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花残月に贈る、小さな種を

 4月、花残月(はなのこりづき)。桜が散り始め、残りわずかな淡い色をまとった花と新緑の小さな芽が宿り始める季節。枝に残る花たちは、私たちの新しい日々への不安から、過去を名残惜しむ気持ちの表れなのかもしれません。
 それでも、人は美しい景色を心の中に焼き付けながら、前に進むものです。ニュースを見ていると、慣れない余所行きの服を着こみ、麗らかな春の陽射しを反射させたランドセルを背負って、嬉しそうに入学を迎える子どもたちの姿がありました。
 中学校も高校も大学も、そして社会人(は一足お先に)も、新たな道を歩き出しています。

 私は中学校の教員なので、クラス替えで耳にするのは「今年のクラスは嫌だな」「クラス最悪」「そっちがよかった」という声、そして最も多いのが「去年のクラスがよかった」。
 隣の芝が青く見えるように、社会の荒波を知らぬ子どもたちにとって、過去は美しく見えるものなのかもしれません。(大人はどうですか?笑)

 今日は、そんな子どもたちに向けて贈った言葉を紹介させてください。
 そして、新たな道行くすべての人へ。

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小さな「種」の物語がはじまる

 今、今日からともに過ごす仲間たちを迎え、どんな気持ちでいるのでしょうか。不安も希望もあるかもしれませんが、それはどちらも、これから始まる新しい日々への「期待」の裏返しであることを覚えていてくださいね。

 さて、先生たちからの「贈り物」はどうでしたか?
 新しいクラスは、先生たちからみなさんへの「贈り物」です。この贈り物は「小さな種」です。
 どんな葉を広げ、どんな花を咲かせ、どんな実が宿るのか、あるいはどこまで伸びていくのか、誰も知らない「種」なのです。
 この「種」をどのように育てていかなければならないのか、あるいはこの「種」が芽吹き、成長していくために自分ができることとは何か、自分の頭で「考え」「行動」してくださいね。
 1年後、この小さな「種」がどのように育ち、どんな姿を見せてくれるのか楽しみにしています。

 今年の学級通信のタイトルは「花は咲く」です。私の大好きな「花さき山」という絵本が由来になっています。ちょっと、ご紹介しますね。

 あやは、祭りのごちそうの
山菜をとろうと山に入ります。
 そして山一面に咲いている美しい花を見つけます。
驚いているあやの前に山姥が現れて、
そこに咲いている花の一つひとつが、
村の人の心で咲いているのだと教えてくれます。
 人のためを思って、優しいことをすると、
花が咲くのです。
 目の前に咲く赤い花は、
昨日、妹が泣いて着物を欲しがったとき、
「おらはいらねえ」と、
あやが欲しいのを我慢して言ったときに咲いた花。
 村に帰って、あやは家の人にその話をしますが、
誰も信じてくれません。
 もう一度その山を見つけようとしても、
見つかりません。
けれど、あやはときどき、
今、自分の花が咲いているなと思うのです。
『花さき山』作:斎藤隆介)

 『花さき山』のあやは、花の中に「やさしさ」を見つけます。
 あやは自分が目にした花の山が、人の心の中にあるのだと気付くのです。「(自分を)耐える」ことで、自分の行為が「花」という別のものに姿を変えるのです。
 私たちの人に対する行為は、いつも誰かが隣で見ていて、褒めてくれたり、感謝してくれたりするわけではありません。
 でも、そのあなたの行動は、必ず誰かのもとに届き、姿かたちを変え、心の中に咲く「花」となって、あなたのことを勇気づけてくれるはずです。
 みんなの心がたくさんの「花」で溢れますように。私たちの「花咲き山」が、たくさんの「やさしさ」で満たされますように。
 そんな気持ちと願いを込めて、「花は咲く」というおたよりにしました。

 今日から1年間、あなたに贈られた「小さな種」を育てながら、一緒に、「花さき山」を色とりどりの花でいっぱいにしましょう。

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ーあとがきー
 いかがでしたでしょうか。子どもたちの過去を惜しむ気持ちを否定するつもりはありません。ただ、前を向いて、まわりを見て、「今」を生きてほしいと思って書きました。
 ちょっと自分の心が狭くなっているな、と思うとき、私はいつも「花咲き山」を読みます。今まで何度読んだか、知れないほどです。
 大人になって、この本を読むたびに、自分の心の中にある「花咲き山」を思い浮かべては、反省してばかりです(笑)。
 風渡りゆく青々とした草原も素敵ですが、願わくば、私の心の中にある花咲き山を、たとえ小さな花でもいい、立派でなくてもいい、あたたかい陽射しと風に揺れる花たちでいっぱいにならんことを。
 あなたの「花咲き山」。ときどき自分で覗いてみてください。


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