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「ただ在る」ことの大切さ。

先日、関西学院大学准教授で社会学を専門とされる、貴戸理恵先生が書かれた「個人的なことは社会的なこと」という本を読んだ。

東京新聞において、2013年から今年の2月まで、8年間にわたり連載された時評をまとめた著書である。当初は「教育に関連して、子ども・若者、女性といった視点から書いてほしい」という大まかな依頼を受けたそうだ。

テーマは『教育(いじめ、体罰等)』『労働(非正規雇用、就職活動等)』『ジェンダー(夫婦別姓、結婚制度等)』など多岐にわたり、記憶に新しい時事問題が多く取り上げられている。

貴戸先生の考えや主張には共感するところが多く、また「そんな視点からも物事を捉えられるのか」と何度もはっとさせられた。これから数回にわたって、本著から私なりに考えたことを書こうと思う。

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今回は『「ただ在る」ことの大切さ』(p.113-114)という節を取り上げたい。

貴戸先生によると、子供・若者にとって、何かをする「ための」場所が増えている一方で、「ただ在る」ことの価値がおとしめられているという。

例として、大学の授業には飽き足らず、留学やボランティアなど「何かをしなければならない」という焦燥感に駆られる大学生が挙げられていた。

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これに関連して、友人とのこんな会話を思い出した。

その日、彼女は午前中にゼミの発表があり、おそらく前日も遅くまで用意をしていたのだろう、かなり疲れている様子だった。

気分転換になればと思い、昼食に誘うと

今疲れてるから、意味ある議論とか話題を提供できないと思う。ごめんね...

と言われた。「そんなこと全く気にする必要ないよ!」と返し、一緒にご飯を食べたが、さっきの言葉はどういう意味だったのか...と少し気になった。

別の機会に同じ友人と話していると、こんなことを言っていた。

実は誰かとだらだら話してる時、今この時間があればもっと勉強できるなとか思っちゃうことあるんだよね。誰かと話してる時、相手に何かを与えなくちゃって思う。

彼女のこれまでを聞くと

実家には祖母が居て、幼少期から多くの時間を共に過ごしたという。そのため、昭和を生き抜いた祖母の価値観から受けた影響は大きいと、本人も自覚している。

「家や近所に恥をかかせちゃいけない」と家には良い成績を持ち帰り、学校でも「先生の期待に応えなければ」と良い子であり続けた。

高校、大学も体育会系の部活動に入り、練習や試合の度に「自分の何が悪かったのか?」をひたすらコーチや先輩に聞いて回らなければならなかったという。負けるのは自己責任

目に見える成績、勝つことが評価される世界...

そんな生産性ばかりを求める社会は、彼女に「常に"何か"を生み出さなくてはならない」というプレッシャーを課し、「何もしなくて良い権利」を奪ってしまったのかもしれない。

私は彼女に「ただ一緒に居るだけで私はうれしいし、あなたの存在自体が私にとって最高なんだ」との旨を伝えたが、ちゃんと伝わったのだろうか...彼女にとって、少なくとも私は「ただ共に在れる」そんな存在になれたら良いな。

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自身の経験を振り返ると、学生時代、私が学校に行く理由はいつも「友達に会えるから」だった。皆とただ、だらだらとあれこれ話す時間が好きだった。そんな時間があったから、辛い受験も就活も乗り越えられたのだと思う。

家族の場合もそう。利害関係を超えて、何の目的もなく、ただ一緒にいることが「許されている」からこそ、家族の元で私はありのままでいられる。

そんな友達や家族に出会えた私は、ただただ恵まれている。学校でも家庭でも、ただ在ることを「許されず」に、安らげない若者は大勢いる。

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近年若者支援の領域では、就学や就労といった「目的」を強制する支援とは異なる「居場所支援」というアプローチが注目されている。

貴戸先生の次の言葉には全く共感する。

子ども・若者には「何の目的もなくただそこに居て、話に耳を傾けてもらい、目的や能力にかかわらず存在を認めてもらう」場所が必要だ。なぜなら、多くの子ども・若者は「私はこれをしたい」という目的・ニーズを、あらかじめはっきり持っているわけではないからだ。
そしてそのような個人の目的・ニーズは「ただ在る」場や関係のなかで、ふとしたきっかけや偶然の積み重ねによって、形成されていくものだからだ。

彼女の言うように、目に見える成果や目的、利害関係によらず、「ただ在ること」を容認する「居場所」が全ての子ども・若者にとって必要である。

「全ての」というのは「出自や家庭環境に関わらず」という意味。その点で、若者支援として居場所作りを公的に推進することには、大きな意義があると思う。

でもまずは、自分にできることを。

まずは、身近な友人や家族、大切な人達と。横にいるだけでほっとして、何もしなくても良いと感じられるような...

「ただ共に在れる」関係性を築いていきたい。

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参考文献:貴戸理恵. 2021.「個人的なことは社会的なこと」青土社.

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