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10年が過ぎて、思うこと。

東日本大震災

2021年3月11日。

東日本大震災から10年が経ちました。

10年前のこの日、僕は中学3年生で卒業式の当日でした。4月からの新たな高校生活に想いを馳せながら地元の友達の大勢との学生最後の思い出を作っていました。お昼前に家に帰り昼食を取ってリビングのソファーで仮眠を取っていました。ふと目が覚めてテレビをつけるとNHKの国会中継が映っていました。しかしその中に映っていたのは議員さんたちが慌てふためいている光景でした。時刻は14時47分。チャンネルを変えるとこの世のものとは思えない映像が映し出されていました。信じられないほど轟音とともに揺れている東北の地。とんでもない大きさの津波が街や住居、人に襲いかかっている様。中学3年生の15歳でも大変なことが起こっていると実感しました。東北には個人的に直接的な親戚や友人はいなかったので、誰かの身を案じることはあまりありませんでしたが同じ日本人として胸が痛まないわけがありません。

無力さ

住んでいた関西では僕が産まれる約1年前に阪神淡路大震災を経験しています。そして高校卒業後、新潟県に移る事が決まっていた僕は地震に関して少しばかり不安がありました。過去に新潟県でも大地震が起こっていたからです。幸い新潟県に住んでいた間はそのような自然災害に直面することはありませんでしたが、いつどこで何が起こってもおかしくないように思います。

2019年まで栃木県で仕事をしていました。地震ではありませんでしたが、2019年の10月中旬頃、大雨で河川の反乱が起き栃木市はじめ多くの街に甚大な被害がもたらされました。この時期は僕は鹿児島県にて[全国社会人サッカー大会]にクラブで参加をしていたので1週間ほど栃木を出ていました。大会期間中テレビで知っている場所が濁流に汚され、通っていたお店や知人の友人の家が泥で住めなくなるなど大会後に大きな影響がありました。

本当にいつも当たり前にそこにある[日常]が一瞬にして奪われてしまう怖さと、この地球で全てを支配しているような感覚でいる人間が、その地球の自然を前にするとこんなにも無力だということを感じています。


これからの使命

日本という国は地震だけでなく台風やその他自然災害に多くの時間向き合わなければいけない国です。多くの時間向き合ってきた国民です。もうどこにいても何が起こってもおかしくないし、地球温暖化など環境破壊の影響もあり、その自然災害のダメージの大きさは年を重ねるごとに大きくなっているような気がします。

そして2022年から和歌山県に住むことになります。

僕が産まれた1996年頃から今もずっと「そろそろ南海トラフ地震が起きるらしいよ。それも確実に。」と言われています。30年以内に80%の確立だなんだと言われて、僕は25歳になりました。正直不安が無いと言えば嘘になります。

ただ今はただ恐れるというよりも、本当にそのような大きな災害が起きた時には力になりたいと以前よりも強く思います。クラブとして、チームとして、個人として、その街や人のために何かをするということの重要性は、東日本大震災を経て、栃木県の豪雨災害を経て、2018年に宮城県女川町を訪れて感じたものを経て、Jヴィレッジで仕事をしたことで感じた原発の影響を経て、僕の価値観や考え方も前進してきました。

[3.11]なんていうワードが生まれなかった方がよかったと思うし、東日本大震災なんて起きない方がよかっただろうし、原発事故なんて起きなくてよかったと思う。

だからこそ1年に1回だけでも、誰かの記憶で思い出す事が次の世代に繋がるのだろうし、伝えていくことが使命だと感じる。

そしてこの忌々しい日は、誰かの誕生日であり、結婚記念日であり、素晴らしい1日でもある。

今年も自分らしく、前向きに生きていきたいと思います。

これからも自分以外の【誰か】や【何か】のために、少しでもその方々にとって有意義なものを作っていきたいと思います。楽しみましょう!