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学期末と師走:雑記

授業もあと一週を残すのみとなり、キャンパスは学期末の慌ただしさに包まれている。クラスメートの顔も、どこか皆疲れたような眠そうな感じだ。
自分はといえばThanksgivingの1週間の休みに大して缶詰で勉強していなかったつけが回ってきたというべきか、あるクラス (Social Capital) のリサーチプロポーザルのペーパーで中々メンタルが豆腐になった。
あまりいいことではない気がするが、齢30 (正確には29) まで火事場の馬鹿力が最後には出るのでなんとかなるという根拠のない楽観的な自己過信と共に来てしまったので、全てを計画的に進める几帳面なタイプの民とは真逆のスタイルで生きている。調子が良ければすらーっと書けるし、調子がのらない時はノロノロ這うようなスピードで字面を追うか、肥やしになるかもわからない文章の細切れメモをカタカタ作ることくらいしかやらない (できない)。本当はもう少し毎日きちんと計画的に進められたらいいのだろうけど、まぁしょうがない。昨日よりは今日、マシな方向に進んでいればそれに満足する方が精神衛生に良いことは間違いない。

世のPh.D.学生がどう生きているのか知らないのだが (是非みなさんブログ書いてください!)、この界隈では「imposter syndrome」という言葉をよく見かける (jargon的なものになっている気がする)。日本語にしてしまうと「インポスター症候群」だが、なんか日本語から受けるカタイビョーキ的なイメージ (私だけ?) とはニュアンスが違う気がする。要は自分を過小評価しがちな傾向について"それあなただけじゃないよ"という話だ。「知」を生業にしようとしている民はとりわけそうなりがちなんだろうか、と思ったりもする。どこかのクラスで誰かが質問を言う際、「間抜けな質問かもしれないんですけど…」を枕詞的に毎度つけるものだから、別の誰かが「それインポスターシンドロームだよ」と言い、被せて先生が「院生みんなそうじゃない?というか教える立場になってもそうかも」と言っていた。

まぁ自分的には正直働いていた時の自分でコントロールしようがない諸々のストレス(心身の不調に帰結した)と比べれば、自分で自分の締め切りをマネージすることの多少のストレスなんぞ屁でも無い (と言いつつ負荷がかかると独り言が増えるので、ルームメイトは多少うるさくなったなと思っているかもしれない…)という感じなのだが、それでもいくら素晴らしいね!と褒められても素直に受け取れない自分を自覚している。そして、素直に受け取らないからここまで来れたんだろうとも思っている。(そして院生全員そうだと思う。) だから多分、直す気は根本的には無いのだが、それでも健全なメンタルを保つこととのバランスには気をつけるべきだろうなと思っている。

Ph.D.課程においては特に、知的旅路の段階は人によって様々だ。だから自分より先の段階にいるクラスメートのペーパーを読み、その緻密さに圧倒されたりする。当然、自分がそこまで手練た議論展開をできる段階にまだいないことは強烈なコントラストを持って意識に浮かび上がってくる訳なのだが、そこで意識して、「良い学びになった」と前向きに意味付けるようにしている。(注・と言いつつ冒頭でメンタルが豆腐になったと書いているので、これは実際中々難しい。)

まだFinal paper(s)は途中だし、テストもこれからなのだが、今のバタバタとした慌ただしさも、記録しておけばそれはそれで面白いか、と思い少し書いてみた。色々片付いた冬休みの入り口には落ち着いて自分の研究について考えられたらと思う。 (学期中は目の前の膨大なインプットの消化とsynthesizeでCPUはいっぱいいっぱいだ。)

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