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ある王女のはなし


彼女は、このように話していました。

だれも、自分のことはよく見えないし、最大の弱点が最大の強みになることもあれば、逆もある。ただ、実際的なやり方で、物事を進めていくのが好きなのです。

愛想をふりまいたり、ポーズをとったりもしない彼女。そのため、マスコミにも評判はよくなかったといいます。

その彼女への評価が大きく変わりました。

1982年10月下旬から、アフリカ・中東8ヵ国を視察。スワジランド、ジンバブエ、マラウイ、ソマリア、ジブチ、北イエメン、レバノンを3週間で、約2万2千キロに及ぶ旅でした。彼女は腕まくりをし、ジーンズをはき、泥だらけになって活動をし、朝は7時半から活動を始め、深夜まで、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の足で歩いたそうです。

エチオピアとの国境から8キロほど離れている場所に向かう予定だったのですが、ソマリアとエチオピアの紛争が激化。身の安全を心配した外務省から、残りの日程を中止するよう通達されます。

彼女はそれでも「私は行きます」と、戦火の続くレバノンにも訪れたのでした。彼女が訪問し、活動をしていたのは「難民キャンプ」でした。

この彼女の並外れた行動力は、イギリス国内に「難民問題」への関心を高めることとなりました。



今までの評価を変えたのは、彼女の「真実の姿を見た」マスコミ側だったといいます。

彼女はインタビューで答えています。

幸運なことに私は、結局、自分と向き合って生きるしかないと教育されて育ちました。人にどう映り、どう思われようと、自分の良心をして、人を傷つけない、と言い切れることが大切です。


彼女の生き方、考え方の形成には、小さい頃からの両親、とりわけ父君の教育が大きな影響を及ぼしているようだという話を聞いたのは、1989年10月下旬のことです。


そして、日本は


川口順子外相(2003年)以来の女性外務大臣ですね。上川陽子さんも、ご両親、父君の教育に大きな影響を受けてこられたのでしょうか。