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消えたくなるほどに世界はそっと色づいていく

「飯食ってる時がいちばん幸せ!」ってよく言う友達がいる。

「幸せ」ってあんまり言葉にしたことがないから、日常的に言えているのは本当にすごいと思う。別に毎日が楽しいことばかりではないけど、何か自分にとって快の感情になっている時に、その気持ちを「幸せ」と表現するってとても素敵なことだと思うし、自分も見習うようにしたい。

確かに、自分の好きな人とうまい飯を囲んでいる時が、いちばん幸せな時間なのかもしれない。何かを掴み取ったり、特別な体験をしなくとも、地元の居酒屋でテキトーに集まることができたのなら、それはもう十分に奇跡なのだ。

地元の居酒屋のレベルが高いというのもある。

この前はワカサギの天ぷらを食べた。めちゃくちゃおいしくて感動した。語彙力がなくて申し訳ない。でも、今度は自分たちで釣りに行って、生きたまま油で揚げてみたいと計画を立てるに至るほど、どっぷりワカサギの魅力にはまった。

2件目は焼き鳥屋さんに。ハツがぷりぷりでおいしかった。つくねには卵黄がセットになって出てきて、タレと混ぜながら食べるのが通。本当に焼き鳥がこの世に存在して良かったよ。鳥さんたちに感謝。

「仕事楽しそうにやっていてよかったよ」と言われた。別に楽しいわけではないけど、その友達には僕の話を聞いてそう思えるみたい。僕はけっこう愚痴っぽいところがあると、自分で認識しているのだが、その友達からすると「お前が愚痴っているところ聞いたことない」と言われてしまう。言い方が愚痴に聞こえないらしい。むしろ、「苦しんでいるほうがお前らしい」と言われるのだ。意味が分からん~。

「去年は本当に病んでいたから元気になってよかったね」とも言われた。本当に去年は、こころの病気にでも罹ったのではないかと思うほど、体調がすぐれなかった。だから、どこか行く場所があって、何か役割を与えられているほうが、人は健康なのかもしれない。学生の頃は社会に出たくないと思ったものだが、案外社会人も悪くないなと思う。むしろ、未だインターン生気分で仕事に臨んでいるので、そこまで心血注いで働いていない。それぐらいのゆるさがあるから、なんとかやっていけている。

長い間、関係が続く人に出会えることって有難い。
そいつとは中学の時の塾で知り合って、同じ高校に進学して、今まで関係が続いている。だから、10年近く知っているわけだ。それで毎年2~3回は一緒に旅行に行く。金がなくても旅行に行く。

この歳になってくると、前は仲良かったけど会わなくなった人がちょこちょこ出てくる。久しぶりに会っても何を話していいのかわからなかったり、それであまり会話が盛り上がらなかったり…
もうあの頃のようには話せないのだなと思うと、どこか切ない気持ちになる。そういう人がいる一方で、ずっと変わらない関係でい続けられることは稀有なことだ。そういう人に自分の人生の中で出会えて、本当にラッキーだなと思うよ。

小・中学時代はあまり学校が好きじゃなかった。仲のいい人はいたけど、やっぱりクラスには馴染めなかったり、ほぼいじめ同然のような被害にもあったりして、ちょこちょこサボっていた。ガキんちょながらに自分の将来について厭世的に考えていたりもして、いや今もたいして変わらないのだけれど、それでも大人になった今のほうが前向きに生きていたりする。(大人と言えるほど精神面は成熟していないけど…)

人生何が起こるかわからない。大変だと思うことが、嬉しいことの始まりだったり、すごくいいと思うことが、とんでもないことの始まりだったり…「禍福は糾える縄の如し」とか「人間万事塞翁が馬」とは言ったもので、この言葉を作った昔の人たちも、「ああ、人生大変だな~」だなんて思いながらニチャニチャ呟いていたのかもしれない。

最近、同期同士が付き合うようになり大変おめでたい。一方で、ほぼ毎日のように「むむむは好きな人いないのか」と聞いてくるようになり、腹が立っている。その人は今まで付き合っていた人と別れて1~2か月しか経たずに今に至る。素晴らしいフットワークの軽さで見習うべきところがある。もう1年も前のことを未だに引きずり、「自分なんて…」って思っているやつにときめく女性はおらんだろうよ。

少し前にライブで知り合った方と遊びに行って、すごく楽しい時間を過ごすことができた。バイバイした後、向こうから「今日はすごく楽しかったです。またお誘い待っています。」とlineが来たので、また誘ってみたのだが家でも爆発してしまったのか、その後の返信はなかった。

まあ、周りに流されて「今すぐ自分も恋人を作らなきゃ」って奮闘するのではなく、自分らしく、自分のペースで生きているうちに、素敵な人に出会えたらいいなと思っている。

そんな感じの日々です。





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