカルといえば環境保全」みたいな空気が流れており、実際にエシカルという名前を付けて環境保全の商品を販売している企業もあります。
僕はこの現状自体、とても良いものだと思いますが、一方で、そんなエシカル商品を購入している人を外から見る目が冷たいことも事実だと感じています。
例えば、「ああいう商品は高いから、購入している人ってよっぽど意識高い人だよね」とか、「環境に気をつかっている人って、結構関わりずらい人多いよね」とか、そんなことを耳にする機会も多々あります。
確かにエシカル系の商品は製造の難しさなどの理由もあり、商品自体の値段が高く設定されていることが多いです。
だから多くの人は手が出しづらく、そういう商品を購入している人がマイノリティーになりやすいわけです。
だからそういう商品を購入できる人を羨む気持ちはわかります。でも、それを「意識高い」で済ませてはいけないとは思いました。
というところで、エシカルというもの自体の紹介と、現状をお話ししました。
ここからは本題です。
「エシカル」というものは最近大きく取り上げられるようになってきて、そういった商品も売れるようになってきました。
ただ、じゃあ今までエシカル商品の代わりを担ってきた各家庭のものたちはどこにいったんですか?という事を少し問いたいと思います。
まだ使えるのに
エシカルというと環境問題解決に向けた商品や動きのように捉えられがちということを先ほどお話ししましたが、そういう「自分も環境問題解決にお金を出すだけで面倒なことをしなくても関われる」と思うと、皆さんエシカル商品を買いますよね。
ということは、皆さんは環境問題を解決したいと思う気持ちはあるということです。
では、ここで1つ質問ですが、今回エシカルな商品(例えば水筒など)を購入する前につかっていたものたちは、本当に使えなくなるまでつかったんですか?
実は今、そういった「エシカルではないもの」たちは、棚の奥に仕舞われているのでは無いですか?
もしくは、エシカル商品を購入したときに、捨てたのでは無いですか?まだ使えるのに。
もし今の質問を聞いて「あ、、、」と思った皆さん、やっていることが全然エシカルではありません。
エシカルな商品を購入する事を否定はしませんが、それより先にやることがあると思います。
エシカル商品でなくても、壊れるまで使えば良い
その「やること」とは、元々あるものを、壊れるまで使い切ることです。
実は僕は最近エシカルな商品を販売している企業で、部署は別ですがお仕事をさせて頂いているので、こんなことを書くのは少し躊躇ったのですが、それでも書きたいと思います。
エシカルな商品を買うくらいなら、元々あるものを大切に長い期間を経て使い続けた方が、よっぽど環境に良いと思います。
元々家に無くて、何を買おうか迷っていた時にエシカル商品を選ぶのであれば大賛成ですが、まだ使えるものを捨ててエシカル商品に移るという行為をされている人は、正直言ってただ「自分は環境について少し意識しています」と言いたいだけ、示したいだけです。
今回この話を見てハッとした方は、是非持っているもの全てを大切につかってあげてください。そういう心がけをして生活している方こそ、本当の「エシカルな生活」をしている人だと思います。
まとめ
環境に良いものを購入するのは簡単ですが、本当に環境を良くしようとするのは、意外と頭を使うし、大変だなあとつくづく思います。
どうか皆さんの「エシカル」が本当のエシカルでありますように。
ちなみに、私はエシカルな生活をされている方を蔑む目的や、エシカルな暮らしをされていない方を蔑む目的でこのnoteを書いているわけでは無いので、そこだけはおわかりいただけたら嬉しいです。
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