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僕らにとって"普通"はあまりにも難しい


日常を過ごしていて、生きづらさを感じる人たちがいる。

かくいう僕もそのうちの1人だ。小学高学年あたりから、もやもやとした違和感があった。それは歳をとるにつれて、より確かなものとなっていった。

用もないメールやめんどくさい連れション、意味の分からない若者言葉、軽い詞しか歌わない人気の歌手、急に分かったように聴きだす洋楽、つまらない芸人しか出てこないTV番組、かわいい女の子がたくさん出てくる深夜アニメ、画面に流れるコメントがうるさいニコニコ動画……。何が面白いのか全く分からなくて、周りの人たちがバカに見えて仕方なかった。

だけど、そのバカにしていていた人たちの方が自分よりもずっと楽しそうで、なんだか悔しくて、羨ましかった。

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"普通"に生きられるって、特権ですよね

この間、友人がつぶやいた言葉。僕は激しく同意した。

僕らのような人たちにとって、"普通"は"頑張る"ものなのである。周囲と同じように振る舞うこと、考えること、選ぶこと。これらのことは"普通"にはできない。引きつりそうな顔を歪めて笑うのが精一杯で、あらゆる行動は違和感に制御されてしまう。

そして残念ながら、お歳頃になってくると、なんでも打ち明けられる友達がほしいとか、魅力的な彼氏・彼女がほしいとか、そういう"普通"の欲求だけは備わってくる。だけど、"普通"の行動ができない僕らには、そういったものはなかなか手に入らない。

もっと残念なことを言えば、なんとかして"普通"を手に入れたとしても、僕らは結局虚しくなる。実際手に入れてみれば、思ってたようには楽しくないし、満たされもしないからだ。

そうして、"普通"になれない僕らは"普通"から離れていく。だんだんと"普通じゃないこと"に価値を見出していくようになる。

だから僕らは身を寄せ合う。同じように生きづらさを感じている、"普通じゃない人"と交わろうとするのだ。最初はそこも居心地が悪かったりするのだが、やがてそこに居られずにはいられなくなる。

僕らにとって"普通"はあまりにも難しいから。

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僕らのうちの極端な人であれば、毒気に当てられたように価値観は蝕まれる。よくいる、"普通"を馬鹿にする社会不適合者だ。実際のところ、こうした人たちにとって、今の時代は追い風となっている。

一方、僕らのうちの疑り深い人であれば気付く。自らの"普通コンプレックス"に。どれだけ憧れたって、頑張ったって"普通"になれないから、"普通"を嫌っていただけだって。こうした人たちにとって、今の時代は最も生きづらい。"普通"の方にも、"普通じゃない"方にも、属せなくなるから。中立派はいつだって少ないのだ。

どの立場が正しいとか、間違っているとか、そんなのは分からない。正邪を決められることなのかも分からない。分かったところで、多分それぞれの立場を変えることはできない。どれも信じていれば主義主張は正しい、宗教のようなものなのだから。

ただ言えるのは、みんなただ自分らしくありたいだけなんだ。ただ幸せでありたいだけなんだ。そうしてそれぞれの立場を頑張って生きているだけなんだ

結局のところ、そこはみんな普通だ。

だから、そうした普通を生きようとしている人たちを笑わないでほしい。それはひどく不器用で、惨めで、痛々しいと思えるようなものかもしれないけれど、"普通"という特権を持ち合わせていない僕らは、これでも必死なのだから。

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