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学士論文

研究テーマ

日本の若者の社会的孤立問題~ウェルビーイング経営からのアプローチ~
(Social Isolation of the Young in Japan ~Approaches from Well-being Management~)

要約

日本語要約

 本研究は、ウェルビーイング経営(=企業の経営手法の一つであり、社員の身体的、精神的、社会的健康などの推進を通した幸福感の醸成を重視すると同時に、収益性向上にも結び付けようとするもの)の現状を分析し、課題を検討することにより、日本における若者の社会的孤立問題の解決に寄与することを目指している。社会的孤立にはひきこもりやニート、不登校などが一例として挙げられ、現代の若者の間に広がる社会問題の一つとして注目されている。社会的孤立の現状分析から、当問題に関連する3要素として、「貧困」「雇用」「自己形成」が抽出された。そのうち「雇用」を軸に考察を進めると、職場環境改善の観点から職場に対して社会的居場所としての機能を付与・強化させることによる問題解決の可能性が見られた。さらに、日本の若年労働者の現状を踏まえて、職場環境改善に取り組むにあたり目指すべきゴールを「ウェルビーイング経営が達成された状態」と設定し、ウェルビーイング経営に取り組む企業の事例考察を行った。その結果、ウェルビーイング経営の達成要因のうち、ハード面(給与・勤務時間・勤務場所・福利厚生等)については取り組みが進んでいることが確認された一方で、ソフト面(経営者の理解と社員との信頼・会社の文化・自主性・心理的安全・成長促進等)についてはハード面に比べて取り組みが進んでいないという点が、ウェルビーイング経営の取り組み全体における現状の課題として見えた。そこで、ソフト面に関する課題解決の糸口を発見することを目的に、ウェルビーイング経営に取り組む大企業・中小企業へのヒアリングを実施し、得られた情報の比較分析を行った。そこから見えた課題を踏まえ、「体」の健康だけでなく「心」の健康についても十分に考慮された施策を検討すると同時に、今後のウェルビーイング経営の可能性を検討した。

英語要約

 The purpose of this study is to contribute to solving the problem of social isolation of young people in Japan by analyzing the current state of well-being management (i.e., a corporate management approach that emphasizes fostering a sense of well-being through the promotion of employees' physical, mental, and social health, while also trying to increase profitability) and examining issues. Social isolation includes social withdrawal, NEET, and truancy as examples, and is attracting attention as one of the social problems spreading among today's youth. Based on an analysis of the current state of social isolation, we identified "poverty," "employment," and "self-formation" as the three factors related to this problem. In examining "employment," the study found the possibility of solving the problem by giving and strengthening the workplace's function as a social place to stay from the perspective of improving the workplace environment. Furthermore, based on the current situation of young workers in Japan, the goal to be achieved in improving the workplace environment was set as "a state in which well-being management has been achieved," and case studies of companies engaged in well-being management were examined. As a result, it was confirmed that among the factors for achieving well-being management, progress has been made on the hard aspects (salary, working hours, work place, benefits, etc.), while progress on the soft aspects (management understanding and trust with employees, company culture, autonomy, psychological safety, growth promotion, etc.) was less advanced than on the hard aspects. Therefore, with the aim of discovering clues to solving issues related to the soft aspects, interviews were conducted with large and small companies engaged in well-being management, and a comparative analysis of the information obtained was conducted. Based on the issues that emerged, we examined measures that fully consider not only "physical" health but also "mental" health, and at the same time, examined the possibilities for well-being management in the future.


はじめに

 現代の日本社会における問題の一つとして、他者とのコミュニティとほとんど接触がない状態を指す「社会的孤立」がある。これまで、高齢化を背景として高齢者の社会的孤立を中心に検討された例が多い中、本研究では、特に働く若者の現状に問題意識を向けている。
本研究の目的は、日本における若者の社会的孤立の改善に寄与することである。そのためのアプローチとして、会社の経営手法の一つであるウェルビーイング経営の観点から「職場」に着目し、職場が社会的居場所としての機能を持つ可能性を検討している。企業におけるウェルビーイング経営の実態を明らかにするために、文献調査によって企業6社の取り組み事例の分析を行さらに大企業1社と中小企業1社を対象とした社員へのインタビュー調査を実施して、ハード面・ソフト面の両面から職場のウェルビーイングの現状を考察していく。
 本研究を通して、職場が他者との適切なつながりを持つことのできる社会的居場所として機能することが明らかにされることで、深刻化する若者の孤立や自殺の予防に繋がり、社会的孤立という現代の社会問題の一つに対する一定の改善に寄与することが可能となる点に社会的意義があるといえる。
 本稿の構成は次の通りである。第1章では、社会的孤立に対して問題意識を抱いた背景について、海外との比較を中心に3つの事実に基づいて説明する。また、「若者の社会的孤立」および「社会的居場所」という主題に対して本研究での定義づけを行う。
 第2章では、社会的孤立に関する先行研究の分析から、社会的孤立に関連している3つの要素として「貧困」「雇用」「自己形成」を抽出し、社会的孤立とこれら3つの関係性について構造的に明らかにする。そして、社会的孤立の発生の根幹として位置付けた「雇用」に問題の焦点を当て、雇用と若者の現状について、➀仕事像・職場環境に対する理想と現状、②職場における人間関係の質と量、③若者の自殺と勤務問題、④職場におけるワーク・エンゲージメントの4つの観点から分析を行う。その結果、社会的孤立問題に対して「職場」に焦点を当てたアプロ―チに一定の妥当性があると考え、「職場環境改善のアプロ―チから、職場に対して社会的居場所としての機能を付与・強化させることで、若年労働者を中心とした社会的孤立の改善に寄与できるのではないか」という仮説を設定する。
 第3章では、職場環境改善に取り組むにあたり本研究で目指すゴールを「ウェルビーイング経営の達成」として再設定し、文献調査からウェルビーイング経営に取り組む企業の事例分析を行う。
 そこから見えた課題を踏まえ、第4章では、企業2社の社員に対するインタビュー調査を実施した。実際の社内におけるウェルビーイング経営の実態について聞き取り、その内容についてウェルビーイング経営達成要因のうち内発的動機(ソフト面)の観点から考察する。
 第5章では、これまでの調査で得た内容をウェルビーイングの評価指標に基づき分析し、職場が社会的居場所として機能する可能性について検討する。そして、仮説に対して本研究における見解を示す。

