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1じゃ、だめなんだ

1+1=2、1×1=1。誰にでもわかる簡単な答え。だけど、この2つの式は、時にあなたに大切なことを教えてくれます。

あなたがすべきこと、
あなたにしかできないことが、きっとある。

 今日はいよいよ体育祭です。この2週間、朝や昼休み、学年練習や予行を通して、少しずつ成長し、どのクラスも大繩の記録が日に日にぐんぐんと伸びましたね。ここぞというときの集中力や、楽しい雰囲気を大切にできるところが、このクラスの素敵なところだなぁと思います。
 
 さて、ある日の授業中に、友達と仲間の違いについて話をしました。覚えているでしょうか?
 友達は足し算。自分が落ち込んだとき、うまくいかないとき、エネルギーが0になってしまっても、あなたを思う人がエネルギーを分けてくれる。逆に、あなたの大切な人のエネルギーが少なくなってしまったときは、あなたのエネルギーを分けてあげることができる。
 でも、「仲間」や「チーム」は違います。それは掛け算。誰かが「もういいや」「めんどうくさい」「どうせだめだ」「あいつのせいだ」と、投げやりな気持ちになったり、自分のことだけしか見えていなかったり、自分にできることをやろうともしなくなったとき、つまり、誰かが0になった瞬間、チームのエネルギーは0になってしまうのです。
 だからこそ、仲間のため、チームのために、一人ひとりが自分にできることを精いっぱいしようとする気持ちが大切なのです。
 
 学校には、1年間を通じて、たくさんの行事があります。それは、一人ひとりに与えられた輝くためのチャンスです。体育祭、合唱コンクール、学級活動、これから先、あなたが輝くチャンスは何度も訪れます。
 大切なのは、その時その時に、あなたができることを、あなたにしかできないことを、精いっぱいチームのためにしようという気持ちと行動力です。

「国があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたが国のために何ができるかだ」

 第35代アメリカ合衆国大統領に就任したときの、リンカーンの演説の一節です。
 うまくいかないこと、納得いかないこと、自分の理想と違うこと、それを誰かや環境のせいにするのは簡単です。
 けれども、心ない言葉を放つ前に、立ち止まって、もう一度自分に問うてほしい。あなたは、クラスや仲間のために自分にできることを精いっぱいできているだろうか。あなたがするべきことが充分にできているだろうか。あなたにしかできないことが、まだきっとある。

 体育祭には勝ち負けがあるけれど、「勝った」=「良い」、「負けた」=「悪い」ではありません。その結果に至るまでの道のりにこそ、価値があります。そして、その価値を生み出すのは、他でもないあなた自身です。
 
 誰がなんと言おうと、私はこのクラスが、このクラスの一人ひとりのことが大好きです。元気があって、笑顔がいっぱいで、底力がある。まるで力強く大地に伸びる根のような逞しさです。
 この春芽吹き、体育祭という大きな目標に向かって、みんなで雨風をしのぎながら成長してきました。今、その天に大きく広げた葉は何を吸収するのでしょう。何を求めているのでしょう。
 この体育祭が、笑顔の花で満ち、感動で溢れた、初夏の陽射しのように熱く、そして温かい日になりますように。そんな1日にするために、一人ひとりができることを考え、仲間に尽くし、輝きますように。
 どんなときも、一生懸命は泥臭くて、かっこいいものだ。そして、誰かのために闘うあなたは儚くて、美しい人だ。

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―あとがきー
 大人のみなさんは、おそらく体育祭はないと思うので(笑)、組織に生きる自分という視点に置き換えて読んでもらえると嬉しいです。
 この学級通信を改めて読み返して思うのですが、集団やチーム、組織は掛け算なのだと、自分自身を省みたとき、果たして自分は1以上の存在になれているだろうかと、ちょっと不安になります。
 知識と教養と語彙力。これは、私が社会の中で戦う武器であり、自分とチームを守る力だと思っています。絶えず積み上げ、絶えず磨き上げ、絶えず走り続ける。私が2になれれば、チームの力は2倍になる。私が0になれば、チームの力は0になる。
 施されることで成長する時間は20代で終わり。ここからは、自分で掴みにいくときだ。失敗しても、うまくいかないことがあっても、泥臭くて、かっこよくて、儚くて、美しい、そして鮮やかで強かな、蒲公英のような自分になれるように、明日も頑張ろう。あなたも、一緒に。

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