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今年の夏を楽しみたいから、仕事を辞める。

今日、5月末で仕事を辞めると決めた。

勤務して約5年。

いろいろと優遇していただいてきたし、
仕事内容も人間関係も、
お給料も悪くなかった。

でも、なんとも言えない窮屈さと、
言葉にできない違和感というか・・
"なんとも言えない心地の悪さ"が
ずっとあった。

でも、特に辞める理由もない。
可もなく不可もないような仕事。
なんとなくの感じで今まで続けてきた。

休日を含めると
起きている時間の約1/3を
(感覚的には2/3くらいに感じる)、
わたしの貴重な時間、
わたしの人生を、
"お金をもらえるから"という理由で、
だらだらとこの仕事に費やしていいのか?

この問いが出てきては、
見ないふりをして惰性で続けてきた。

仕事が全く楽しくなかったわけでもない。
どちらかというと、内容は好きな仕事。
やりがいもそれなりに感じていた。

違和感を感じるたびに、
「好きな仕事だしこのままでいいじゃん」
「お給料も悪くない」
「自由もきかせてもらっている」
「他にこんな職場はないかも」
「辞めるなんてもったいない」
こういう思いがかき消した。

でも今日、
「今が潮時だな」
とはっきりと感じた。

ここはもうわたしの居場所じゃない。
"この状況を乗り越えなきゃ"という
状況じゃないんだな、と感じた。

こういう時に無理してしがみつくと
もっとこじれるのは経験上わかっている。

今の会社、というか、
今の社会の(古い)仕組み自体が、
根本的に自分の価値観とズレているから。

永遠に平行線。

普通の人から見たら、
わたしはきっと
"社会不適合者"なんだろうけど、
必死に社会に適合してる人って
結局みんな奴隷マインドじゃん、と思う。

ひどい人は、
自分のことを"社畜"だの"無能"だの言って、
必死に会社のために働く。

会社はそういう人ほど大歓迎。
奴隷のように何でも言う事を聞くから。

そこまでじゃなくても、
上司の顔色伺って、評価を気にして、
「ハイ、ハイ」とロボットみたいに動く。

それが当たり前の社会。
"我慢するのが仕事"
"お給料は我慢料"
と支配者たちに刷り込まれてきた。

古いピラミッド型の支配社会。
わたしはもう、いいや。

他人の目や評価を気にして、
自分の価値を他人に丸投げして、
そんな状態で、
一体なんのために生きてるんだろう。

そっちの世界はもうやめる。

それに、もうすぐ夏が来る。

海の近くに引越ししてきて3年、
夏の天気のいい日に仕事をしている時、
「ああ今すぐ海に行きたい」と
何度思ったことか。

今年の夏は思う存分海に行く。
今年の夏は今年しかない。

不安がないわけじゃないけど、
自分を信じる。

お金を自分より上に置くのはやめる。

 



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