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俺たち一生野球部。~2年生編~

 この物語はノンフィクション物語。一部コンプライアンス的な問題も含まれるかもしれないので登場人物、地名、校名等は一部変えて掲載させて頂きます。
~1年生編筋書~
 超田舎の中学から高校野球部に入部した僕。家庭やチームメイト、監督など様々な問題がでてきます。けして強豪校ではない高校が注目校になるが事件発生。1人の野球部が巻き起こす、問題児でムードメーカーの僕も1年生をまとめることができるのか。1年生ならではの苦悩や現実を見つめながら成長する物語。 

1年生編おさらい
 1、最恐の監督・最高の仲間との出会い
 2、新人監督と文武両道
 3、睡眠時間4時間と職務質問
 4、親の涙とチームメイトの涙
 5、新チームとホームラン
 6、2年生VS1年生
 7、地獄の100本ノックと涙の別れ

1年生編はこちら
俺たち一生野球部~1年生編~


~2年生編筋書~
 新しい監督は甲子園出場経験のある指導者。練習内容の変化。3年生引退後の新チームは最強&最高のチーム。いよいよ最後の夏が始まる前に大事件。チームはバラバラに。野球部は継続できるのか。

1、新監督と新入部員

 4月になり俺たちは2年生となった。新入部員の1年生は4人。情けないが強豪校でもないのでそんなもんだった。結局雑用は1年ですべてできないので俺たち2年はまた雑用もする毎日だった。

 そして今日は新監督就任の日。数年前、同県の違う学校で監督をしていた時甲子園にも出場したそうだ。いったいどんな練習をするのか、俺たちと合うのか不安とワクワクが入り混じる。
 登場した監督はポッチャリ体系の怖そうとも見えるようなほんわかしてそうとも見えるような何とも言えない監督だった。
 さて、どんな練習方針でくるのか。


2、練習内容の変化とバイク通学

 さっそく練習方針が告げられる。

「野球の基本はキャッチボールと体の使い方。バッティング練習や守備練習も大事だか基礎が一番大事である。そこに時間をたくさん使う。そして、ダラダラと長い練習は意味がない。短時間で集中して取り組む。そしてゆっくり体を休める事」

 また全然違った考え方だった。いや基本の考え方は同じかもしれないが練習の比重が全然違った。
 まずウォーミングアップだが、今まではランニングとストレッチとダッシュ等で30分もかからないぐらいで終わっていたのだが、新監督はランニングの後のストレッチの仕方、ダッシュの仕方を大幅に変更したのだ。それがみっちり1時間はかかる。

 そしてそこからキャッチボールをするのだがキャッチボールの種類が半端ない。通常は近距離からだんだん距離を伸ばして遠投まで行って、最後はクイックでキャッチボールぐらいだろう。
 新監督はその3種類に、4種類のキャッチボールのやり方を追加してきた。そのキャッチボールにもまた1時間とかかるのだ。

 ウォーミングアップとキャッチボールで2時間以上もかかりやっとバッティング練習になるのかと思ったら守備練習。さらに外野も内野に入らされ永遠とボール回し。またキャッチボールだ。30分ほどボール回しをさせられてノック開始。
 ノックの仕方が全然違った。テンポも速いしどこに来るかもわからない。実践に近いノックだった。その高速ノックは30分も経たずに終了した。
 そこからバッティング練習が始まるのだがこれも実戦形式だった。ランナーがどこにいてどんな場面だからどんなバッティングをするとか考えなくてはならない。自分で考える野球だ。

 全然練習内容も違ったのだが当日練習が終わったのは19時前だった。

 少し前まで23時頃までしていたのにそんなに早く終わったら違和感しかない。

 俺は自宅が遠い為2年生からバイク通学だった。帰り道がいくら上り坂であろうとバイクで帰れば30分とかからない。朝練もなくなったため7時に起きたら十分に間にある。4時間しかなかった睡眠時間が余裕で9時間ぐらいとれるようになったのだ。


3、夏の大会と新チーム

 短時間の練習が続いたが、内容は濃いと実感しだしたのは試合を重ねてからだった。甲子園出場経験のある監督だけあって県外にも知り合いの監督が多かったため遠征が多かった。甲子園常連校と練習試合をしたり、強豪校との試合が増えたのだが遜色ない試合が出来ていた。

 3年生にとって最後の夏だ。予選から俺たち2年生もレギュラーとして多く出場していた。俺もその1人だったが途中で交代もするし調子次第だった。

 2回戦で負けてしまったがこの予選を経験できた2年生はたしかな手ごたえを感じていた。引退した3年生は毎年監督が代わったわけで、3人とも練習内容や取り組み方が違って戸惑った部分もあっただろうしそこは少し同情したが、俺たちの時代だ。