第1章 社会的孤立への着目

第1節 研究背景

 本研究の問題意識は大きく次の3つの事実に基づいている。1つ目に、日本の若者の自殺率の高さである。厚生労働省の『令和2年版自殺対策白書』によると、国内における15歳~39歳の各年代での死因で最も多いのが自殺であり、若い世代(15~34歳)で死因の第1位が自殺である国は、先進国(G7)のうち日本のみである。2つ目に、「家族以外の人」との交流がない人の割合の高さである。OECD(2005)の報告によると、日本において、家族以外の人との交流がない人の割合は、当時の加盟国全30か国中トップである15.3%となっている。3つ目に、コロナ禍で若者の「孤立」が深刻化していることである。厚生労働省が2020年に公表した『自殺対策白書』によると、コロナ禍による影響もあり2019年から2020年にかけて若者自殺率の上昇が目立つ結果となっている。また、最新の同調査結果から、20代の自殺増加傾向は続いていること確認できる。さらに、内閣官房孤独・孤立対策担当室(2023)の調査によると、孤独感を最も感じている年代層は20代であり、半数近くの47.9%を占めている。2021年の同調査では44.4%であり、3.5ポイント上昇している。
 こうした事実から、今日の日本の若者が抱える社会的孤立に対する問題意識に至った。

第2節 語義の確認ー本研究での定義づけー

 「若者」と「孤立」について本研究では次のように解釈し、定義する。田中ら(2015)によると、若者には複数の定義が存在し、青春期にある若い男女、14,5歳から24,5歳頃までをいうが、広く 30代をも含める場合もある。また、青年と同義で使われることが多く、厚生労働省の定義上では、15歳~25歳が青年期とされている。同じく田中ら(2015)は、孤立について「仲間がなく、一つだけで存在すること」、「一つまたは一人だけ他から離れて、つながりや助けのないこと」と説明する。類似概念に孤独があるが、孤独が心理的(主観的)な状態を指すのに対し、孤立は客観的状態を指す点で違いが見られる。
 以上の先行研究を踏まえ、本研究では、若者の社会的孤立を「20~29歳の人々の、客観的・主観(心理)的の両方の視点から、質・量の両面において社会的なつながりが不足している状態」と定義して扱うこととする。ここでは研究の便宜上、多くの既存の統計資料で用いられる年代別区分の方式に基づき年齢を20~29歳と定め、社会的孤立の「孤立」に孤独の語義も含めることとする。
 また、「社会的居場所」とは、他者から得られる自己対象に触れることにより、自己の存在や自分らしさを確認できることで自己にまとまりを与える体験ができる場のことであり、「個人的居場所」の対となる居場所の概念である。原田・滝脇(2014)と中藤(2011)の研究より、居場所の性質がこの2つに大別され、主に他者との関係の有無について相違があることが明らかにされた。本研究では、社会的な他者との「繋がり」を持つことが孤立状態から抜け出すための必要条件としているため、本研究における居場所の定義は「社会的居場所」と同義として扱うこととする。

第2章 社会的孤立に関する先行研究

 本章では、社会的孤立に関連する3つの要素(貧困、雇用、自己形成)を明らかにし、各要素の構造的理解と研究の軸(=雇用)を決定する。さらに、焦点を当てた雇用と若者の現状について考察し、問題に対するアプローチ方法を検討したのち、仮説の設定を行う。

第1節 社会的孤立の概念整理

 内閣府『平成29年版子供・若者白書』に記載された「子供・若者の意識に関する調査(2016)」の結果から、他者とのつながりの認識が弱い者の特徴は、➀暮らし向きが良くないと感じる者、②無業者、③外向性・調和性が低い者の3点が挙げられる。また、古賀(2021)の研究から、ハラスメントや経済的困窮、いじめ、不登校といった困難経験・問題体験を持つ者の特徴として、④調和性が低く、対人関係への苦手意識がある、⑤困難を感じた最大の要因が「自分自身」にあると認識している、⑥自信の無さや自己否定の感覚が強いことの3点が挙げられる。これら➀~⑥を踏まえると、若者の孤立に繋がる要素として、「貧困」、「雇用」、「自己形成」に困難を抱えていると考えられる。
 若者の孤立に繋がる要素として挙げた貧困と雇用の背景について、増淵(2021)は、戦後から現在までを4つに区分することで説明している。各区分の特徴は次の通りである。まず、第1の戦後復興期では、教育が大衆規模で拡大していく。第2の高度経済成長期では、教育水準の上昇・拡大、及び製造業の成長により、新規一括採用、年功序列、終身雇用、学歴主義化を特徴とする日本型雇用制度が確立する。増淵はこれを「戦後型青年期モデルの成立」と呼ぶ。第3の移行期では、学生時代の長期化、サービス経済の拡大によりパートやアルバイトが急増し、フリーターも誕生する。また、教育現場では、受験や学歴競争、いじめや不登校が発生するようになる。第4の構造転換期では、バブル景気とその崩壊により、日本型雇用制度が崩壊する(戦後型青年期モデルの崩壊)。一方、学歴重視の風潮が強まり、労働市場における若者の選別化や二極化が生じる。その結果、フリーターの増加・格差拡大が起き、2000年代以降は学校現場や職場において、何かしらの困難を抱え帰属できない若者が目立つようになっていった。以降、若者の問題の認知が広がり、若者の自立・就労支援政策が動き始めた。また、労働市場において不利な立場を経験する若者は、学校環境や家庭内で多様な問題を抱えている経験があることも明らかにされた。

