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風邪


母が寝込んでいる。毎年寒くなると一番に風邪を引くかインフルエンザにかかるのは母だ。私が大学受験の時も滑り止めで受験する中でも本命校の試験前夜、私は母からインフルを見事に貰い、泣く泣く受験できず不合格となったことを思い出した。

前の晩に『かかりつけの病院に行ってから帰ります』とLINEがあって、てっきり人間ドックを受けた直後だったのでその件で相談しに行くのだと思っていたら違ったらしかった。

仕事を休み寝込んでいる母に「今日は病院行かないの?」と聞いてから気づいた。ちゃんと風邪薬を貰っているだけで少し安心した。母が体調を崩して寝込むことは昔からよくあることだった。

私はいつも寝込む母に優しくない。

両親は私が少しでも体調が悪いと伝えるとものすごく優しい声で「大丈夫?欲しいものある?」と必ず反応するし、熱を出そうもんなら頼んでいないのにアイス枕を数時間毎に換えてくれたりリクエストしたご飯を持ってきてくれたり飲み物も飲みやすいものをわざわざ買ってきて枕元に置いておいてくれる。歩いてすぐの病院にだっていくら仕事があろうが早々に予約を取って送迎してくれた。仕事柄、移ってしまったら大変なのにな。といつも思うけどそんなことを一切気にする素振りはなくイイ歳をしたつんけんした娘になんて優しいんだろうと毎回びっくりしてしまうほどだ。

そこまで優しくされておきながら、いざ看病する側に立つとなかなか自然に向き合えない。父がいれば母の様子を気にする素振りも見せない。

事前に父から「明日は(母は)仕事を休むと思うよ」と言われた時点で、予定のなかった私は出かけるか家にいるか躊躇した。でもどこか引っかかる。家にいることにした。

山崎ナオコーラの〈かわいい夫〉の中で、著者の父親が人間ドックで病が見つかったことを皮切りに後悔する前にみんな人間ドックに行ってくださいと書いてあったのを読んでタイムリーな話題に腕を掴まれた。祖父も祖母も健在なのでまだ親族の生死に向き合った経験がない。これまでもう60近い両親の健康について考えるのを避けていたと思う。何とかなるだろうと他人事のように過ごせていたなと反省した。もちろん、健康を保つことがどの年齢も等しく課題となりうることは理解しているし誰がいつ病に倒れても事故に遭ってもおかしくないのも分かっているけど、親が苦しむ情景を見たくない、心情を無視したくないと思うとお腹がグッと緊張し息苦しさを感じた。

そういうことを考えると必然的に私の周りにいる友人や恋人、知り合いのことも頭に浮かぶ。中には疎遠になって連絡をとっていない人もいるけど、どの人を浮かべてもその人が幸せか健在か気になって会えなくてもそうであってくれさえすればいいなと思う。その人にとっての私という存在がたとえ大したことがなくても全然良くて。ただ幸せならそれでいい。大体の関係性の悩みはそこで落ち着く。もちろん私が好きな人限定だけど。(好きな人の範囲は異常に広いとも思う)

お昼に溶き卵を入れた素うどんと温かいお茶、水を渡し、あまり物音を立てないように寝室横の自分の部屋ではなく1階の和室で過ごすことにした。買い出しに出る前に夜ご飯は何がいいか、何か欲しいものはあるか母に尋ねた。「プリンかヨーグルトどっちかでいいから欲しい」と言われていつも母が好んで食べるヨーグルトでいいの?と聞くとプリンも何でもいいよと答えられた。スーパーに行ってヨーグルトを手に取ってカゴに入れ、どっちでもいいとか言いながらプリンの方が食べたげな気がするなと結局一つだけプリンも手に取りカゴに入れた。帰ってから母が選んだのはプリンだった。


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