4、秋季大会と過去のトラウマ

 3年生が引退後、早速秋季大会が開催される。ここで俺たちはベスト8まで進んだ。A校として十数年ぶりだったのだ。この秋季大会の結果で春の選抜に選ばれるチャンスでもあったわけだが手が届かなかった。

 しかし、監督から朗報が。21世紀枠に申請したそうだ。部員が少なく、生活態度や野球の態度が見本になるようなチームが選抜に出場できるのである。その最低条件として秋季大会ベスト8だった。

 決まったわけでもないのに俺たちは歓喜した。甲子園で野球できる。一生懸命取り組んだ成果がでたと思った。


 が、そう簡単には受からなかった。その原因が俺らが1年生の時に起した喫煙問題だった。ぐうの音もでなかった。
 自分たちの犯した問題は1年以上たっていても取り返しのつかない行動だったのだ。まだ野球生活が終わったわけではない。最後の夏に向け冬練とはいっていくのだった。


5、地獄の冬練と修学旅行

 冬練が始まったが基本の練習は変わらなかった。ウォーミングアップとキャッチボールに時間を費やし基礎能力のアップだ。あとは実戦形式で応用力を強化する。
 前年に比べると時間も短いしキツさは少なかったのだが、思い切りバッティングや守備練ができるわけではないので野球部らしさがなくなる練習が続く。 

 しかし、2月になると修学旅行の季節になる。キツい冬練を少し忘れ東京を満喫する予定だ。


6、事故とやぶ医者 

 修学旅行出発の3日前、いつも通りにバイク通学していた俺の目の前に1台の車が飛び出した。
 正面衝突だった。意識もあったし体の傷も見当たらない。少し膝がいたかったがすぐに起き上がることもできた。ただし、バイクはボロボロで動きそうにはなかった。
 相手はかなり焦っていたが俺は落ち着いていた。むしろ学校に何て言おうか悩んでいたぐらいだ。
 なぜなら、2年前に同じくバイク通学生が事故を起こしていて、次に事故があった場合は全員バイク通学を廃止することが決まっていたからだ。

 とりあえず、学校には道路が凍っていてすべったということにして、警察にも連絡はしなかった。たまたま通りすがりの人に学校まで送ってもらうことにし普通通り通学した。

 膝は少し気になったが午前中の授業を受けて午後からは練習に参加するつもりでいたらチームメイトに病院を勧められた。痛さはあったが念のために見てもらうこととなりおかんに連絡して高校の近くの病院に向かった。

 レントゲンや触診をされた結果特に異常はなし。サロンシップが出されただけだったので安心しチームメイトに電話。

「やっぱり何もなかった。サロンシップで終わったわ。今から練習行くわ」

「よかったな。車と正面衝突してどんな体だ!?病院どこにいった」

 チームメイトには事故の事を話していたので無傷が信じられなかったようだ。病院名を伝えると

「そこはやぶ医者で有名ぞ。K病院に行ってこい。そこで何もなければ練習来たらいいじゃん」

 そんな言葉は半信半疑だったが確かに痛さは一向に引かなかったのでおかんにK病院まで送ってもらい診察を受けた。

「左膝靭帯の損傷です。今すぐ入院してください。よく歩けたね。」

 俺もおかんもあっけにとられた。さっき違う病院で何ともないって言われたばかりなのに、薬や通院で治すとかじゃなくて入院???今すぐに???いや、もうすぐ修学旅行があるんですけど??花の都東京が待っているんですけど??

「修学旅行??そんな足で行けるわけないでしょ。とにかくすぐ入院して内視鏡で見るから。そして靭帯断裂なら手術。損傷ならリハビリ」

 もう頭ではついていけなかった。とりあえず、内視鏡を膝に入れるから検査入院してくださいってことはわかった。その検査の日が奇しくも修学旅行出発の日だった。


7、入院生活と汚れた白球

 チームメイトにすぐ連絡した。
「とりあえずしばらく入院らしいから修学旅行は行けない。お土産よろしく」

「野球はできるんだろ?」

 そういえばそのこと何も言われなかったな。検査した後にでも聞いてみよう。
 検査当日の朝7時前、下半身麻酔をするために浣腸をして我慢をしている時にチームメイトから連絡があった。頑張ってという連絡かな?ありがたい。

「おう、野田。大丈夫か?こんな朝からよく起きてたな。俺ら今から出るから」

 なんだよ。心配の電話かと思ったら修学旅行に出発の報告だった。こっちは浣腸で我慢してるってのに嫌がらせかよ。

「俺も今から出るっつぅの!!クソがな!!もう限界!楽しんでい」

 限界だった俺は早々に電話を切りトイレに向かったあと、そのまま手術室へと向かった。その日の検査は無事終了し、次の日、診断結果と今後の事を聞くために医師の問診へ向かった。

