
「目標設定」はしっくりこなかったけど、これをしたら一歩も二歩も進めた!
新年を迎えて、2週間近く経ちました。
私は、年末年始のSNS(特にFacebook)を見ていて、『今年の目標』や『抱負』に、「正直、ちょっと眩しすぎるなぁ」という感覚を持っていました。
年が変わって、気持ちを新たに「頑張ろう!」と仕事や学び、遊び、ご家庭のことなどに取り組まれている方が多いのだと思います。
でも、「『目標設定』『新年の抱負』なんて言われても、そんな気分じゃないよ…」とか
「目標を立てても、どうせ周囲の状況も自分の気持ちも変化していく。目標通りになんていかないんだから、立ててもしょうがないでしょ」とか
「そもそも、何をどう目標設定したらいいかわからない」
と感じていらっしゃる方もいるのではないでしょうか。
「目標」という言葉に「乾き」を感じる
先日、さわらぎ寛子さんのオンラインサロンで「ふざけた目標設定の会」に参加した時、ある方から「私は乾いた目標設定をしていた」と名言が飛び出て、「私もそうなってたかも」と共感しました。
というのも、私は2020年の9月から、週に1回「週報」を書き続けていまして、

「毎週の振り返りと次週の行動目標設定」を継続し続けた結果、
・2年前に掲げていた目標のうち、本気で願っていたことは叶ってしまった
・大きな目標が叶った後は、掲げる目標自体が小さくなってしまった
・目標→行動→達成というスモールサイクルに飽きた
という状態になりました。
目標と聞いても、「タスク感」「義務感」「(立てる目標が小さいから)やったらできるでしょ感」を感じてしまってワクワクしないのです。(小さくおさまってるなあと思います)
「目標」に疲れたので、空想してみることにした
「空想」はいいです。無責任でいられる。

「目標」って言葉に重さを感じる理由って、「達成しなければ」と気負ってしまうところにあると私は思うんです。
「目標なんて、達成しなくてもいいよ。方向性を決めるためのものだから、やってみて、後から修正すればいいの!」という意見もありますし、賛成します。でも、どうしても「目標」には「達成すべきもの」「義務感」みたいな感覚が付随してくるような印象がありませんか?
当然、「思いついたけど、実際にはやらないかもしれない」ということは、「目標」としては言いにくい。
でも、面白いことって「なんかちょっと思いついちゃった!やっちゃおっかな!」から生まれることって多くないですか?
「決めたらやる」がスタンダードな方は、ちょっとだけ自分への圧を緩めるために、年末年始は「空想する」くらいがちょうどいいような気がしています。
空想するだけでも、結構面白いことが起きる
ちょっと興味深いことが一つ。
上の空想メモを書いたその日のうちに、
・書道教室の予約
・トレーニングジムの予約
・写真撮影の予約
・寝室の移動(1階から2階へ)
・鏡台の移動(明るい部屋でメイクできるようになった)
・美活ブログ途中まで執筆
と、半分以上のことが「一歩」進みました。
しかも、軽やかに。
何の精神的負担もありません。
私は、目に見える形にすることで(書くことで)「なんか、ここに書いてあること、やらないと気持ち悪いかも」という気分になってきます。一気に全部やるのは難しくても、短い時間でサッとやれることなら、サッとやっちゃいます。
また、書くことで他の人に協力してもらいやすくなったり、「一緒にやりたい」と言ってくれる人が現れることも実感しました。(寝室の大移動は夫と子どもが賛成してくれて、平日19:30という時間に一緒に動いてくれた)
空想メモ、面白いです〜。
「空想」を言葉にして、見える形にしてみませんか?
私が現在作成中の新サービス「フィーカ(Fika)モニターセッション」で、1月は「空想セッション」を募集しようと閃いたので、優先案内が欲しい方はメルマガにご登録ください。(何日に募集するか決めていないので、お早めにご登録ください)
1/13(金)昼頃に募集して、お申し込みをいただいたため、今回の募集は締め切りました。今後も、何かモニターをするときはメルマガから募集しますので、気になる方はご登録ください^^
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