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言い訳して自分を正当化してる。

職員室でたまたま聞こえてきた話に

思わず耳を傾けて聞いていたら呆れた。

「最近、怒ることがなくなった」

「昔の子たちにされたことと比べたら

大したことない」

「演技で怒ってる風なことはあっても、

本気で怒ることはない」

そんなような内容だったと思う。

そうね、確かに一時に比べたらやんちゃな

生徒はいなくなってきている。でも、正直

その自分がしってる時代のやんちゃの生徒

だってたかが知れてる。

そして職場全体的に職員が子どもたちに

怒鳴りつける場面ってのは減ってきたと思う。

その証拠に先輩がアンガーマネジメントの本を

読んでたりなんて動きもあるわけだしね。

うん、良いと思う。怒ることが必ずしも良い

指導とは言い切れないから。

でもね、子どもたちと日々向き合っていて、

何か今のままにしてはいけないと思った時に

思わず声を荒げたりすることはあるべきだと

思うの。ほんのちょっとしたことで本気で

怒るのは自分だって馬鹿げていると思う。

でも、人が成長していく上で怒られない、

ちゃんと言うべきことを言われないまま

ただ温かく見守るだけって果たして本当に

その子のためになるのか。

今は親も子どもに怒らなくなったなんて

家庭もあるみたいだけど、自分ら教師も

そうだけど、子ども以上に長い人生を歩んで

きた中でそれぞれ自分なりの大人としての

常識や感覚を持っているはず。もちろん自分の

感じている常識を全て子どもたちに押しつけ

ようとしてはいけないけど、ある程度周りも

共感できるようなやってはいけない、すべきでは

ないことについて指摘を入れなきゃその子たちが

社会に出たときに苦しい思いをするんじゃないの。

怒る前に自分のアプローチの仕方が悪かったんじゃ

ないかって考えるようになったなんて話もしてて、

そこは若干納得できる部分もあるんだけど、

子どもたちの思いを尊重しようと考えすぎてるが

故に自分自身の信念はどうなのかって思うわけよ。

まあ、その信念がないからこういう状況に

至るわけだけど。上司の評価、保護者からの目を

気にしすぎて何か大事なことを見失ってる。

正直自分はその人の話を聞いててそう思った。

でもこの人のこといろいろ考えてみて

気づいたけど、信念がない人は結局分かりやすく

周りから評価されることばかりに目が行って

しまうんだなってこと。

自分は正直、周りから一人でも多く自分の

生き様?考え方に共感してもらいたいとは

思っているけど、でもそれを求めて周りの

目を気にして自分の思いがどんどん表に

出せなくなるだなんてあり得ない。

多少周りから反感を買われたとしても、

自分なりに導き出したやり方が一番だって

信じてやらなくてどうすんの。


ここ最近、ちょいちょい左手首の変な

しこりみたいなのが気になってた。

別に痛いわけでもなく、でも右手首と

比べた時に妙な膨らみが気になって。

さっき何となくインスタのストーリーに

その写真を載せてみたらまさかの高校時代

の同級生で野球をやっている友だちから

「ガングリオンだよ」と言われた。

水ぶくれ的な奴なのかな?一応整形外科

で診てもらうことができるらしいから

土曜日のリハビリのついでにまずは

理学療法士の人に相談してみようと思う。

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