見出し画像

信念、祈り

読む前に承知していただきたいのが、私がただのオバサンだという事実だ。
中東問題を研究しているわけでも勉強したわけでもない。
ただ先週の土曜日から突如再衝突しているイスラエルとパレスチナについて、もっと知りたいと思って今日は一日ネット検索していた。
それだけの知識だ。
どうかどこにでもいるような主婦の独り言として、捉えていただければありがたい。もちろん読んでいただけるのは純粋にとても嬉しいです。

私は昔から、弱いものいじめに敏感だ。
職業訓練時代、傍からみているとちょっと癖のある男子が、同級生によくいじられていた。かわいそうだと思い、私はいじりに参加しなかったし、彼とはなるべく普通に接するように努力していた。
でも私が弱いと勝手に判断しているその子自身は、自分を弱いとは思っていなかったかもしれない。自分の意志を貫ける、強い人間だと信じていたかもしれない。助けてほしいなんてこれっぽっちも思っていなかったかもしれない。(助けてなどいないが。)
大体私がその子に対して可哀そうだなんて言って同情していたこと自体が、上から目線だ。その男の子はいじられながらも、クラスに彼の居場所を見つけて強く生きていた。

私は今回のハマスのイスラエルに対する奇襲で、率直に感情的に、パレスチナ人が可哀そうだと思った。
200万人以上のパレスチナ人は既に数十年の間、長さ40~50㎞、幅5~12㎞の狭くて細長いガザ地区に閉じ込められている状態だ。大きさで言えば、鹿児島の種子島くらいの広さらしい。
今や世界で最も人口密度の高い場所の一つで、その人口の半数近くは失業中であり、人々はとても貧しい。燃料や物質は常に不足しており、電気や水もイスラエルに頼るしかない。パレスチナ、という国も、実際には存在していない。
つまりパレスチナ人は国籍さえ持っていない。
こんな状況で生まれ育つ若者たちに、希望などあるだろうか。

そんな若者たちにハマスのような過激集団が声をかければ、集団への勧誘はそう難しいものではないだろう。

私には疑問がある。ガザ地区に住んでいる民間人たちは、本当に戦争を望んでいるのだろうか。ハマスの過激な殺戮を、望んでいるのだろうか。
アメリカが後ろ盾に存在する強敵イスラエルに勝ち目がないことなど、悟っているのではないか。どんなにゲリラ攻撃を仕掛けても、自爆テロで若いパレスチナの若者やイスラエルの民間人を殺しても、状況は悪化するだけだ。現に今現在進行しているイスラエルの報復攻撃は凄まじい。

ガザ地区の歴史は、紛争が絶えない。
中東の第一次、第二次、第三次、第四次と相次いで戦争があり、2006年にガザ地区からイスラエル軍が撤退した後はパレスチナ人たちのハマスとファターと言う2つの対立し合う集団によって権力争いが繰り広げられた。
成立された政権も、上に書いた過激集団に拒否される。
その合間、合間にイスラエルに対してテロを起こし、たくさん人を殺してきた。

1967年の第3次中東戦争は六日間戦争とも呼ばれ、イスラエルがエジプト、シリア、ヨルダンの連合軍を破り、それまでヨルダン領だった西岸と、エジプト領だったガザを占領し、今に至るパレスチナ問題を生み出した戦争だ。
この戦争で功績をあげた有名な将軍がいる。マッティ・ペレドと言う名のイスラエル人だ。彼は40半ばで現役軍人を退職し、その後はアラブ民族とその言語に興味を示し、イエルサレム大学でオリエント(中近東、アラブ民族)について学ぶ。
その後は1995年に亡くなるまで、平和主義者としてイスラエルとパレスチナの和解のため、相互の理解を深めるため、尽力した。
ウィキペディアでこの人物について読み、感動した。
イスラエルにはどうしても親近感が持てなかった私だが、やはり、どの国にも難しい状況を客観的に見極め、自身の国をも批判できる聡明な人格の持ち主は存在するんだ、と心動かされた。その国の動向に納得できないからと言って、国民すべてを同罪だと決めつけるのは絶対にいけない。

マッティ・ペレドの死後、悲劇は起きる。
1997年9月4日、イスラエルの西エルサレムにある繁華街でパレスチナ人青年が自爆テロを起こし、通行人ら8人が死亡する事件があった。
この8人の死者の中に、スマダル・エルナハンという14歳の少女がいた。
彼女の母親が、他でもないマッティ・ペレドの娘ヌリド・ペレド・エルナハンだった。

愛娘が殺された後、マスコミからコメントを求められた父母は
「娘が死んだことに対して、テロリストよりもイスラエル政府に大きな責任がある。」と答えた。

ヌリド・ペレド・エルナハンはこう語った。
「過去にマスコミは私に、幾度となく挑発的にこう質問しました。
もし、あなたの娘または息子がパレスチナのテロリストに殺されたとしても、あなたは同じことを言えますか、と。
私はその都度同じ答えを返しました。
それでも、私は私の考えを変えないでしょう。
イスラエルの最悪な政治方針がパレスチナの人々を絶望的な状況に追いやっているのであり、それがすべての災いの根源であるということ。
もし私の子供にその不幸が降りかかるのであれば、それは2つの民族が共存する道のみがこの負のスパイラルを、罪のない民間人を死に追いやる悪循環を止めることができるという自分の信念を強調することにしかなりません。

そして今、その最悪の不幸が現実のものとなりました。だからこそ私は、私の信念を繰り返し語ります。過去よりも強く、涙しながら、死んだ娘の焼けただれた顔を思い出しながら、主張します。今のイスラエルの政治が、政治家が、私の娘を殺したんだと。」

引用:

https://monde-diplomatique.de/artikel/!3204837  (ドイツ語)

https://tanakanews.com/c1007israel.htm



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?