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【なぜカンボジアにいるか】生い立ち(20代)

過去に受けたインタービューなどの原稿等を見返していたら、自身の学生時代〜カンボジア渡航を決めるまでに何を考えていたかについての詳細を書いた原稿があったのでストックしておきます。

当時は2016年で27歳だったと記憶してます。

峯島さんの20代について教えて下さい!
私は静岡県出身で、都会である東京への憧れがありました。大学選びは、山手線の線路内にあって4年間そこに通える、ということを第一の条件に志望校を選びました(笑)。それが立教大学でした。在学中は自身が社会学を専攻していたこともあり、「アタリマエを疑う」ということをテーマにしていました。当時は、自分の中で無意識に持っていたアタリマエが壊される感覚というのを大切にしていて、それによって自身の思考の選択肢を広げていきました。それを自分の中では成長と定義していました。
 
高校時代に修学旅行で初めて海外に行った時のワクワクする感が忘れられず、大学時代は長期休みのたびに海外旅行をしていました。結果として11か国をバックパッカーとして回りました。バイト先も外国人が多く来るような立地を選びました。異文化に触れることは私にとっては「アタリマエを疑う」ための最良の手段であり、大きな成長になりました。
 
しかし数回の旅行で気づいたことは、旅行者である限り自分はいつまでも部外者であるということです。自分が成長を感じられる海外の環境に、部外者として関わるのは少し物足りなく感じました。また、将来は海外で働きたいと漠然と考えるようになったことから、大学3年の一年間を休学して、上海でインターンをしました。中国では様々な人から刺激を受け、今後も海外と関わっていくという意志を固められた半面、自分の力不足も感じました。そこで、残りの学生生活では語学を中心に日本でできることをして、力を養うことにしました。就活後には仲間とともに就活支援をする学生団体も立ち上げました。
 
大学を卒業し、就職してからはアジア担当の部署に配属になりました。1年目から国内外への出張も多く、やりがいをもって仕事ができました。体力的につらい時期や思い出したくないような失敗もありますが、それらを糧にして取り組めたと思います。しかし、次第に「会社の看板だけではなく、自分自身を試してみたい」と思うようになり、またアジアの新興国の活力を見るにつけ、その思いが強くなりました。
 
その頃ちょうど、あるテレビ番組の特集で、カンボジアでゼロから事業立ち上げの機会があることを知りました。その番組を観てから、気になって気になって毎日脳裏から離れなくなりました。「こんなに気になるなら、一度行ってみないことには後で後悔するな」と思い、カンボジアへの移住を決めました。社会人3年目の終わり、26歳の時です。移住後はすぐに現職にて流通・卸事業の立ち上げをし、紆余曲折を経て今に至っています。

考えは日々更新されていくし、過去の記憶はその時に残しておかないとリアリティが失われていきますよね。もっと残していきたいと思います。

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