図1:4つの時期の区分と変遷[増淵(2021)より筆者作成]

 高橋(2011)は、若者の貧困化の背景として「経済の変動」と「雇用政策の転換」を挙げている。1990年初頭のバブル崩壊による日本経済の悪化を受けて、企業は続々とリストラを実施し、人件費の削減を図っていった。つまり、これまで定番であった日本型雇用へメスをいれ、雇用政策の転換を図ったことが、労働者の貧困増大をもたらしたと指摘している。また、このような雇用政策の転換を受けて、1990年代半ばからは、若者はワーキングプア(働く貧困層)となっていき、さらには正規・非正規という労働者全体の2群化が進んだことで、貧困は長期化・固定化していった。このことから、雇用と貧困の2つの要素について、雇用の変化が貧困化をもたらしたと考えられる。
 また、自己形成について、原田・滝脇(2014)と中藤(2011)の研究から、社会的居場所との強い関連性がうかがえる。まず、社会的居場所は、承認的居場所、受容的居場所、所属的居場所の3つの構成要素から成り立ち、これらはそれぞれ、個人に対して自己有用感・役割感、被受容感、帰属意識を与える役割を有するとしている(原田・滝脇)。また、居場所は自己形成の場としても成り立ち、それは継続的であることや、共感的・受動的な他者が存在していることといった性質を持つとされている(中藤)。つまり、自己形成は、継続的な社会的居場所の確保により担保される要素であるといえる。
 以上を踏まえ、3要素および社会的孤立を、本研究において構造的に示したものを図2で示す。つまり、バブル崩壊以降の雇用制度の変容によって若者の貧困がもたらされ、社会的孤立が常態化し、そこに対して社会的居場所の獲得のためのアプロ―チを行うことに本研究の立場をとる。また、その結果もたらされるメリットの一つに、自己形成の促進がある。

図2:本研究における3要素の構造的理解(筆者作成)

第2節 「職場」からのアプローチの妥当性の検討

 ここでは、社会的孤立を取り巻く問題が広範囲である中、発生要因として位置付けた雇用と若者の現状について4つの観点から検討する。
 1つ目に、仕事像・職場環境に対する理想像と現状についてである。長沢(2017)をはじめとする先行研究より、1980~90年代には、仕事において業績・能力を重視し、自己本位的な職場環境を望むという労働意識が一般的であった一方で、現在では、仕事の安定性を重視し、職場では人間関係や社会貢献を望む傾向にあることが示されている。こうした若者の労働意識を理想像として設定すると、実態は理想に逆行する様相を呈していると先行研究は指摘する。高橋(2011)、長沢(2017)によると、現在の若者労働者の実態として、非正規雇用の増加、仕事における共同性の自覚・相互援助の意識の喪失、社会に対する不信感や無関心な態度の醸成が見られている。つまり、若者が仕事や職場に対して抱く理想像と現状の間には、安定性や人間関係、社会とのかかわり方などについて、乖離が生じているといえる。
 2つ目に、職場における人間関係の質の希薄さである。RECRUIT(2021)は、交流のある人間関係の種類とその割合について、5か国(日本、アメリカ、フランス、デンマーク、中国)の対象に比較している。これによると、日本は他国に比べ、交流のある人間関係として当てはまる環境の種類数が少なく、家庭と職場に人間関係が集中する傾向が見られている。その一方で、内閣府(2018)の調査によると、職場は他の環境(自分の部屋、家庭、学校、地域、インターネット空間)と比べて居場所感を感じていない人の割合が高いということが明らかとなっている。つまり、職場における人間関係は「量」は担保されている一方で、「質」が不足しており、それが職場環境に対する居場所感の低さに繋がっていると考えられる。
 3つ目に、若者の自殺に対する勤務問題の影響である。『令和4年版自殺対策白書』によると、「勤務問題」が自殺動機となる割合が最も高い年代が20代であり、健康問題、経済・生活問題に次ぐ3番目の自殺動機(16.7%)となっている。このことから、特に若者の自殺に対する勤務問題の影響度の大きさがうかがえる。
 4つ目に、労働者のワーク・エンゲージメントについてである。磯部ら(2022)はワーク・エンゲージメントの国際比較を行っている。ワーク・エンゲージメントの測定には、「活力・熱意・没頭」の3要素で構成されるユトレヒト・ワーク・エンゲージメント尺度(UWES)が最も広く活用されており、ここでもそれを使用して16か国のスコアが比較された。その結果、他15か国に比べて日本はワーク・エンゲージメントが低い傾向にあることが示されている。また、リクルートマネジメントソリューションズ(2020)は、国内におけるワーク・エンゲージメントの実態について、UWESを使用して「活力・熱意・没頭」の3要素につき各3項目の全9項目から分析している。その結果は、9項目中6項目において、7割以上の回答がネガティブな回答になっており、また、バーンアウト尺度を使用した別調査では、約4割が週1回以上の頻度で心身を疲弊させていることが明らかにされた。
 以上、➀仕事像・職場環境について、若者が抱く理想と現状の乖離が発生している、②職場における人間関係の「量」が多い一方で、「質」が担保されていない、③若者の自殺に対する「勤務問題」の影響度の大きさ、④職場におけるワーク・エンゲージメントの低さの4つの点から、社会的居場所を獲得する方法として「職場」に焦点を当てたアプローチが妥当であると判断し、仮説を設定する。

第3節 仮説の設定 

 前述した若者と雇用の現状から、「職場」に焦点を当てたアプロ―チに一定の妥当性があると考え、「職場環境改善のアプロ―チから、職場に対して社会的居場所としての機能を付与・強化させることで、若年労働者を中心とした社会的孤立の改善に寄与できるのではないか」という仮説を設定し、検証を進めていく。