医師「診断はやはり、靭帯損傷だったよ。損傷と言っても傷がついているわけではなくて伸びてしまっているんだ。これは戻らないからその付近に筋肉をつけてカバーする。しばらくは器具をつけてリハビリをしましょう。1週間ほど入院したら退院していいよ。リハビリには通ってもらうけどね」

「戻らないってもう走ったりできないってことですか??」

医師「いやそういうわけではない。普通に走れるようになるし問題ないよ。ただ、リハビリをしっかりしないといけない。器具は若いし、3カ月ぐらいで外れるんじゃないかな。外れてもしばらくは走らないほうがいいけどね」

「走らないほうがいい??俺、野球部で今年最後の年なんです。7月には大会があるんですけど間に合いますか?」

医師「7月かぁ走らないほうがいいね」

「走らないほうがいいってことは走ってもいいってことですか??」

医師「いや走らないほうがいい」

「走ってもいいってことね!!大丈夫走るから!!」

医師「走ったらダメ!悪化もするし最悪ずっと悪くなる可能性もある」

 1時間近く押し問答が続いたが結局ダメだった。大会には間に合わない。小走りくらいならできるかもしれない。勝ち続けて甲子園まで行けば走れるかもしれないってことだった。
 高校球児にとって最後の大会に出れないってのは死刑宣告と一緒だ。病室のベットでただただ天井を眺めていた。
 修学旅行に行っているチームメイトからメールが来るが返す気にはなれなかった。けれど心配させてしまうかもしれないと思って当たり障りないメールを返信する。

 修学旅行が終わった次の日、野球部の部長であり、担任の先生がお見舞いに来てくれた。修学旅行の話は全然なく、野球の話と俺の状態の話ばかりだった。先生なりの気遣いだったのだろう。

「部長。みんなには言わんでほしいんですけど、足の状態は良くないみたいです。夏の大会には間に合わないって。すいません」

 1年生の頃から担任でずっと野球部の部長だった先生にもさすがにかける言葉が見つからなかったようだ。しばらくの沈黙が続いた。

先生「野田はどうするつもりだ?」

「間に合わないなら辞めようかと考えています。」

先生「ダメだ。お前は辞めちゃいかん。とにかくみんなには黙っといてやるから監督に話してみろ」

 そんなこと言われても自分でもどうしたらよいのかわからない。辞めたくなんかないし、今すぐにでも野球がしたい。次の日、チームメイトで二遊間を組み続けてる奴がお見舞いに来た。

「おう!大丈夫か?どうせ退屈してんだろ?野球ボールもってきてやったよ」

「ボールって1人でなんもできねぇよ。しかもボールボロボロじゃん」

 よく見ると文字がたくさん書いていた。寄せ書きのように色んなメッセージだ。感動しそうになったが何かおかしい。
 全部同じ字だった。

「これ全部お前の字じゃね?しかも普通こういうのって新品のボールに書かねぇ?」

「お!?バレた?時間なくてみんなに書いてもらえなかったから来ながら車で全部書いた。鞄にそれしか入ってなかっただ」

 なんだか久しぶりに笑った。本気で言ってたんだろうが、俺には最高の冗談に聞こえた。1年生からずっと二遊間を守ってきたこいつには本当の事を言っておこう。そう思った。

「そうか。間に合わないか。それでも俺はもう一回野田と二遊間したい。夏の大会勝ち進めば進むほど出れる可能性あがるんじゃろ?なら勝つしかね~じゃん」

 二人で泣いて、笑って、前向いた。やっぱりこいつと二遊間コンビやるしかないって思えた。けど、辞めるか悩んでいるのは言えなかった。


8、再会とチーム崩壊

 退院して監督のところに挨拶にいった。足には巨人の星ばりの金具が取り付けられていて歩きづらい。まるでロボットのようだ。

「監督、ご迷惑をおかけしました。退院しました。けど、、、夏の大会には間に合わないようです。」

監督「おかえり。そうか、、、野田はどうするつもりだ?」

「悩んでいます。みんなと野球がしたい。けど歩くことも走ることもできない。つらいです。正直、辞めようと思っています」

監督「よし、続けろ。やめるなんて認めん。全力で走れなくてもいい。どんな場面になるかはわからないが、必ず試合で使う。それまでみんなを支えてやってくれ。お前にしかできん」

