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音楽で誰かを救うということは

2月12日に淡路島の洲本で行われた「届け 淡路島から能登半島へ」に参加しました。

皆さんご存知の通り2024年が明けた1月1日に能登半島を中心とした地震が起きた。私が住む神戸も揺れた。しかも長かった。私はその日、元旦限定のホテルのお楽しみ縁日のバイトをしていて、会場のシャンデリアの揺れで気づいた。なかなか揺れが収まらない長さの地震と1月という季節に、神戸の震災を思い出さずにはいられなかった。

29年前も私は神戸に住んでいた。成人式の2日後、短大卒業前の久々の登校日の朝だった。何となく微かな揺れを感じながら「震度1くらいかなぁ」と目をつぶっていると、突然下から突き上げられるような激しい縦揺れ。一瞬何が起きたのかわからないまま飛び起きて勝手口のドアを開けようとしたが、揺れが強すぎてドアが開かない。部屋から母の声が聞こえて、ひとまずタンスが倒れないようにタンスを押さえて立っていた。本当に長く強い揺れだった。なかなか収まらない激しい揺れに「いつまで続くん!?」と思いながら食器や物が落ちて割れる音を聞いていた。少しずつ揺れが小さくなってきたのでタンスから手を離し、ふと自分の枕元を見ると壁掛け時計が落ちていた。長い揺れは否が応でもあの日の光景を思い出してしまう。

元日から1週間経ったくらいに淡路島のスタンダー堂の植田さんから「2月12日に能登半島の義援金を集めるチャリティーライブをするので参加しませんか?」と連絡が来た。年末にスタンダー堂音楽祭と称してライブをしたメンバーのグループラインにそう呼びかけていた。私は最初辞退した。チャリティーライブならば、なるべくたくさんの人が集まった方がいい。私が出たところでたくさんの人を呼べる訳でもないし、淡路島の人だけでやった方がいいと思って。それでも協力はしたくて出演者募集の呼びかけの文章を書いている時、震源地に近い新潟に住む友人や石川県にご家族がいる知人が頭に浮かび、私の歌が力になるならやってみたいと思い直して植田さんに連絡した。ちょうどそのタイミングで永野綾華さんから「こちらのお店のチャリティー、よければ一緒に何かやりませんか?というお誘いです。この投稿見て、すぐにみねこさんのこと思い出してやりたいなと思った次第です」と連絡がきた。そうして決まったバイオリンの永野綾華さんと私のユニット。

即席ユニット結成から1か月後に本番のステージ。綾華さんとふたりでやると決めてから曲目はすぐに決まった。

①満月の夕
②悲しくてやりきれない
③ena
④喜喜

「満月の夕」と「悲しくてやりきれない」は間奏にバイオリンが入るイメージ。「ena」は歌が強いけど「喜喜」は最後の後奏で綾華さんに思い切りソロ演奏してもらうイメージができた。そのイメージは実はここから生まれてる。

西表島に旅に出た時に、何故か流れで行事の打ち上げをしてる地元の公民館で歌うことになり、そこに酔っ払った西表島の友人がラップで乱入してきた。突然すぎて驚いたけど、友人だったし困ってる私に気づいて ♪そのまま峰子さん〜♪とバッキングギターを続けるように歌われ、そのまま流れを感じながらひたすらバッキングギターを続けて切りのいいところで終わらせた。そのセッションが本当に楽しくて、酔っ払った友人が気が済むまでラップしたように、綾華さんにも気が済むまでソロを弾いてほしいと思った。

あらかじめ私の歌のコード譜を綾華さんに送って、1月の終わりにスタジオ練習をした。その時に綾華さんにこんな話をした。

長田港
虎舞が船に乗るところを見に行った

1月20日に阪神虎舞というグループが長田の様々な場所で虎舞を披露しており、私は友人と長田港から船に虎舞が乗るところを観に行った。

長田港に行く道中に「長田に港なんてあったんだ〜」と呑気に話しながら歩いている内に町の違和感を感じた。古い街並みのままの場所と、新しい家やマンションばかりの地帯がある。ふと気づいた。その新しい家やマンションばかりの場所は火災があった場所だったのだと。何気なく前を通ったアグロガーデンは避難所があった場所。当時の私は被災者のひとりではある。自分のところで精一杯で長田のことを知ろうともしてこなかった自分を目の当たりにした。虎舞の帰り道でそんなことばかり考えていたと綾華さんに話した。その時、綾華さんの震災体験を聞いた。その体験はここに書くことはできないけど、その話を聞いて、より最後のバイオリンソロに綾華さんの想いを気が済むまで出し切って欲しいと願い、「満月の夕と悲しくてやりきれないは被災した方々の悲しみに寄り添って、enaと喜喜でこれからどう生きたいか、何を大切にしていきたいか、何を残していきたいかを表現したいと思ってます。最後のソロはどんなに長くてもいいから綾華さんがこれからどう生きていきたいか? 何を大切に生きたいか? を思う存分イメージしてやり切ってください。その為の4曲なんで」と伝えた。

