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笑うたびに悲しくなるほど、人生は辛くてやるせない

微かな希望を込めて、名前をつけずにいた関係にやっと終わりが来た。

なんにも悪いことなんてしてないのに、どこか後ろめたい気持ちになったのは、自分でも正しくないって気付いていたからだと思う。終わったことを「間違い」だなんて思いたくはないけれど、無意味に傷ついて、無意味に傷つけたような気がしたのも事実だ。

僕らは先の見えない不安に押しつぶされそうで、それをかき消すために必死で笑おうとしていたのかもしれない。笑って、笑って、笑って・・・・・・その結果、どうしようもなく悲しくなって、泣いた。どうあがいても、幸せになれない結末を想像してしまったから。

大人になるというのは、めんどくさい柵が増えることなのかもしれない。少し前までは、単純に好きだとか、性欲だとか、そういうものだけで恋愛ができたはずなのに、今となっては、視界に「責任」だとか「結婚」だとか「世間体」だとか、そんな面倒くさい文字がチラつく。

「あれもダメ、これもダメ」っていろんな条件を付け足しては、将来のことばかり考えて、目の前の人を認識できずにいる。「結婚すれば幸せになれる」とでも思っているのだろうか。

僕はただ、僕を僕として愛されたかっただけなのに。将来有望な学生だとか、会社の役員だとかそんなくだらないものじゃなくて、臆病で孤独な一人の人間として認められたかっただけなのに。

そう思いながらも、自然と頭の中で利害を勘定している自分がいる。先が見えない、先を見たくない。なのに、いつか終わることが頭をよぎる。終わるときのことを考えて、楽しい時間が悲しくなる。

僕は終わることに慣れてしまった。どんなに綺麗な言葉で飾っても、どんなに身体を寄せて愛しても、それがいつか嘘になることを知っている。「終わること」以外はもう何も信じられなくなった。

それでもなお、愛されたいと願うのは、僕が子供だからだろうか? いつか盲目的に誰かを信じてみたいと思うのは、いけないことだろうか? 幸せになりたいと口にするのは、許されないことだろうか?

この先どんなひどい仕打ちを受けたとしても、きっと僕らは誰かを愛してみたいと思うのだから、人生は辛くてやるせない。

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