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相手が小さく見えるのは、自分が大きくなったから。

放課後、部活動を終えようとした時に、

以前から苦手意識の強い先輩職員が

珍しく部室まで顔を出しに来た。

何事かと思えば、ムカデ競走の

メンバー構成に問題があるから見直し

て欲しいとのことだった。もともと

クラスの人数が少なめっていうことから

往路も復路も同じメンツで設定してたん

だけど、他のクラスは多少なりとも

メンバーを変えてる動きだったから

このままではまずいと。普通に考えて

当然の指摘だと思っていたし、仕方ない

から少し調整をかけるつもりではいるん

だけど、何だか少しその職員の態度が

以前より控えめな気がした。

そもそも、ここ数年関わる機会は

殆ど無いし、たまに仕事の都合上

話しかけたりすることはあって、とくに

最近はとげが抜けたような態度のような

気は何となくしていた。これは相手の

腰が低くなっただけなのか、自分が

年々態度が大きくなっていることが

原因なのかよく分からないけど、

違和感が凄い。悪くはないし、むしろ

それで良いと思うんだけど、なんか

物足りなさを感じる。どうせなら

「やっぱりこの人無理だわ」って感じる

くらいの貫く姿勢が欲しいかも。


昨日、緘黙の生徒に号令のやり方を

少し叩き込むことができたから今日は

それを実践できるかと少し期待してたけど

完全にその期待を裏切られた。みんなを

前にして、授業が始まればその教科担当も

注目している中だったからきっと緊張したり

単に嫌だったのかななんてことは考えられる

けど、そんなことでこっちも気を抜くのは

なんだか負けな気がして、朝のHRは10分しか

無い中で彼女との我慢比べをした。

そんな中偉いのは周りの子どもたち。

黙って待っててくれた。協力的で本当に素敵。

結局最後までダメだった。だから授業の号令は

もう一人の子に任せて、もう一回帰りのHRで

再チャレンジを試みたけどこれも結局ダメ。

流石に帰りのHRまで10分潰すわけにもいかず

早めにパートナーに号令させたけど、放課後

その子だけ残して簡単にプレッシャーをかけた。

今日は前日に練習をしたとはいえ、いきなり

一日を通して号令をやるだなんて求めすぎてた

ことについて反省していると伝えた上で、

次の日直が回ってきた時にはせめて朝か帰りの

HRのどちらかで号令ができるようにと強く求めた。

本人はその要求に対して頷くことは無かった

けど、自分は諦めないと言ったあとに

「分かった?」と確認するとそこは頷きは

してくれてた。保護者もこのやり方について

ある程度理解を示してくれたけど、その代わりに

何か小さな事でもできるようになったことを

褒めてあげて欲しいと。それはもちろんです。

周りからしてみれば「そんなに急がなくても」

なんて感じている職員もいるかもしれないけど、

その油断しているうちにすぐ時間は過ぎていく。

常に卒業後の彼らの成長ぶりを意識した指導を

心がけないでどうするのか。今はできなくても、

そのうちできるようになるかって無理だから。

それができるように時には口うるさく言い続けて

いかないと変化に繋がらない。温かく見守る

なんて誰でも出来る。そういう人が居ても

良いけど、多少煙たがれることを覚悟にやっぱり

おかしいことは伝えていかないと。

言葉遣いが悪いってところで自分は問題視

されていることもあるような気がするけど、

その言葉遣いに気を遣いすぎてちゃんと

言うべきことをオブラートに包む、もしくは

そもそも言わないなんて選択に至るくらいなら

多少言葉遣いが荒くても言うべきことを言う。

生徒も保護者も、本当に自分のことを大事に

思っているが故の発言であれば、多少表現の

仕方が荒々しくても最後は受け止めてくれる。

言葉の内容だけで人は物事を判断している

わけじゃない。その内容に付け足される

発言者の感情や態度も合わさってが最終的な

印象づけに繋がるはず。

何を言ったら、表現を間違ったらどうしよう。

そんなことにビビってばかりいたら彼らの

本音を一生暴けない。

号令が上手くできなかった生徒については

明日の質問メッセージで恥ずかしかったのか、

単に嫌だったのか、その他の感情が込められて

いたのかなんて選択肢を用意してちょっとでも

本音を探っていきたい。そこが分かればこっちも

気持ちを改めてまた少し違ったアプローチを

心がけていける。

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