第3章 ウェルビーイング経営の視点から

 前章で設定した仮説を検証するために、本研究では文献調査とインタビュー調査を実施した。本章では、まず研究ゴールについてウェルビーイング経営に着眼点を置いて研究ゴールを再設定するのち、ウェルビーイング経営の意義と評価指標および企業の取り組み事例の考察の2点について、文献調査を行った結果をまとめる。

第1節 研究ゴールの再設定

 第2章で言及した国内の若者と雇用の現状を踏まえ、職場環境改善に取り組むにあたり本研究で目指すゴールを「ウェルビーイング経営の達成」とする。上田(2023)は、ウェルビーイング経営を「社員の身体的、精神的、社会的健康などの推進を通した幸福感の醸成を企業の重要な経営課題と捉えると同時に、収益性向上にも結び付け、統合的に捉えようとする経営手法」と説明する。また、類似概念として「健康経営」という言葉がある。健康経営とウェルビーイング経営との相違点としては、取り組みによる到達目標の違いが挙げられる。健康経営は、社員の健康を通して、将来的に企業の収益性を高めること(=会社視点)であるのに対し、ウェルビーイング経営は、社員の職場/人生での「良好な状態」「満たされた状態」(=社員視点)である。一方で、社員の身体的・心理的健康に配慮する点や、取り組みが結果的に持続的な会社経営に繋がる点が両者の類似点として挙げられることから、本研究では両者を同義として扱うこととする。

第2節 ウェルビーイング経営に取り組む意義

 ウェルビーイング経営に取り組むことによる意義は多岐に渡る。日経BPコンサルティング(2021)によると、企業がウェルビーイングに取り組むメリットとして次の3つが挙げられる。1つ目に、優秀な人材の確保である。継続的な労働人口の減少が予測される中で、新卒採用~長期育成を前提とした日本型雇用にとって、離職は大きな損失となるが、実際のところ入社3年以内の離職率は約3割と決して低くない数字である。そんな中、ウェルビーイングは離職率低下に寄与するとされている。また、就職活動時には求職者が口コミサイトを利用することが一般化しており、ウェルビーイングが口コミサイトの評価を左右する要因となることから、採用観点からも重要度の高いといえる。2つ目のメリットは、生産性の向上である。ウェルビーイングは、経営を左右する重要指標(生産性、創造性、売上)との強い相関が指摘されている。3つ目に、人的資本情報開示とSDGsである。投資意思決定において、非財務情報の重要度が高まる中、人材に関する情報が企業価値を示す重要指標の一つとして認識されるようになっている。2018年には始めて企業の人的資本開示の国際標準ガイドラインが発表され、その開示項目の多くにウェルビーイングが直接的または間接的に関わっている。また、SDGsの目標8「働きがいも、経済成長も」の中で、特に「2030年までに、若者や障害者を含むすべての男性及び女性の、完全かつ生産的な雇用及び働きがいのある人間らしい仕事、ならびに同一労働同一賃金を達成する。」において、ウェルビーイングが重要となってくる。また、[1]経済産業省の調査によれば、健康経営銘柄を取得している企業は、TOPIX(東証株価指数)との比較において、株価が優位に推移し、市場から高く評価されているという。つまり、企業がウェルビーイング経営に取り組むことで、企業の信頼性の向上や、長期的な企業価値の向上に結び付くといえる。
 さらに、従業員の立場からも、身体的・精神的健康の向上、ワーク・エンゲージメントの向上、業務効率の向上、人間関係の質の向上など、ウェルビーイング経営によるメリットが多数挙げあれる。
 また、 [2]国立社会保障・人口問題研究所が2010年に公表した「自殺・うつ対策の経済的便益(自殺・うつによる社会損失)の推計」によれば、自殺やうつなどの日本人の心の不調による経済的損失は約2兆6782億円に上るとされており、誰もが幸せな環境にいてこの経済損失がなくなれば、日本のGDPはこれだけでも0.5%上昇する推計になる。そのため、間接的な効果ではあるものの、ウェルビーイング経営を達成することには、労働者の心の不調を取り除くことによる一定の経済効果も期待できる。


[1] 齋藤敦子(2022)「ウェルビーイングな働き方を支える職場環境とは」『情報の科学と技術』72巻9号p338

[2] 保井俊之(2021)「従業員の主観的ウェルビーイングとレジリエンスが企業の持続的成長の切り札に([特集]“幸せ経営”のすゝめ➀)」『商工ジャーナル』p16

