デンマークの若者の「生きづらさ」 ー 成果主義(præstationskultur)
日本の若者の「生きづらさ」とはどういうものか、まだまだではあるけれど、一当事者として、そして現場から、少しずつ実感している。
じゃあデンマークの若者の「生きづらさ」って?それを実感するのが、今回デンマークに来た一つの理由でもある。このテーマについて、気づいたことを少しずつ書いていきたい。
今回は成果主義(præstationskultur)について。
先日、お世話になっている方から『成果主義が学校を占領してしまった』という題の記事を共有していただいた。とても興味深かったので、この記事の内容をまとめてみたい。
まず記事では、デンマークの若者の現状として、以下のようなデータが示されている。
こうした現状は、単に現代の若者は脆くなったというわけではなく、その背景には成果主義が関係しているという。
これについて『成果主義』の著者である、オルボー大学のAnders Petersen准教授とSøren Christian Krogh研究員の見解が続く(以下記事からの抜粋)。
また、成果主義と競争の関係について以下のように述べている。
筆者らは、学校だけでは社会に蔓延する成果主義を抑制するのが難しいとしながらも、学校は大きな役割を果たすとしている。
ここからは少しだけ私の感想を。
日本ではもうずっと前から、この成果主義が学校教育を当たり前のように占領していて、多くの若者が今も苦しんでいる。
さらには、学校以外の場所 ー 家庭・塾・習い事の場でも、常に成果を求められ、評価に晒される。『物理的にも精神的も評価を求められない空間』が社会にほとんど存在しない。
一方のデンマークでは、19世紀のグロントヴィから始まる「人間形成」(dannelse)に基づく教育が伝統的に重んじられてきた。つまり、成果が数値化できるテストによる評価よりも、目に見えない個々の人間的な成長の方が大切にされてきた。
しかし、そんなデンマークもグローバル化の波に呑まれ、より学力志向の教育改革が行われるなど、伝統的な教育の価値観が大きく揺らぎつつある。
もしかすると、日本よりもデンマークの方が、この新旧の価値観のギャップが大きいこともあって、若者に大きな打撃を与えているのかもしれない。
そして、だからこそ『物理的にも精神的も評価を求められない空間』として余暇施設、エフタスコーレ、フォルケホイスコーレなどの伝統的な教育の価値観に基づく場の重要性が再認識されているのではないだろうか。
日本でもデンマークでも、若者たちは現代に生きている限り避けては通れない成果主義から生まれる「生きづらさ」を抱えている。
ただその「生きづらさ」に社会として対応できる土壌があるか(そもそも対応する気があるか…)は両者で異なる点だと考えさせられた。
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