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愛することは生きる勇気をもらうこと

自分の想う人が幸せに生きているのなら、それでいいや。

最近、少しずつだがそう想えるようになった。かつては誰かを憎んだりした時期もあったかもしれない。だけど、そんなことすらもうどうでもいいのだ。

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私は熱烈な灰原哀推しなのだが、ついに劇場版のメインとして飾られた。
さっそく映画館に観に行ってきた。(以下、本編に触れないように綴る)

やっぱりコナンには哀ちゃんがいないとダメだなとしみじみ思う。すぐ一人で突っ走て、どんな相手でも自分の危険も顧みずにどんどん進んでしまう。そんな姿をいつも心配しつつも、だからこそ憧れと好意が芽生えるのでしょうね。

灰原哀というのは作品の中で、とても悲しい女性のように描かれている。幼いころに両親を事故で亡くし、唯一の肉親であった姉も組織によって殺されてしまった。天涯孤独になってしまった彼女にとって、工藤新一のことを出会った当初は、「何もかも持っている人間」に見えたかもしれない。

江戸川コナンと同じ日常を過ごし共に困難を乗り越えていくごとに、彼に対する壁が少しずつ溶けていく。彼という人柄に少しずつ想いを寄せ始める。それは思慕でもあり、知らずに恋慕でもあったと思う。

だけど、彼には毛利蘭という幼馴染であり恋人でもある存在がいた。彼のとなりを歩くのは自分ではないことを悟っていた。だから、最初のころは彼女に敵意を見せていた時もあった。それでも毛利蘭は常に灰原のことを心配し、献身的なサポートと歩み寄りを続けた。その優しさに次第に気づき、自身の姉と重ね合わせるようになっていった。

最初は独りだったかもしれない。何も持っていなかったかもしれない。
だけど、日常を共にしていく中でいつしか彼女は独りではなくなった。今は工藤新一や阿笠博士、毛利蘭や少年探偵団のみんなが彼女のそばにいてくれる。

叶わない想いや失ったものも多かったかもしれない。壊れそうな夜もあったかもしれない。それでも生きていれば、小さな奇跡や思わぬ幸運に巡り会える時がある。

彼女は今までの物語で自分の命を蔑ろにする場面がいくつかある。周りの人間も巻き込ませたくないという想いから、人知れず傷つくこともあった。そのたびに、誰かが彼女の知らないところで、彼女のことを想い手を差し伸べる。

灰原哀は『名探偵コナン』という作品の中で、悲しみを多く抱える人物として描かれると同時に、最も愛されている人物なのではないかと思う。

今作の劇場版では、そんな彼女の悲しみと愛が、最も綺麗に映し出されていた作品であると言える。そして、彼女の想いが少し報われる作品でもあった。

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もし、自分の人生がダメに見えて、どん底にいると感じた時は、誰かの幸せを願うと少しだけ希望が湧いてくる。自分のために生きられないと感じときに、自分の想う人が幸せならもうそれだけで十分だったりする。

それは別に自分の人生を投げやりにしているわけではなくて、ただ誰かのために生きられるって、とても幸せなことなのではないかと思うのだ。

やはり、生きていると思い通りに行かないことがある。何か一つ困難を乗り越えても、また新たな壁が現れる。しかもそれは前のものより、大きく立ちはだかる。人生はこの連続で、ときどき心底億劫に感じてしまう。

だけど、私たちに立ち止まることは許されない。それでも世界は回り続け、それに合わせて歩みを進めていかなくてはいけない。

それは時としてとても暴力的に感じることさえある。

そんな世界で私たちに何が残されるというのだろう。
そう考えた時に、誰かを想うことなのではないかと思う。失われていくばかりの世界で、私たちが生きていくのは、誰かのことを想うことができるからだ。

誰かを愛することで、人は強く在れるし、生きる勇気を与えることができる。与えることができれば、人からもらうこともできる。人を愛するということは、同時に生きる勇気を他者からもらうことなのではないかと思う。

人生は確かに思い通りに行かない。真面目に生きていても、運命に不意打ちを喰らうこともある。でも、思うようにいかないからよかったりする。だからこそ、そこに美があるのかもしれない。

灰原哀というキャラが魅力的に見えるのは、そのような現実と理想の間で彼女の葛藤があるからではないかと思う。

人生に何度つまずくことがあっても、決して生きることは止めてはいけない。誰もが常に誰かに愛されている。だから、自分も誰かのことを愛さなくてはいけない。

誰かのことを想い続けることができるから、私たちは生きていけるのだ。
だから、私も哀ちゃんの幸せをこれからも願って生きていこうと思う。




スピッツさんの曲はイントロから素敵ですよね!!

切ない詩であることに最近気づいたよ~







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