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モノローグ

私の母は今年の始めに80歳になった。
彼女の認知障害はここ数年ゆっくりと悪化していっている。
まだ自分の忘れっぽさには自覚があり、今の状態は彼女自身にとって進行している認知症より苦しいことだろう。
自分がどんどん忘れていくことを嘆き、周りの家族に迷惑をかけることを悲しみ、自分がまだ生き永らえていることに憤りを感じている。

「自分が逝きたいときに逝けないのは、つらいねえ。
もし選べるんだったら、私はもう逝きたいよ。」

私は答えに困る。

死んでほしくない。
でも今の生活は母にとって生き地獄なのかもしれない。
どっちにしろ、人は自分の死に様は選べない。

あるがまま、時が来たらこの世を去りたい。
母の願いは自死ではない。
ただ老いることが彼女にとってここまで苦痛なことだとは、彼女自身の想定外だった。

私はそんな母に、大したことは何もしてあげられない。
もう逝きたいよ、と言われたら、言葉に詰まる。
そしてしばらく沈黙した後、当たり障りのない話題でその場にある悲しくて重い空気を紛らわそうとする。

大体自分の子供の話をする。
そうするとしばらくの間、笑ってくれる。
でもそれは彼女にとってつかの間の休息にすぎない。

こんな状態の母と、ずっと一緒に暮らして支えている父は一体、どうやってこの答えのない悲しさと付き合っているんだろう。
少しの間、一緒に時を過ごすだけで居心地が悪くなってしまう自分の弱さよ。
私は母が衰えていく様を、自分自身の衰えに混乱している様をみるのがこの上なくつらい。
息が詰まる。逃げ出したくなる。
母に対して怒りさえ感じる。

そう。
自分の感情は勝手に湧き出てくる。
さらけ出してしまえ。
そして向き合え。
自分の弱さを認めろ。

そして、今だになお、逃げ出していない強さも
自分の中にあることをちゃんと見ろ。

何もできないけれど、
母に無言で寄り添ってあげることはできる。
罵倒しないで無言でいることはできる。
ごめんね、と言われて、うん、大丈夫だよ、私はここにいる、って答えている自分がいる。
大丈夫。

生と死は、同じ場所にある

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