 監督と二人でこんな話をしたのは初めてだった。やるからには全力でやる。前の監督が教えてくれたことだ。全力でリハビリして、全力でみんなのサポートもする。そして、絶対間に合わせてみせる。そのまま、部活中のみんなの所にいった。

「みんなごめん。ちょっと怪我が長引きそうだけどすぐ治るみたい」

 俺はみんなに嘘をついた。真実をしってる二遊間コンビの相方は複雑そうな表情だったが黙っていた。ただ、みんなが心配していてくれたのは十分に伝わってきた。試合に間に合うことも安堵してくれていた。

 リハビリ生活と、上半身の筋トレ中心の部活。足の器具はついたままだが歩くのに支障はない。意外と早く治るんじゃないかとも思えていた。
 ある部活の日、雨の為室内練習。階段ダッシュと筋トレ。みんなキツそうだった。俺もあんな風に走りたい。出来ない自分に対してと練習に参加できない申し訳なさでイライラが募る。
 けど、それ以上に退院してからみんなを見てきたがどうもやる気がないように感じていた。
 そんな予感は的中。監督がいないとサボっている奴やごまかしている奴がいて、完全に士気が下がっていた。

相方「野田、みんなやる気ないだろ?お前が入院した2週間ぐらいでこのざまだ。誰が悪いとかじゃないけど、やっぱりまとまりがなくなってる。まぁ冬練が終わって試合ができるようになったら変わるんだろうが、今が大事なんだよな。ムードメーカーのお前がいないってことはこう言うことだ」

 もしかしたら、俺が辞めようか悩んでいたのはこいつにはバレていたのかもしれない。てか俺がそんなムードメーカーだったのも理解していなかった。そして、こんな雰囲気であることは監督も気が付いていたようでいよいよ我慢の限界だったようだ。

監督「集合!!お前らちょっと気が緩んでる!!やる気あるのか??春から3年、あと半年しか野球できないんだぞ。お前らだけで話し合いしろ!!」

 2年生だけが教室に集められ今後について話し合うこととなった。

 真っ先に出てきたのはやはり、練習に対しても不満だった。それと同時に秋季大会で好成績を残した変な自信が気のぬけた練習に繋がっているのがわかった。たしかに俺も調子にのっていたし夏の大会も本当に勝てる気しかしていなかった。たかがベスト8でだ。
 そんな調子にのった奴らのまま楽しくはない冬練は愚痴もでるのはわかる。けど、俺からしたら野球ができる、いや、走れるだけでうらやましかった。
 話し合い中ずっと黙っていた俺に意見を求めてきたのは相方だった。

相方「野田はずっと黙ってるけどどうなん?見ていて何も感じない?」

 こいつが俺に言わせたがっている事はすぐに察しがついた。二遊間でコンビを組んできた阿吽の呼吸ってやつか。いつもならおちゃらけてごまかすところだが思っていたことを素直にしゃべった。

「うん。そだな。俺から見ていても少しやる気は感じられない。練習がきついのはわかるし、俺も1年生の時一緒にサボったりしてたしね。けど、俺はお前らがうらやましい。俺は走ることもできない。走れるだけでうらやましい」

相方「ほかにも言うことあるんじゃねーの」

「そだな。これは言うつもりなかったけど、この際だから言うわ、、、、俺は夏の大会までに足は治らない。だからみんなと野球もできないし、引退したようなもんだ」

 みんな驚いていた。

「黙っていてすまん。言葉にすると俺も認めたみたいになりそうで。まだ夢なんじゃないかとか、すぐ治るんじゃないかって期待しちゃってる」

 この時点で俺は溢れる涙を我慢できなかった。相方も泣いていた。

「すまん。なんか変な空気にした。大丈夫!辞めたりもしないし、俺なりにできることするし、みんなには1試合でも多く勝ってもらいたい。甲子園までいったら俺治ってるから」

 もうみんな涙でぐちゃぐちゃだった。俺もなんとか声を出してみんなのことを鼓舞してみた。 
 元々野球が大好きな奴らが集まっているんだ。やる気スイッチが入るのはすぐだった。気が付けば「野田の為にも絶対甲子園」「一試合でも長く」そうみんなで叫んでいた。

 やっぱりこいつらは最高のチームメイトだ!!


3年生編へつづく

~3年生編あらすじ~
 チーム一丸となった最後の年。県予選が始まるが怪我から復帰できるのか。また、甲子園への夢は叶うのか。俺たちはやっぱり最高のチームだった。

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1人で開業して、ずっと独身生活を送ってきたので全て1人でできると思っていました。しかし、従業員、嫁に支えられ、今では子供にも支えられている気がします。1人の力には限りがある。1人でも応援してくれる人がいればずっと頑張れるんだと自覚しました。よかったらサポートしてもらえませんか。