綾華さんへの希望を伝えて、では私はどう向き合うか。「長田に港なんてあったんだ〜」と言ったけど「満月の夕」に【風が吹く港の方から】という歌詞があるじゃないか。歌の景色をリアルに感じて落とし込む為にもう一度長田の町を歩いた。

避難所近くの公園で
トンビにパンを投げてあげてるおばさんがいました

避難所の跡地はアグロガーデンに。そこから港はすぐ近くで、火災が広がった場所も近い。【風が吹く港の方から焼け跡を包むように脅す風】という歌詞の意味を噛み締めた。風に乗って火事で焼けた跡の匂いがするということか。【星が降る満月が笑う】は町が焼け野原になって灯りが消えたから星が降るように満月が光って見えるのか。そうやって自分の足で歩き、ひとつひとつの歌詞を感じとっていく。

避難所跡地のアグロガーデンで。

その後、たまたま西元町の花森書林に立ち寄った際にこんな本を見つけた。

500円で販売していました

震災が起きた1月17日から1月24日までの1週間の新聞をまとめた本。震災当時は新聞を読めてたのかどうかも覚えてない。ページを開くと何が起きているのか記録された記事が並ぶ。

震災当日の号外

自分事として落とし込み、被害が大きかった場所に立つような気持ちで歌う事に挑戦しようと購入。そんな想いを花森書林のしんちゃんに話したら「それは伝わりますよ! 影ながら応援してます」と言ってくれた。

満月の夕の練習をする際、私はこのページを眺めながら歌った。

1月24日の18面19面

震災から1週間後までに判明した死者のリスト。ひとりひとりの名前と年齢が書いてある。年齢が書いてない人もいるし、30くらいとハッキリわからない人もいる。ひとりひとりの名前と年齢を見つめてから顔を上げて歌った。ここまでくると、もう坊さんというか、鎮魂や神事に近くなってくる。ライブハウスで歌うのだけど、私の中ではもう神事になっていて、そういう気持ちで歌う覚悟ができた。綾華さんとの打ち合わせで衣装を白黒で合わせようと話していたが、「私は全身白でやります」と宣言した。

当日JR舞子駅で綾華さんと待ち合わせて高速バスに乗り、淡路島洲本へ。到着後、洲本の海に行って土地へのご挨拶代わりに歌った。

綾華さんが撮ってくれた。まるで八重山の神司。

発声練習も兼ねて歌っていたら、途中から綾華さんもバイオリンを持ってきてくれて一緒に演奏した。海岸を散歩していたご家族があたたかく私たちの演奏を聴いてくれた。

会場に到着してサウンドチェックをして本番へ。出番の扉を開けると、神戸の友人の顔が真正面に見えて驚いた。また最近知り合った明石の方も会場に来ておられた。ビックリしたけど一気に安心してリラックスできた。

友人が撮ってくれた写真

照明に照らされて会場の中は何も見えない。淡路島の海を眺めながら歌った景色と水平線、長田の町の焼け野原と地平線、阪神大震災で亡くなられた方々のページをイメージしながら「満月の夕」と「悲しくてやりきれない」を歌い、「ena」と「喜喜」はひたすら希望や自然讃歌、愛と喜びに満ち溢れるようにのびのび歌った。「喜喜」の最後のバイオリンソロ。綾華さんが今までで1番長い尺で弾き切った。

笑顔で煽る私とバイオリンソロ中の綾華さん

綾華さんがどんどん自分を出して弾けば弾くほど嬉しくなって「いいぞー! もっとやれー!」とバッキングギターを弾いた。

ステージが終わって、よく考えたら「届け淡路島から能登半島へ」なのに阪神大震災のことばかり考えていたなと思った。だけどそれでよかったのかも知れない。「みんなが被災したんだし、うちは被害が少なかったから…」と思っていたけど、自分が思っていた以上に傷ついたり不安だったり怖かったり申し訳ない気持ちでいたことに気づけた。29年の時を経てしっかり見つめ、受け止めること。それを音楽に乗せることが、自分を癒やしてるようで誰かを癒し励ますことにつながるのかも知れない。音楽で誰かを救うということは、そういうことなのかも知れない。

約20分のステージにいろんな想いを乗せたけど、それが伝わってるかはわからない。私だけ知っていたらいいことかも知れない。でも、この日の記録として残しておく。


こちらのチャンネルで当日のライブの様子を視聴できます。

2時間50分50秒あたりから3時間12分までが吉田峰子と永野綾華のステージです。名前のリンクで飛ぶことができます。

(2月18日 追記)
ライブ後に読売新聞の方から取材を受けたのですが、2月16日の読売新聞の朝刊の淡路島地域版に掲載されました。とても丁寧に取材や内容の確認をしてくださり、思っていた以上に大きく掲載されました。改めて皆様ありがとうございました。


またチャリティーライブの翌日2月13日にさっそく主催者の植田さんが義援金を入金してくださいました。皆さまご協力ありがとうございました。

淡路島から能登半島へ届けました

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