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【子どもの貧困vol.2】依存できない家族の中で大人になる子どもたち

学校は教育の場であると同時に、極めて重要なセーフティネットの場でもある。そのことが、コロナによる休校によって多くの人に認識されました。みんなのオンライン職員室では、子ども達の生活背景をキャッチできる感度を高めると共に、子ども達の苦しい状況を生み出す社会構造について学び、教師として、1人の大人としてできることを考える機会として、「子どもの貧困」をテーマにした講座を開催しました。

今回は武田緑さんが聞き手となり、社会福祉学と児童福祉論を専門とする谷口由希子さんをゲストとしてお招きしました。依存できない家族の中で大人になった子どもたちの事例を紹介していただきながら、子どもの貧困について考えました。

講座の参加者からはこのような感想が。

私たちにできることは、子どもの権利について知ること。ちゃんと知って、まずは大人たち一人一人がどういう行動ができるのか考えていくことだと思います。そして、対話していくことで、社会の中で保障されていないことろを変えていけるのかなと思いました。

子どもの貧困を考えていった先にあるのは、「子どもの権利」。私たち大人は、子どもの権利を守るという視点を持っているでしょうか。そもそも「子どもの権利」とは、一体何でしょうか。

貧困や困難な生活環境の中で子どもを時代を過ごした人は、どのように大人になっていくのか。子どもの貧困と権利について学んだ時間を、このnoteでシェアします。

武田緑さん
Demo代表 / 教育コーディネーター / 人権教育・シティズンシップ教育ファシリテーター。民主的な学び・教育を日本中に広げることをミッションとして、教育関係者向けの研修の企画運営、現場の課題解決のための伴走サポート、教材やツールの開発・提案、キャンペーンづくりなどに取り組んでいる。シティズンシップ教育、人権教育、オルタナティブ教育、学校と学校外の協働、子どもの参画、ファシリテーション、ワークショップデザインなどが専門。
谷口由希子さん
名古屋市立大学大学院人間文化研究科准教授。専門は社会福祉学、児童福祉論。主な著書に『児童養護施設の子どもたちの生活家庭ー子どもたちはなぜ排除状態から抜け出せないのか』『なごや子ども貧困白書』『社会的養護当事者の「声」ー施設対処後に困難な状況にある当事者たちに焦点をあてて』『子どもの虐待とネグレクト』など。


貧困の世代的再生産

社会の中で実際に起こっているのが、貧困の再生産あるいは、貧困が3代目、4代目にも渡って続く貧困の世代的再生産です。「貧困の再生産」と「貧困の連鎖」を同じような言葉として説明されることがありますが、この2つの言葉には大きな違いがあると谷口さんは言います。

「貧困の再生産は、子ども時代に貧困だった人が、いろんな困難を抱える中で大人になっても貧困状態に置かれ、その人の子どももその環境で育ち・・・というイメージです。貧困が「再び生み出される」構造を指しています。それに対して貧困の連鎖というのは、貧困の状態が世代間で鎖のように繋がっているという意味を含んでいると思っています。鎖は、閉じていて外れないものです。決定論的な考え方であり、社会の中で子ども時代に貧困だった人は大人になっても貧困になると決め付けてしまっている、というように捉えられかねないと思っています」

貧困の再生産という状態をどうやったら断ち切れるのかということを主体的に考えるために、谷口さんは貧困の連鎖という言葉は使わないようにしているのだそう。

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今、子どもの約7人に1人は相対的貧困の状態にあると言われています。ひとり親家庭の貧困率は50.8%なので、ひとり親家庭で暮らしている子どものうち2人に1人は貧困状態にあります。こうした状況を、私たち大人はどのように捉えていけば良いのでしょうか。

谷口さんからは、北海道大学の松本伊智朗先生が書かれた本の一部をご紹介いただきました。

格差の拡大と貧困の固定化は、人々の住んでいる日常世界を分ける。この分断は、問題の理解と社会的共感を阻害する。子ども虐待問題なども含めて「犠牲者を非難する」風潮が広がることは、当事者をより追い込んでいく、つまり社会的共感に基づかない貧困の社会問題化は、個人・家族責任論を経由して、反貧困政策ではなく、反貧困者政策を招く。(中略)
最も弱い立場にある人の社会的不利を放置する社会、つまり、社会的公正を欠く社会は脆い。こうしたすさんだ社会に私たちは住みたいと思うのだろうか、助け合える基盤と関係があるからこそ、人は役割と責任を果たして、希望を持っていける。

ー松本伊智朗(2010)『子ども虐待と貧困ー忘れられた子どものいない社会をめざして』明石書店

子育ての社会化の反面で

1960年代には共同保育所を多く設置しようという社会運動が起こりました。保育所の設置は、女性の労働保障の側面が強くありました。現代はその側面よりも、子どもの発達保障や権利保障の場として保育所を捉えるようになっています。