第3節 評価指標および企業の取り組み事例

 保井(2021)は、ウェルビーイング経営の実現のための評価指標として次の複数の研究を取りあげている。PERMA(パーマ)理論は、マーチン・セリグマン教授=ペンシルベニア大学により提唱された理論であり、ウェルビーイング向上のための5つの要素として、P(ポジティブ感情)、E(ワーク・エンゲージメント)、R(ポジティブな関係)、M(生きる意義や目的)、A(自己実現)を挙げている。また、前野隆司教授ら=慶應義塾大学大学院は、幸せの4因子として➀自己実現と成長、②繋がりと感謝、③前向きと楽観、④独立とマイペースを抽出し、この4つが日本人の幸福への鍵を握るとしている。さらに、パーソル総合研究所と前の教授らの研究チームによると、職場における幸せおよび不幸せはそれぞれ7つの因子に起因し、幸せ7因子は[自己成長、リフレッシュ、チームワーク、他者承認、他者貢献、自己裁量、役割認識]から成り、不幸せ7因子は[自己抑圧、理不尽、協働不全、不快空間、評価不満、疎外感、オーバーワーク]から成る。これらの評価指標は、後述する「ウェルビーイング経営達成要因」から分析した企業のソフト面の実態を評価する際に活用できる。
 企業の取り組みに対する評価指標には、政府による認定制度も存在する。女性の活躍への積極性を評価する「えるぼし/プラチナえるぼし」や、若者の雇用への積極性を評価する「ユースエール」、子育ての応援への積極性を評価する「くるみん/プラチナくるみん」などがある中で、ここでは最もトータルバランスが重視された「健康経営銘柄」に選出された企業の取り組みに注目する。この銘柄は、経済産業省と東京証券取引所が共同実施する認定制度である。
 今回、取り組み事例の調査対象として取り上げた企業は、SCSK株式会社、TOTO株式会社、東京海上日動システムズ株式会社、リコーリース株式会社、株式会社丸井グループ、アサヒグループホールディングス株式会社の6社である。これらの共通点は、東証一部上場企業であること、健康経営銘柄2023に選出されていること、選出回数が6回以上であることであり、現在の日本企業において、ウェルビーイング経営に高水準に取り組む代表企業として挙げることができる。主に各社の企業ホームページや報告書等から情報を収集し、図3で示す上田(2020)の「ウェルビーイング経営達成要因の体系図」を用いて、取り組み内容の整理・分析を行った。以下では、対象企業6社の事業内容及び主なハード項目の内容と、ウェルビーイングに関連する取り組みの特徴をまとめる。なお、ハード項目の情報は、有価証券報告書(2022年~2023年)および各社募集要項ページに基づいている。

図3:ウェルビーイング経営達成要因の体系図(上田,2020)

【6社の事業内容・主なハード項目】

【ウェルビーイングに関する取り組みの特徴】

SCSK株式会社

●健康経営の取り組み:3つの改革
➀スマートワーク・チャレンジ…長時間労働を効率的な働き方で改善する
②どこでもWORK… “画一的”から“柔軟”な働き方へ
③健康ワクワクマイレージ…心身ともに健康的な職場へ

●取り組みの効果実証
全社員を対象に「健康に関するアンケート」を実施しており、その回答率は90%以上に上る。

TOTO株式会社

●重点的な4つの取り組み
➀健康管理 ②メンタルヘルス対策 ③感染症対策 ④健康増進

●社員の主体性を育む施策
「健康ポータルサイト」の導入…社員自身が、健康の維持・改善のためのサイクルを自ら回せることを目標とする。取り組みの具体例には、社員自身の健康診断結果の閲覧、各人の健康状況に応じた記事や重症化予防通知、健康保険組合からのお知らせ等の発信と会社や健康保険組合の施策・イベントとの連動などが挙げられる。 

東京海上日動システムズ株式会社

●健康経営に関する方針
1.社員一人ひとりが自らの健康について意識し、その家族を含め、健康管理に取り組みます。
2.会社は、健康施策を通じて、社員の健康保持・増進を積極的に支援します。
3.社員がやりがいを持って安心して働くことのできる、快適な職場環境の形成に勤めます。
これらが、ビジョンである「ITでグローバルに東京海上グループを支える会社“Good Company” 」を作る基盤そのものとなる。

●社員の健康への6つの重点対策
➀健康意識向上対策 ②健康増進対策 ③生活習慣予防対策
④職場環境に関する対策 ⑤感染症対策 ⑥法令遵守

●健康データ
定期健診の受診率は2020~21年度に100%を達成している。また、ストレスチェックの一斉実施の結果、2022年度受診率は93.7%の高水準を達成している。 

リコーリース株式会社

●健康経営:働き方改革の実現
ワークライフマネジメントの取り組みにより、「より柔軟な働き方ができる環境整備」や「労働時間の適正管理と年休の取得促進」が進められる。
また、健康経営推進の取り組みにより、喫煙対策、健康維持・増進の取組の強化、感染症への対応が取られている。

株式会社丸井グループ

●ウェルビーイング活動の会社目標
社員一人一人が意識や行動を変え生産性をアップさせることで、企業価値向上と社会貢献へつなげることをウェルビーイング活動の目的としている。そして、「病気にならないこと(=基盤)」だけでなく、「今よりもっと活力高く、しあわせになること(=活力)」が重要であるという考えのもと、「活力×基盤のウェルビーイング経営」を推進している。

●社員自らが自発的に活動に参加する組織風土
主体的なメンバーによるボトムアップの取り組みを、管理職メンバーが支えることで、社内外への広い活動浸透を実現している。2019年度調査では、社員の67%がウェルビーイング活動に参加し、ウェルビーイング活動に関するプロジェクトの参加メンバーの意識と行動にもポジティブな変化が見られている。

アサヒグループホールディングス株式会社

●健康増進における基本的な考え方
「社員一人ひとりが健康づくりに取り組み、お互いに健全な心身を保ち、ともに充実した人生を実現すること」と位置付けている。

●取り組み事例
特定保健指導対策の実施により、個々に合った目標設定を可能にしている。また、健康保険組合施策「マイヘルスアップキャンペーン」では、自身のライフスタイルをより望ましく改善できるよう健康行動の行動変容を促している。

 以上、文献調査の対象として選出した6社の取り組みの分析の結果見えてきた共通点は、次の通りである。まず、前提として一定水準以上の会社規模と[3]給与、福利厚生が整っていることだ。そして、社員の主体性、個人を尊重したキャリア形成、柔軟な働き方を実現するための仕組みが整備されていることが挙げられる。さらに、仕組みの導入だけでなく、社員の認知度・浸透度(利用度)が高いことが、ウェルビーイング経営の観点から見た際の企業の高評価に繋がっていると考えられる。その一方で、ここまで収集した情報から得られる内容には、「体」の健康面に焦点を当てた施策が多く、「心」の健康面についての施策が十分に実施されていることが見受けられなかった。本来、ウェルビーイング経営とは、身体的健康のみでなく、精神的・社会的健康についても考慮に入れられるべき概念であることを鑑みると、日本企業のウェルビーイング経営の取り組みにおける現状として、精神的健康に対する施策が不十分である可能性が考えられる。
 文献調査の課題として、収集可能な情報の限界が挙げられる。企業から公式に開示されている情報は、ウェルビーイング経営の達成要因のうち外発的要因に該当する内容が大半であり、内発的動機、すなわちソフト面の情報を収集するためには、文献調査以外の手段を講じる必要がある。その上で、ウェルビーイング経営の現状を改めて確認し、身体的健康だけでなく、精神的・社会的健康も満たされた施策の在り方について検討していきたい。


