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朝5時、溢れる涙で目が覚めた

朝5時。溢れる涙で目が覚めた。

介護施設で生活している祖父が亡くなったが、コロナの影響で私は帰省できず悔しくて泣いているという「夢」だった。

なんとも縁起の悪い夢である。

気分転換にすぐに外へ走りにいき、落ちた気分は少し回復したが1日中モヤモヤしていた。母から電話が鳴ったときは、「正夢」になったのかと焦ったが、東京で一人こもり生活を労わる内容だった。家族のありがたみを実感する。

ワンルームの部屋に、テレビとテーブルとベッド。生活のすべてが詰まっている部屋に、私は一人で住んでいる。

家賃が馬鹿みたいに高くて狭い、便利で忙しい街、それが東京だ。美味しくて美しい食と、ルーティン化した仕事に、刺激的な学びと出会い…私の生き方を変えてくれたこの街には感謝しかない。お金を稼げば稼ぐだけ、充実した満足感を得られるという法則を多くの人が信じている。だから、必死に働く。良きものを身に纏い、良き家に住み、良き仲間と苦楽を共にする。

そんな「普通」を自身も受け入れてきた。学生の頃から、「普通ではない」人を見ていたけれど、自分の選択は意外にも「普通」だった。否定するつもりはないし、やりがいを見つけて生きているが、そんな自分がこれからも続くことに迷いがないかというとウソになる。

御幣を招かないように言うが、「普通ではない」といっても経済的に自立している人たちのことを指す。ただし、お金と同じくらい大事にしているものがあり、それは家族・社会課題・住環境などさまざまだ。

未知なるウイルスと長期戦の中、医療従事者でも小売業を営んでいるわけでもない私は在宅で仕事をこなし、休みの日もほぼ家にいる。

「わたしはどうしていきたいのか」

「社会はどう変わるのか」 

「なにかできることはないか」

「生まれ変わったら何の職業に就くか」

など考えている。それは、東京に暮らし続けていくかどうかという問題提起でもある。幼い頃を、田舎で過ごし、自然と生き、人とは違うことばかりやってきたアブノーマルな生き方をしてきた血がどこかで騒いでいるのかもしれない。

人は失うものには敏感、失っているものには鈍感

尊敬している人が授けてくれた言葉。いま、私は意思決定をするとき「失うもの」を真っ先に想像する癖を直している。一昨日みた「悪夢」も、今の仕事と給料を失ったときの想像はするけれど、当たり前の日常に疑問をもっていなかった自分の意識の低さだと実感した。

渦中、これからのことをまだはっきりと決めたわけではないが、決して忘れたくない出来事として残しておきたいと思う。

東京は、絶対に捨てることのできない、否定したくない街であることも補足しておく。

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