保育所の中で子どもが育つ場面が増えている中で、育児の社会化(社会全体で子どもを育てること)は確かに進んでいると言います。一方で、子どもを叩いてしまったりネグレクトをしてしまう人に対しての理解が深まっているかというと、そうではありません。虐待をした親の特徴について、谷口さんはこう語ります。

「虐待をしてしまった人たちの多くは、最初から子どもに対してそのような関わりをしていた訳ではなく、困難を抱えながらも頑張ろうとしていた経験があります。例えば、子ども2人をネグレクトしてしまったお母さんの事例で言うと、彼女はひとり親で一生懸命子育てをしていて、布おむつを使ったり子育てサークルを結成するくらい熱心に子どもと関わっていました。一方で、子どもを育てることやその費用を負担するのは親や家族の責任だと過剰に思ってしまう『近代家族規範』を内面化している側面もありました。「自分でやらなければいけない」と強く思ってしまうのは、虐待をしてしまう親にややある傾向だと思います」

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また、公的資源があるにも関わらず、なかなかその様な支援先と繋がらない現状についてはこう話します。

「子育てを頑張っている人は、周囲から肯定的な眼差しを受けるので公的資源を利用しやすくなります。逆に、子育てを頑張っていないと思われがちな人は『行政から責められてしまうのではないか』『自分の子育てが間違っているのではないか』と思ってしまい、公的なものへの不信感や怖さを感じやすくなります。また、家族は必ずしも応援してくれる存在ではなく、自分の足を引っ張るような存在である場合もあります。そういう家族の像もあるということを忘れてはならないと思っています」

依存できない家族の中で大人になる

「そもそも人間というものは生まれてから生を全うするまで、他者との相互作用の中で必ず依存関係にあります。この依存というものは人間存在の基礎的な条件であるにも関わらず、近代市民社会では、依存者(依存する者)と依存労働者(依存を支える者、ケアワーカー)の存在が考慮されることなく市民権が構成されていきました。」と語る谷口さん。

一般的には子どもは家族の中で生まれます。家族は子どもが生まれ育つ中で、依存の基盤となりますが、現代はその家族が『依存できる家族』であるということを前提にした社会構造になっているのだそう。そのため、『依存できない家族』の元で暮らす子ども達には、そのしわ寄せが直接降りかかる構造になっています。

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ここで、一つの事例を紹介していただきました。(事例提供者ご本人からの了承は得ており、個人が特定されない様に内容の一部は変更してお話されています。)

15歳(中学3年生)女性。乳児を含む3人の年下のきょうだいがいて、ひとり親の母親と5人で生活をしています。家族は電気代の支払いが滞るほど経済的に困窮していましたが、生活保護や保育所など、公的支援は一切利用していませんでした。お母さんはパートを掛け持ちしていて家に不在のことも多く、本児がきょうだいの世話と家事を担っていました。

このため、一番年下のきょうだいが生まれた中学2年生以降は学校に行くことができませんでした。中学校の担任は、本児の状況を心配していたものの、母親が公的支援を拒む傾向にあり、1年ほど状況は変わりませんでした。

本児が中学3年生の時、SNSで知り合った男性と交際を始めて会うようになり、妊娠していることがわかりました。

男性の母親への相談をきっかけに、本児の家族は児童相談所に繋がりました。児童相談所のワーカーが本児に話を聞いたところ、子どもを産むことを希望し、「学校に行きたい。ずっと学校に行きたかった。友達がいなかったから、彼氏ができて嬉しかった」と話しました。

事例紹介の後に、谷口さんはこう続けます。

「彼女はきっと、年下のきょうだいがいなければ学校に行くことができたと思いますが、結果として行くことができませんでした。抜け出してしまうと、自分の生活が成り立たなくなるからです。子育ての社会化がなされていれば社会で子どもが育ちますが、公的な支援に繋がらないことで、子ども自身が困難を背負ってしまうのです」

子どもの権利って何?

「子どもの権利について子ども達に説明する時には、『当たり前のことなんだよ』『当然にしてもらえることなんだよ』『生まれた時から全員が持っているものなんだよ』という言い方をします。子どもは権利の主体であって、大人とは別の独立した人格として尊重されます。よく間違われるのですが、『義務を果たさないと権利がない』というということではありません。基本的人権もそうですが、子どもの権利と義務は無関係のものです」

1989年には、国連で子どもの権利に関する条約が採択されました。この第3条には「子どもの最善の利益」というものがあります。

第3条
児童に関わるすべての措置を取るに当たっては、公的もしくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局または立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最前の利益が主として考慮されるものである

また、Save The Children(セーブ・ザ・チルドレン)では、子ども達に分かりやすい表現で子どもの権利条約を翻訳しています。
https://www.savechildren.or.jp/about_sc/pdf/crc_a4.pdf

子どもの権利擁護委員制度って何?

