見出し画像

助けを許容できる力と新しい「おあしす」

雨の日と体調がイマイチな時以外は、駅から職場までの片道30分を歩くようにしています。バス代も勿体無いですし、歩くことがいい有酸素運動にもなりますので。

そうして歩いている中で、過去のことも色々と思い出して分析できるようになって来た気がします。ただ後悔するだけではなく、その原因は何だったのか、なぜ他の人はその失敗をしていない、していても重大になっていないのかと言った形で。

なぜ一人で抱え込む?

例えば、自分はこれまでに

「他人に助けや教えを求められない」
「一人であれもこれも抱えてしまう」
「抱え切れずに周囲に迷惑をかけ、自身もいろいろ失う」

といった失敗を、これまでに何度も繰り返して来ました。これ、いったい何でだろうな?

とこないだ、連休前の最終出勤日に歩きながら考えました。
単に子供のころ教えられなかったから? 失敗をするたびに、冷静に分析しなかったから?

それはうわべの原因に過ぎない。本当の原因は「自己肯定感の少なさ」にあるんじゃないかな、と、こないだようやくわかりました。

助けを受け止める余裕

私達は「自分のことは自分一人で」という原則を親から、学校で教育されながら育っていきますから、それを達成できた時に当然自己肯定感を得ることができる。これは大人になっても変わりません。

ところが、自己肯定感が少ない人、例えば成功体験に巡り合えなかった人とか、自己肯定感を一度は得ても失ってしまった人にとってこの原則は負の方向性で働きます。

助けや教えを求めるということをただでさえ少ない自己肯定感を、さらに擦り減らせるイベントとして捉えてしまうので、出来るだけ避けたい、つまり自己肯定感を守るために助けや教えを受けたくない、という方向性で捉えてしまうのです。たかがちょっと手伝ってもらう程度で自己肯定感はそんなに削れない、という正論は、こういった人達の耳には全く届くはずもなく。

大人になってより高度な教育や仕事を経験するようになると、自分から誰かの助けや教えを乞わないと、達成できないようなことも出てきます。すると今度はこの原則と逆のことをしなければならない場面が増えるので、これはたいへん不利に働きます。

一方でうまく他人の助力や教えを引き出せる人が最初から「たかがちょっと手伝ってもらっても、自己肯定感は削れない」と知っているかというとそんなことはなく。最初は苦手意識を持っていたり、下手するといまだに他人の力は借りたくない、と思っているプライド高めの人だっています。

では、何が違うのか、というと「たとえごっそり削れたとしても問題ない程度の自己肯定感」があるので、最初に教えや助けを乞うことに対するハードルが低いんですよね。

そうすると「実はそんなに自己肯定感も削れない」という経験を得て、その後適切に他人の力を借りられることにつながるのです。

ただもっとも、最初は適切に他人の力を借りられていた人でも、その後自己肯定感の下がるようなライフイベントを経て守りに入り、助力を受け入れられなくなる、ということはあると思いますが。

提案:新しい「おあしす」

適切に他人の助力や教えを得られるようになるために(少なくとも独力で抱え込んで失敗しないように)はまず盤石な自己肯定感が必要、という話はこれまでにして来た通りです。

では、どうやれば身につくか。そこでワタシは「新しい『おあしす』」というものを思い付きました。

既存の「おあしす」は、色々な場でよく教育に使われる通り

  • おはようございます

  • ありがとう

  • しつれいします

  • すみません

の4つのことばを口癖にしましょう、というスローガンですが、今回提案する「おあしす」は

  • おねがいします

  • あなたはあなた、わたしはわたし

  • 〜しませんか(〜しましょう)

  • すごい

の4つの言葉を口癖にして、自己肯定感を高めていき、一人で抱え込むことのないようにしましょうという提案です。大上段に立ち過ぎですが。

・おねがいします

これは「依頼」。このおあしすを通して、適切に使えるようになるといいね、ってゴールでもあり、自己肯定感を高めるために「一人で抱え込まなくていい」と思えるようになるためのスタートでもあります。

・あなたはあなた、わたしはわたし

これは「自他境界」。これも自己肯定感の基本ではありますね。具体的にどうやってこれを築いていくかっていうのは、他にも詳しい記事があるので省略します。これとかオススメ;

(まぁ、ワタシ自身それを築いている途中というのも、あるのですが……)

・〜しませんか(〜しましょう)

これは「巻き込み力」。「おねがいします」じゃハードルが高いって時は、一緒に何かしよう、と誘う体験をすることでお互いの得意不得意を見つけて、自己肯定感を高め合おう、とするための言葉です。

・すごい

最後のこれは、とにかく「賞賛」! ほめよう!ということです。というより、正直、何もなくてもこれだけは自己肯定感に絶対効く! って感じはあります。とにかく褒めましょう。それもお互いに。でもそれだけだと空虚で付け焼き刃ですからほかの「お」「あ」「し」があるわけです。

余談

新しい「おあしす」ですが、最初は「変な方向性の自尊心しか持ってない『謝ったら死ぬ病』の奴多いし『すみません』のままでいーかー」とか思ってました。乱暴ですね。

なおワタシがこれを実行できているかというとそんなことは全くありません。終わり。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?