組織文化が大事であることを、現場や若い世代にも理解してもらうための例え話

組織文化に関する小難しい論文、ビジネス理論はネットで検索すると、沢山出てきます。近代でいうと「経営者の役割」のバーナードやエドガー・シャインなど。ただ、万人向けとは言えないし、面白くもないし、この手のものって実用的なの?と思われているのが正直なところかと思います。

自分が所属する組織は、急成長期に入り、色々な人が入ってきています。そうすると、組織を俯瞰的に捉えられる、もしくは捉えようとするわけではない人の比率が増え、小難しく説明してもピンとこない人が増えるわけです。

一方、言語化された文化の共有が必要になるフェーズに差し掛かっているのですが、共有される側、もっというと媒介になってもらうためになんと説明すればその大事さがわかってもらえるのかを考えました。

表現が稚拙で、筋がいいかもわからないですが、自分は下記の様にメンバーに伝えたので、記録しておこうと思います。

●「文化を浸透させる」とはどういうことか?

組織としての考え方/ものの見方/ルールを揃える、ということです。

●では「組織としての考え方/ものの見方/ルールを揃える」ということの意味は?

「コミュニケーションコストを下げる」ことなんだが、わかりづらい話なので、例えを使います。

それぞれの家庭において「自分が親に小言を言われた時」とか「弟/妹に小言を言った時」とかのシーンをイメージしてほしい。

小言を言う/言われる時って、家庭の中にある色んな考え方やルールに反した時だと思います。

「スポーツで頑張ることはいいこと」「勉強では1番を目指しなさい」「一回やると決めたことはやる」とか、「嘘つかない」「帰ってきたら手を洗う」「食事を食べたら食器を自分で洗う」「ゲームをやるのは2時間まで」・・・などなど、色々あると思いますが、これらが守られていなかったりすると小言をいう。

で、家庭ではせいぜい、言う対象が1~3人とかだと思います。それでも「めんどくさい、手がかかる」と思うと思います。

これが、もし自分の弟/妹や子供が1000人とか2000人になったとしたら(現実的にないけどw)、もう小言を言ったり、何らかの取り組みをした後に叱ったりするだけで、家庭の時間は一気に無駄なことに取られることになる。
その無駄なことで、他の家事や様々なことが何もできなくなります。

でも会社組織ではそれが起こるし、これからの我々はそういうフェーズを迎える。

これが、最初から家庭の考え方やルールが共有されていて
「クラスの中間試験で1番を取る為に宿題をちゃんとやっている」「目を話しても手を洗っている」「言わなくても食器を片付けている」「次男が三男に『一回きめたらやらないとだめだよ』と言っている」っとなったら、滅茶苦茶楽になる。楽になると、色んな他のことができるようになるし、気持ちよく家庭生活が送れるようになる。

組織文化を浸透させるというのは同じ構造です。

マネージャーがメンバーに、メンバーがメンバーに小言を言わなくても、
目を話しても1000人以上の人間が同じ考え方で動くということです。
本来、組織として工数を投下すべき所に注意を向け、工数を投下できるようになる、ということです。

●そして、”今”なぜ文化共有/浸透が大事か?

組織には"臨界点"と言うものがあります。

10人の組織で朝1人しか「おはよう」を言わない組織が、
3人位がおはようと言うようになると

「あれ、なんかおはようということが当たり前になったのかな?」

と思い始め、一気に10人皆がおはようと言い始める。

ここでいう「3人」が臨界点です。

急拡大する我々の組織においては、昔からいる人(≒文化を理解している人)の比率が急速的に下がっていきます。(「25%(200人中の50人)」から「12%(400人中の50人)」になる ※数字適当)

一方、組織文化に明文化されている考え方が"当たり前になるかどうかの臨界点"の絶対値(人数)は上がっていきます。
(おはようの例でいうところの「3人」は20人になれば「6人」になり、100人になれば「30人」になる)

だから、臨界点を割らないために、"今"、文化を浸透させないといけない。
ここで浸透しないと、1000人の組織になった時に、そこら中で「小言をいいまくる」光景になり、経営として「目に見えないコスト」が膨れ上がり、贅肉の多い組織になる。


・・・とこんな感じでした。
伝わったかは分からないですが、文化が浸透することのインパクトを最大化することを考えると、文化の媒介者をどれだけ創れるかは非常に大事なので、考え続けていきたいなと思います。

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