公的な第三者機関として独立性が担保された形で、子どもの権利を守るための救済機関があります。行う内容は主に個別救済ですが、制度自体が子どもの権利侵害になっている可能性がある場合には、制度改善も行います。

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谷口さん自身も権利擁護委員をされており、個別救済のエピソードについてこう語ります。(事例提供者ご本人からの了承は得ており、個人が特定されない様に内容の一部は変更してお話されています。)

「コロナによる休校期間中に、子どもが泣きじゃくりながら電話をかけてきたことがありました。「どうしたの?」と聞くと、「学校の宿題がたくさんで終わらない」と言います。初めての状況に子ども自身も戸惑いがあり、手がつけられなくなっていたんです。「宿題の量が多くて大変」ということを学校の先生に伝えたいというのは、子どもが持っている意見表明権です。子どもの気持ちに寄り添い、解決策を一緒に考えて先生に言うということは個別救済の一つではありますが、それだけで問題が解決したことにはなりません。子どもの意見や思いを尊重すること、つまり、大人が考える「良い」解決ではなく、その子の自己決定を大切にしています」

社会的養護にある子ども達の権利擁護

一時保護所や児童自立支援施設は社会的養護の一つですが、比較的制限のある生活になります。谷口さんからは、そこでの子どもの権利についてこう話します。

「社会的養護にある子ども達は、そもそも権利侵害やその危機にあったから社会的養護にある経緯があるので、よりその権利が保障されなくてはならない存在です。子どもの発達にとってその制限が必要であると大人が考えている訳ですが、やはりそこは大人から子どもへ説明責任を果たさなければならないと思っています。そして、同時に子ども達の意見表明権の保障も大切になってきます」

学校における子どもの権利保障

講座の後半は、少人数のグループに分かれて以下のことについて対話する時間がありました。

・学校は子どもの権利保障の場となり得ているか?
・現状の学校で子どもの権利を保障している点は?
・逆に権利保障が困難な理由は?
・私たちにできることは?

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対話を終えてからは、参加者同士で意見をシェアしました。

子どもの意見表明権について話題になりました。日本の文化として意見を言いにくい雰囲気があるんですよね。なので「意見を言う権利があるんだよ」と子どもに教えても、それだけではなかなか意見表明に繋がらない。大人が場の整理をしたり、意見を表明する練習をすることがまず大事なんだと思います。それがあって、初めて子ども達も「意見を言って良いんだ」と言う気持ちになっていくと思います。
学校はやっぱり子どもの権利を保障する場でなきゃいけないと思います。ただそうは言っても、一人一人を見たときに本当にしっかりとその権利保障しているかっていうと、そうはなっていないと感じます。家庭環境や一人一人の違いを考慮していくと、今の学校の枠組みの中だけでは難しさもあるような気がします。
子どもの権利保障については、学校が外部と協働して対策していく必要があると思いました。外部と協働していくことに抵抗がある学校も中にはあるので、まずはそういう文化も変えていかなければいけないのかな。
学校として、学びの保障はしていかなければいけないけど、一人一人にスポットを当てていった時に、その難しさもあるなと感じました。学校は、機械的な教え込みや知識の伝達の場ではなくて、みんなで話し合ったり学び合ったりしていける場でありたいなと改めて思いました。


「子ども達が変わっていくことで社会に影響を与えることができるし、逆に、社会が変化することで教育が変わっていく側面もあると思います。私は、子ども時代の教育にはすごく力があると思っています。理想主義的かもしれないですけど、良い循環をつくっていける可能性があるのが学校なのかなと思っています」と、学校教育への期待を語る武田さん。

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最後に谷口さんからは、このようなコメントをもらいました。

「子どもの権利については、子どもと関わる立場にいる私たちが考え続けることから始まるし、やっぱりそこに尽きると思います。『子どもの権利って何だろう?』『これって子どもにとって最善の利益になってるのかな?』『意見表明権は保障されているかな?』と言うことを考えながら、子どもと関われる大人を増やしていくということが、子どもの権利を守る社会をつくっていくことに繋がると考えています。今日はその実践の場でもあったと思うので、とても貴重な時間で楽しかったです」

谷口さん、武田さん、ありがとうございました!


みんなのオンライン職員室では、11月14日(土)に学校教育と『格差』フォーラムの開催を予定しています。

あらためて〈学校教育と『格差』〉の関係を見つめ、明日からの子どもたちとの関わりを一緒に考えませんか?詳細は以下のリンクからご覧ください。

https://minnano.online/course/943/

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(文:建石 尚子)

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