好奇心、愛。
最近は、様々なジャンルの締め切りが重なったり、不安定な未來を心配して、すべての時間は、いわゆる仕事モードだった。
「レベルを上げたい」と、格好つけて備品に投資をした分、遅れてきた支払いに追われるように、とにかく必死になっていた。
タスクまみれな日々をコツコツ真面目に頑張っていると、いつも、必ず、飽きる。
飽きると創作依然にライスワークや日常生活が嫌になる。
「ダメだ、ファンタジーが足りないっっっ!!!」
生理がくるのと同じくらい防ぎようもなく、一定期間を経て、すべてに飽きる時期がやって来る。
家に帰って寝るのもつまらないけど、20時以降はスタバすら追い出されてしまう。映画館もやってない。誰かに会って話したところで、結局は気を使うだけだ。
仕方ないから長い散歩に出たり、家の半径2kmをグルグルグルグル...ひたすらドライブしたりする。
人は飽きるのが普通なのかもしれないけれど、わたしは没頭癖も強い分、飽きた時の心情的な駄々っ子感は、我ながら手に負えない。
「なんてつまらない人生なんだ!」と絶望したりする。
こうなった時は、
①恋愛をする
②映画を観る
③海外ドラマを観る
④本を読み漁る
だいたい、この中のどれかに頼る。
①に関しては、一人では解決できないので②以降でどうにかすることの方が楽チン。
ただ....、それでも「なんか違う」感に苛まれる時は、やっぱりある。
何にでも相性とタイミングはあるもので。どれにもハマれないときは、この世の終わりかと錯覚する。
そうして、いつも通りに“この世の終わり”を経て、久しぶりに雑誌を読んでみた。
本棚にきちんと並べられ、出番待ちのまま一年が経ったBRUTUS 2020年11号『恋の、答え。』
つくり手の旬をこえて、2021年9月のわたしは、今この中の言葉たちに旬を感じる。
仕事も、身につける物も、恋心と同等に一目惚れのワクワク感を追い求めてしまうわたしにとって、外出しなくても完結する仕事は、楽チン過ぎて、すぐにトキメキが枯渇してしまうようだ。
(マンネリなんてクソ喰らえ。)
そんな核を持っていなければ、今ごろとっくに結婚をして、立派に二児の母くらいにはなっていたかもしれない。
それとは縁遠く、やりたいように生きているのだから、コロナやリモートワークやら、真面目にコツコツなんて、定期的に飽きて当然だ!!
いつのまにか、飽きを受け入れている。
どうせまた飽きるけど
例えば外国に行っても、数日経てば、わたしは、どうせ飽きる。
たぶん宇宙すら飽きるし、どこへ行っても外出先の雰囲気の良い場所で、時間の許す限り仕事をするか、どうせ、Netflixを観るか散歩をする。
けれど、ずっと同じ場所の半径2kmをグルグルしていても、それほどドラマチックなことは起きやしないし、同じ体験をしてもトキメキ具合は違う。
「コロナだから」は、言い訳で、衝動にかられたら冒険だってどこだって行くはずだ。
そろそろ自分に素直になって、冒険に出る時期なんじゃないか。
人ってあまのじゃくだから、冒険から帰ってくる頃には、今の半径2kmにワクワクするものだ。
早く一目惚れを探しに行きたくて、ウズウズ。
人でも物でも、景色でも良い。好奇心が震えるような一目惚れを探しに行きたい。
そんな風に、沢山の恋がしたい。
恋なのか愛なのかグラデーションを楽しんでいるとき、最も楽しくモノづくりができるから。
(備忘録)
2021.09.25
Live, Love, Laugh, and Be...HAPPY.
Mineko Koyama
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