[3] 求職情報・転職サイトdodaによると、2023年12月時点で日本のビジネスパーソン(会社員、サラリーマン)の平均年収は全体で414万円である。https://doda.jp/guide/heikin/age/ (最終アクセス:2023年12月17日)

第4章 企業2社へのインタビュー調査

 本章では、前章で課題として挙げたウェルビーイング経営の達成要因のうちの「ソフト面」に着目し、不十分であった情報の補足をするために実施した企業2社へのインタビュー調査の結果についてまとめる。

第1節 調査の概要

 本調査は、企業理念にウェルビーイングを大きく掲げ、社内でもウェルビーイング経営に積極的に取り組むとされている企業2社から各2名の計4名の社員を対象として、11月上旬にZoomを使用した1時間程度のオンライン面談形式で実施した。ウェルビーイング経営達成要因の体系図(上田,2020)のソフト要因の項目〈経営者の理解・経営者と社員間の信頼・会社の文化・自主性・心理的安全・社員の成長・教育と研修・社員間での賛辞〉に基づいて事前に筆者が作成した8つの質問に対して可能な範囲で自由に回答してもらい、その内容を同時に書き起こした。また、論文内では、調査対象者の事前の同意に基づき、公開可能な範囲の情報を記載するものとする。
 また、本インタビューは企業規模および立場・役職の異なる4名を対象として実施している点に特徴がある。対象企業及び社員の詳細は次の通りである。まず、大企業A社(従業員数は約5700名/人材業界大手)から、新入社員Mさんとリーダー社員Hさんを対象とした。Mさんは、新卒入社1年目の23歳であり、転職者支援を行う事業に所属している。Hさんは、新卒入社3年目の25歳であり、人事本部新卒採用部に所属している。関西組織における業務面での責任者としての役割を担っている。次に、中小企業B社(授業員数は6名/逆求人イベントを主とした有料職業紹介事業会社)から、新入社員Sさんと代表取締役Zさんを対象とした。Sさんは、新卒入社1年目の24歳であり、法人営業部に所属している。Zさんは、現在34歳で、前職を経て2020年に起業してB社を創設した。対象者4名の回答内容について、「立場・役職」および「企業規模」の2つの観点から比較し、考察を行った。
 本調査の目的は、大きく3つ挙げられる。1つ目に、実際に現場で働く社員の声を聞くことで、文献調査では不十分であったウェルビーイング経営のソフト面に関する情報を集めることである。2つ目に、立場や役職の違いによって、ウェルビーイング経営についての認識や浸透度の違いがあるのかどうか、またその違いはどのようなものか知ることである。3つ目に、企業規模によって、ウェルビーイング経営のしくみや課題が異なるのか、またどのような違いがあるのかを知ることである。本調査では、ウェルビーイング経営のソフト面の項目に対して、立場や企業規模の違いに着目して分析を行うことで、ウェルビーイング経営の現状および課題に対する解像度が高まることに意義があると考える。

第2節 回答結果と考察

インタビューは以下の8つの質問に沿って実施した。
①       ウェルビーイング経営に対する経営者(会社側)の理解があるかどうか。具体的な事例や理由と共に。
②       経営者と社員間の信頼関係があるかどうか。具体的な事例や理由と共に。
③       会社の文化をどのように解釈しているか。
④       社員の自主性が尊重されていると感じるかどうか。具体的な事例や理由と共に。
⑤       職場に心理的安全を感じるかどうか。具体的な事例や理由と共に。
⑥       社員の成長を促す環境やしくみについて。具体的な事例と共に。
⑦       教育や研修の充実度合いについて。具体的事例と共に。
⑧       社員間で賛辞の言葉を送り合うなどのポジティブなコミュニケーションがあるかどうか。具体的な事例や理由と共に。

各質問に対する回答結果は、以下の通りである。

 以上の回答内容を踏まえ、まず「立場・役職」による比較を行うと、経営側が目指す姿(=企業理念やビジョン・ミッション・バリュー)と社員が目指す姿(=キャリアビジョン)のフィット度合いが高いこと、ウェルビーイング経営に対する理解・信頼関係・自主性の尊重・心理的安全性といった有無を問う質問に対する回答が社員と経営者で一致していることが、若手社員の立場と経営側の立場の共通点として考察できる。また、大企業A社では、若手社員でもマネジメント層でも、会社の理念や経営方針についての理解度や納得感に個人差が見られることが挙げられる。また、中小企業B社では、裁量を持って実際に仕事を行うことが社員の成長に繋がると考えていることから、社員の成長促進のポイントとする点が、社員と経営者とで認識が一致している。一方で、若手社員と経営側との相違点として、施策を講じる側(=経営側)と受け取る側(=社員側)との認識にあると考察できる。特に大企業A社では、経営側が効果・意義があると考え導入した制度であっても、社員の立場からするとその必要性や効果に対して疑問を感じる、といった例が挙げられた。
 次に、「企業規模」による比較を行うと、大企業と中小企業の共通点と相違点として次のように考察できる。共通点としては、ビジョンに「幸せ/幸福」に関連する言葉が使用されていること、会社の上層部と社員の間のコミュニケーション頻度が高いこと、年次によらず社員一人一人に仕事の裁量が与えられていること、採用時に企業のビジョン(・ミッション・バリュー)と個人の価値観のフィット感や近さを重視していること、人格やパーソナリティに対する否定がされない風土があることが挙げられる。これは、ウェルビーイング経営達成要因のソフト項目に繋がる内容であり、社内のウェルビーイングの向上に結び付く要素であると考えられる。一方で、相違点として、1つ目に「経営方針や施策に対する理解度や納得感に社員の個人差が生まれやすいか否か」が挙げられる。A社では個人差が生まれている一方で、B社では個人差がないことが回答内容から考察できる。これは、従業員数の違いや人事の階層構造の複雑さの違いが影響しているのではないかと考えられる。2つ目に、「教育や研修の制度・しくみの数の多さ、充実度が高いか低いか」が挙げられる。A社では充実している一方で、B社ではほとんど見られないが、これは企業規模に伴う予算の問題や、B社は従業員数が少ないことから、一人一人異なる課題に対して同一化された教育や研修を実施することが難しいことが影響していると考えられる。
 以上から、大企業と中小企業は、それぞれウェルビーイング経営を達成する上で抱える主たる課題があり、大企業では「充実した施策の形骸化」、中小企業では「費用面での余裕のなさ」ではないかと考察できる。

