「夫婦」を捉え直すための…石田衣良さんの著書『再生』

2009年角川書店より発行された、石田衣良さんの著書『再生』

この中に「東京地理試験」がある。松井定明(さだあき)という初老の男性が、新し世界へと踏み込む努力をやり続けた物語で、そこにいる妻の存在は小さく、見え隠れしている。

定さんは、高校を卒業してから40年、清掃車を運転していた。趣味は将棋。休日は区民センターの将棋教室に欠かさず出席した、将棋マニア。

定年退職をむかえ、意気揚々と将棋教室へと通った。

最初の一週間は天国だった。

利発そうな顔をした筋のいい子どもたちと対局しては、将棋のこと、世の中のことをすこしずつ教えてやる。同世代の仲間とは昼食代をかけて将棋をさしながらも、年寄りを大切にしない世のなかにさんざん悪口をいいあった

ところが二週間目になると、負けがこんできた。

すると、将棋がかつてのようにたのしいものだけではなくなってしまった。

そんな定さんは嘱託の運転手の募集はないかと、以前の職場に問い合わせて、タクシー運転手の仕事を紹介してもらったのだった。それが「東京地理試験」である。今のようにカーナビなどない時代には、ひたすら地理を憶えるしかない。この試験を受ける定さんの奮闘ぶりが書かれている。

六十近くになってから、こんなに厳しい目にあうとは想像していなかった。年をとってみるまで、誰にもわからないものである。


定さんは、どうやら自分の頭が人より劣っていると気づいたのは、小学校高学年で、そのときから人の何倍も頭をさげることにしたのだそうだ。

小学校の課外授業で初めて将棋をさし、顧問の先生にほめられたのだ。…そのときが生まれて初めてだった

子どものときのひと言が人生を決めることがある。教師のなにげないほめ言葉が、定明の一生を支えたのだ


何度も試験に落ち続ける定さんが心配で、とうとう試験会場に来た妻の敏子さん。

「うちの人は気がちいさいし、くよくよ根にもつタイプだし、いくじはないし、なんだか心配でいつもそばにいてやらないといけないんです」

いつも定さんよりも一歩行動が早い敏子さん。




夫婦というものは、夫婦にしかわからない歩みの速度がある。
生活の中で、お互いを観察し合い、いい塩梅(あんばい)になるように探りながら共に生活基盤をつくり上げていく。それが結婚生活というものだろう。

これから新しい家庭をつくるので「これからの二人を見守ってください」という結婚披露宴をしているわけである。

ところが…社会はそれを放っておかない。

子育てが終わったオバサン達が余計な手出しや口出しをして、見守ることを監視すると勘違いしてしまった地域社会。面白いことに、ご近所で離婚したりすると、女性達は伝言ゲームを始める。そのことを知らないとここに住んでいてはいけないかのように…。

それをマスコミがやってしまう。

他人の家庭のことを広める人は、それを使命かのように思っている。まったくつき合いがないご近所のことを、ただ、その事実だけを伝えることで、それを知ったその家庭の子どもに、どんな風に耳に入ってくるのか…そんなことはお構いなしの女性達と同じことを生業にしている。

「みんなで渡れば怖くない」という心理で始まる伝言ゲーム。

一番困るのは、その伝言ゲームに参加をしていないのに、勝手に伝言ゲームの参加者とされてしまうこと。これほど迷惑なことはない…のだ。

見えない電波となってキャッチし合っていても、そのキャッチをあえてしないという人も世の中にはいるわけで…それが人間社会の見えない「縁」であって、最初は「良い縁」であったとしても、そこに関わる人達によって「悪い縁」になってしまうこともある。

皆で美味しい食べ物を口に入れて、身体の中で分解され、排せつ物になった時に、同じようには出てこない。これは「情報」にも言えることだと思う。





養老先生も以前、長年一緒にいる妻のことでもわからない…と言われていた。

頼るということが、そこに「借りをつくる」ことになるのだろうか。「無償の愛」というものであろうと、そこにしっかりとした生活基盤がなくては生活に支障がでる。

松井定明(さだあき)という初老の男性が、将棋にのめり込もうと、タクシードライバーになろうとも、役所の年金があるから生活に困ることはないゆえに、このようなことができたというわけでもない。

実際は、誰にもわからないものである。