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日日是好日


おはようございます。

先日、2018年公開の『日日是好日』、黒木華主演で樹木希林出演の映画を鑑賞した。タイトルは古い禅語で見た通りどう読んでも正解だそうですが、今作は「ニチニチコレコウジツ」と読む。樹木希林が出演している映画って流れる雰囲気が観る前から想像つきませんか。分かっていてもクセになる、ホーム感漂うかんじ。黒木華ちゃんの日常離れしすぎない独特な透明感と相性良さそうだとは思っていたけど、今回も邦画への抵抗が邪魔して鑑賞するのが遅かった。

もともと何でも考えすぎてしまう、真っ向から向き合いすぎてしまう性格でそれ故もあって人間関係もスムーズに築けるタイプではない。それを「長所だよ」と言ってくれる人が居てくれる環境なので20数年生きていられたのだけど、ふとそんな自分が不器用でどうしようもないと仕方なく感じて呼吸するのが辛くなる。仕事をしなくなってから(今思えば謎に)保たれていた自尊心がガラガラと音を立て崩れていき、「専門職に就いたハズなのに本当の自分は大した中身のない、空っぽに近い状態だったのだ」と自己評価した。頑張っていなかったわけではない。けど自分が空想していた努力はし切れていなかったと反省したし、絶望した。

それから毎日どう過ごすのが正解なのかと考えることが増えました。考えている間も何かしなくてはと机に座る時間を増やしたり、「集中できなくてもいい」と開き直った上でとりあえず本を開くようにしたり、後回しにしがちな家事は午前中にやるとだけ決めて毎日続けてみたりした。半年以上先にある資格受験の勉強もしよう、と目に見える場所にテキストを置くとか。こういう行動全ては自分を慰めるためでもあるのかもしれない。結果が出ないと意味がないんじゃないかとよく頭によぎってはかき消しを毎時間単位で繰り返す日々が続いた。そんなタイミングでこれを観た。

武田先生(樹木希林)の台詞、典子(黒木華)の答えがとても印象に残ります。よくわからない方向に向かってもがきたくなるときに思い出すようになりました。

「頭で考えないで自分の手を信じなさい」

「お茶は形なのよ。最初に形を作っておいて、その入れ物に後から心が入るものなのよ」

「形式主義じゃないんですか。何か意味でもあるんですか」「何でも頭で考えるからそういうふうに思うのね」

「習うより慣れろって言うでしょ。稽古は回数なの。そのうち手が勝手に動きます」

「手が自然と水指にいきました」

「何かに操られいるみたいに勝手に動いた。それが不思議と気持ちいい」

お茶を習う典子。お茶を立てる作法には日本の美意識が詰まっているなと思う。毎日を流れるように過ごすことで日々の四季にの変化に敏感になれたり、感性が研ぎ澄まされて丁寧に生きることができる。『毎日毎日が素晴らしい』。日々についての良し悪しを考え一喜一憂することがそもそも必要がない。あるがままを受け入れる姿勢でいること。タイトルの意味が響く内容になっていて染み渡るように感銘した。

形式的な堅苦しいものというレッテルは最初から必要なくて勘違いだった。考えるとか向き合うって動作についても勘違いしていたのかもしれない。『お茶』を私の場合『習慣』や『仕事』、『日々の行動』と置き換えて反復すると気持ちが軽くなる。何でも正解を求めてしまう悪いクセはマシにしたい。今、意識している毎日の過ごした方を量を気にせず続けることを目標にしようと思うようになり、頭のなかに滞りすぎてしまう私にとってはとても大切な教えを与えてもらったようで、片隅においてきたい作品。いつでも引き出しから取り出せるようにしておきたい。



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