第5章 職場が社会的居場所として機能する可能性の検討

 本章では、これまでの文献調査およびインタビュー調査から得たウェルビーイング経営の取り組み内容とそこから見えた現状の実態を踏まえ、職場が社会的居場所として機能する可能性について検討を行い、仮説「ウェルビーイング経営のアプロ―チから、職場に対して社会的居場所としての機能を与えることで、社会的孤立の改善に寄与できるのではないか」に対する見解を示す。
 石本(2010)は、社会的居場所を確保することがウェルビーイングを全体的に高めることを示し、そこに社会的居場所の機能があるとしている。すなわち、社会的居場所として機能するためには、その場所にいることで個人のウェルビーイングの向上に結び付く必要があるということだ。そして、「職場」という場所は、ウェルビーイング経営が達成されることで個人、すなわち社員のウェルビーイング向上に繋がり、社会的居場所としての機能が果たされると考える。
 ただし、これまでの調査から職場の現状をみると、既に達成されており維持すべき点もあれば、今後さらに強化させていくべき点もあるだろう。そこで、第3章・第3節でも取り上げた[4] 「PERMA理論」と「幸せの4因子」を用いてウェルビーイング経営の現状を評価し、更なる発展に向けた提言を行い、本研究のまとめとする。
 PERMA理論は、➀ポジティブ感情、②ワーク・エンゲージメント、③ポジティブな関係、④生きる意義や目的、⑤自己実現の5つの要素から構成される。また、幸せの4因子は、⑥自己実現と成長、⑦つながりと感謝、⑧前向きと楽観、⑨独立とマイペースの4つの要素から構成される。これら9つの要素について「➀と⑧」、「③と⑦」、「④と⑨」、「⑤と⑥」を同義として一括りにし、ここでは「感情」「人間関係」「有意義さ」「自己実現」「ワーク・エンゲージメント」の5つの観点から検討する。
 まず、感情については、職場において社員同士の感謝や喜びを実感する機会を持つことが重要だ。調査から得られた事例では、社員間のコミュニケーションツールに気持ちを伝える機能を組み込むことや、業績以外の複数の尺度も項目に含めた表彰制度などが該当する。前者の施策については、特に大企業では社員全員を巻き込んで行うことは困難であるが、組織やチームごとに取り入れることができるのではないだろうか。
 人間関係は、年次や役職によらず気軽なコミュニケーションがとれる状態であることが重要だ。事例には、役員・マネージャーとの頻繁な面談や定期的な交流会の実施などが挙げられる。特に、上司と頻繁にコミュニケーションを取ることで、仕事面・プライベート面の両面から互いの理解が深まり、若手にとって些細な相談でもしやすい環境となり、職場の心理的安全性の向上にも繋がるだろう。
 有意義さについては、社員各々のニーズに沿った学習機会やツールの充実などが重要となるだろう。大企業では、既にスキルアップのための研修や学習ツール、学びに対する支援制度など充実していることが多い。さらに、会社発信によるものだけではなく、社員発信で実施される取り組みは、気軽さや目的の明確さなどの点から社員にとってのメリットが高まると考えられる。一方、小規模な会社では、働く社員の少なさや費用負担の面などから充実した教育機会の実現には課題があるといえる。
 自己実現については、属する会社が掲げる企業理念やビジョンと、働く社員一人一人のビジョンが近しい状態にあることが望ましいだろう。事例では、価値観や人間性、ビジョンの近さを重視した採用などが挙げられる。職務によってはスキルや経歴を重視した採用が必要であるものの、社員のウェルビーイングの観点からは一人一人の内面的要素を重視した採用を取り入れることが重要だと考えられる。
 ワーク・エンゲージメントについては、社員の自主性や成長機会が重視されることで、仕事への活力や熱意が生まれ、没頭した状態に繋がるのではないかと考えられる。事例からは、達成目標を社員自身で設定することや、社員一人一人に業務における裁量を渡すようにすることが自主性や成長機会の実感へと繋がることがいえる。
 以上、企業規模により状況や課題は異なることは勿論であるが、先行研究および事例調査から導かれた5つの観点とそれに対する取り組みの工夫を行うことで、多くの企業にとってウェルビーイング経営の更なる発展と向上、そして職場の持つ社会的居場所としての機能の強化に繋がるだろう。


[4] 保井(2021)「従業員の主観的ウェルビーイングとレジリエンスが企業の持続的成長の切り札に([特集]“幸せ経営”のすゝめ➀)」『商工ジャーナル』p.18 これらの指標で表現される心的状態を従業員に対して実現していく経営は、幸せ経営に繋がっていくと述べている。ここで示される「幸せ経営」とは、ウェルビーイング経営と同義である。

