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複雑な感情を味わえるということが、人間であることの醍醐味なのかもね

大人になって初めてわかる感情がある。

高校生のとき国語の授業で習った、梶山基次郎の『檸檬』を読み返した。

話は知っていると思うが要約すると、ずっとモヤモヤしててこの煮え切らない感情をどうにかしたくて、あれこれ試してみるけどどうにもダメで…気晴らしに外に出て本屋に行く。そこで途中で買った檸檬を本の上に積み、その檸檬が爆発していくのを想像する。

当時の自分はこの話のどこか面白いのかわからなかったが、社会人になって改めて読み返してみると、なんだか共感できる部分がある。
主人公がずっと気分が晴れなかったのは、病気のせいもあると思われるが(作者自身が肺結核を患い、早くに亡くなっている)、大人のせいというのもあるのではないかと思う。

学生の頃は常に全能感に溢れていたというか、知識や経験がないから何でもできるような気がしていたし、将来に対する不安と言うのはなかった。友人は少なかったが、不思議と寂しいと感じることもなかった。
もちろん辛いと思う時期もあったし、人間関係の拗れみたいなものも経験した。だけど、毎日何かイベントがあるというか、常にドーパミンが放出し続けているようなそんな感覚があった。

この歳になってくると、”虚しさ”みたいなものがわかるようになってくる。なんとなくいつも薄っすらと不安で、でもその不安や焦燥感がどこから来るものなのかがわからなくて…
分解していったら、仕事が辛くて続けていけるかわからないだとか、このまま独りなのかなとか、そういう悩みが見えてくるけど、別にそれらに常に怯えているわけではない。

やっぱり、なんとなく不快な感情が付きまとうようになった。
気晴らしにアニメを観たり、ゲームをしたり、音楽を聴いたりしているが、完全になくなるということはない。いろいろ本を読んで何か解決策はないか探してみたりするけど、正解なんてものは存在しない。

古代からずっと人間の本質として、この”心の空洞”というものがあったと思う。だから、人はそこから何とか逃避できないか、学問をしたり、詩や音楽を作ったりなど、文化的なものを発展させていったのではないだろうか。

まあ、そういった複雑な感情を味わえるというのも、人間であることの醍醐味なのかもしれない。常に幸福というのも気味が悪いし、何も感じないというのも機械的で気持ち悪い。こういったどうにもしがたい感情を抱えているのが、我々が人間であるという証拠なのかもしれない。

嫌な気分はなるべく味わいたくないものだけれど、感じてしまったのものは仕方がない。なかったことにはできないのだから、いかにやり過ごすかを考えるようにしたい。こういう時期だからこそ、できることもあるだろうし、見えてくるものもあったりするのかな。

我々は常に進み続けることはできない。
虚無感を味わっている時って、だいたい止まっている時だと思う。でも、それを悪く思わないようにしたい。こうして一度立ち止まってみることで、自分のことを点検したり、深く考える時間を持つことができる。そう考えたら、気持ちが沈んでいる時期というのは、うまく自分の人生の帳尻りを合わせる大事な時間なのかもしれない。

2023.7.30


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