おわりに

 本研究では、日本の若年層の社会的孤立問題の解決へのアプローチの一つとして、文献調査およびインタビュー調査によって企業のウェルビーイング経営の現状を分析し、職場が社会的居場所として機能する可能性について検討した。その結果、職場が社会的居場所として機能できることと同時に、その機能を強化させるためにはウェルビーイング経営の取り組みを現状から改善する必要があることが明らかとなり、具体的な事例から導かれた提言を行った。
 貧困・雇用・自己形成といった複数の要素が関連している社会的孤立問題に対して、雇用という一つの要素に焦点を当て、さらにウェルビーイング経営の観点からの解決を目指した点に本研究の特色がある。また、企業におけるウェルビーイング経営の取り組み事例について、役職の違いや企業規模の違いにも着目し、この2つの側面から比較を行いながら結果の分析・考察を行ったことに独自性があると考える。こうした点から、本研究は日本の社会的孤立の問題の解決へ向けた新たな切り口を提示し、一定の貢献を果たすものであるといえる。
 しかし、本研究にはいくつか限界が挙げられる。本研究内で実施したインタビュー調査は、大企業と中小企業から各2名、計4名の正規労働者および代表取締役を対象に実施したもので、文献調査の追加調査としてウェルビーイング経営達成要因のうち情報が不足していたソフト面についての情報を補う立場をとるものであった。限界点の第1に、より正確にソフト面の実態を把握するためには、さらに多くの企業と社員を対象とした大規模な調査を実施し、情報を集める必要がある。第2に、インタビュー調査から獲得したソフト面の情報は定性的な内容になりやすく、定量的な視点からのデータ分析は困難である。第3に、本研究では労働者の調査対象を絞り込んでいたが、真の意味で労働者に対するウェルビーイングを実現するには、正規労働者に加え、それ以外の雇用形態をとる労働者にとっての働き方や置かれる職場環境、受けられる施策の違いについても考慮する必要があるだろう。

参考文献/記事一覧

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• 上田和勇(2023)「Well-being経営の構成要因と事例分析」『専修ビジネス・レビュー』18巻1号,p15-31 
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• 古賀正義 (2021)「困難経験・問題体験をともに抱えて生きる若者の社会生活の特質と支援 の受け止め方―内閣府「子供若者意識調査(令和元年度)」の結果から―」『教育学論集』,p27- 46
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• 高橋保(2011)「若者の貧困化と雇用・社会保障」『創価法学』第40巻3号,p1-22
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• 田中秀和・立花直樹(2015)「若者の社会的孤立問題に関する議論の動向と課題 ―ソーシャルワークサービス拡大に向けた提言」『立正社会福祉研究』第16巻2号,p27-37
• 内閣官房孤独・孤立対策担当室(2021)「人々のつながりに関する基礎調査(令和2年)」
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• 長沢孝司(2017)「現代の若者労働―人間発達の観点から―」『日本福祉大学研究紀要―現代と文化』136号,p15-41
• 原田克己・滝脇裕哉(2014)『居場所概念の再構築と居場所尺度の作成』「金沢大学人間社会学域学校教育学類紀要」第 6 号,p119-134
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• 保井俊之(2021)「従業員の主観的ウェルビーイングとレジリエンスが企業の持続的成長の切り札に([特集]“幸せ経営”のすゝめ➀)」『商工ジャーナル』,p14-18
• OECD(2005)『Society at a Glance OECD SOCIAL INDICATORS 2005 Edition』

※以下、最終アクセス2023年12月17日
• アサヒグループホールディングス株式会社(2021)「令和2年度「健康経営銘柄2021」に選定!当社は平成26年度、平成27年度、令和元年度に続き4回目の選定|プレスルーム」
https://www.asahigroup-holdings.com/pressroom/2021/0305.html 
• 安全衛生優良企業マーク推進機構「ホワイト企業マークポジショニングマップ」
https://shem.or.jp/shem-service 
• 株式会社丸井グループ「人と社会のしあわせを共に創る『Well-being経営』|サスティナビリティ」
https://www.0101maruigroup.co.jp/sustainability/theme02/health.html 
• 公共財団法人 日本生産性本部(2019)「平成31年度新入社員『働くことの意識』調査
https://www.jpc-net.jp/research/detail/002741.html
• 転職・求人doda「平均年収ランキング(年代別・年齢別の年収情報) 【最新版】」
https://doda.jp/guide/heikin/age/ 
• 東京海上日動システムズ株式会社「健康経営|環境と制度について」
https://www.tmn-systems.jp/environment/health.html 
• 日経BPコンサルティング(2021)「いま、求められるウェルビーイング経営~企業が取り組む意味と事例~」
https://consult.nikkeibp.co.jp/ccl/atcl/20211112_1/
• マイナビキャリアリサーチLab(2022)「2023卒大学生就職意識調査」
https://career-research.mynavi.jp/reserch/20220426_27155/
• リコーリース株式会社「健康経営を基盤とした働き方改革の実現|サスティナビリティ」
https://www.r-lease.co.jp/sustainability/happiness/health/ 
• リクルートマネジメントソリューションズ(2020)「一般社員624名に聞く、ワーク・エンゲージメントの実態」
https://www.recruit-ms.co.jp/issue/inquiry_report/0000000842/?theme=workplace
• RECRUIT(2021)「『人のつながり』がキャリアにもたらす好影響~40代・50代・60代の人生を豊かにする人間関係とは~」https://www.recruit.co.jp/sustainability/iction/ser/relationship/001.html
• SCSK株式会社「健康経営|サスティナビリティ」
https://www.scsk.jp/corp/csr/professionals/health/index.html 
• TOTO株式会社「社員の健康について|サスティナビリティ」
https://jp.toto.com/company/csr/stakeholder/employees/health/ 



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