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東畑先生の居るのはつらいよから考える配信者へ向けた言葉

スプーン界のスクランブル交差点,占い屋はると申します。
今回は東畑(2019)の居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書を読み終わったので感想がてら、配信者が疲れて去ってしまう現状について書いてみます。

前半は本を紹介しながらケアとセラピーについて
後半は配信アプリにおける配信者について

◆こんな人におすすめ
・ケアとセラピーについて知りたい人
・配信を続けていくことに疲れた人
・SNS上に居場所を求めている人

元々はメンタルクエストでケアとセラピーの違いについて詳しく知りたいならこの本がおすすめですよ紹介されていたのがきっかけでした。

そもそもどんな本なのか?

この本は精神科デイケアに勤めていた作者が書いたケアとセラピーの違いについてまとめた本です。

当時勤めていたデイケアの日常を描いているエッセイのように見えるけれど、実はすべてが一つの結論につながっていて、間違いなくケアとセラピーについてまとめた学術書でした。

デイケアという存在は聞いたことがあるもののどんなものかを知らなかったのですが、読み進めていくうちにspoonに、それも特に悩み相談カテゴリと似ているなと考えるように。

先にケアとセラピーの違いを作中から引用すると、

ケアは傷つけない。ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。
セラピーは傷つきに向き合う。ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、そして成長する。

上記のように定義されています。ただしこれは明確に分けられているものではなく、成分みたいなものでどちらが多く存在するかということにも触れられています。

少なくとも東畑先生が務めていたデイケアで求められているのは、ただ居ることであり、ケアを求められていたようでした。決して傷つけず、居場所を提供し、居てもらうことを目指す。

利用者もスタッフもそこに「いる」ために「いる」のです。だからこそデイケアは変化しないし、同じ時間を繰り返し続けるのです。もし変化してしまったら、居場所ではなくなってしまうから。

「いる」ということに耐えられなくなった利用者もスタッフも去っていく。去っていけば新たなスタッフがやってきて居場所を継続し続ける。そして利用者はまた「ケア」を必要としたときにデイケアに戻ってきます。


これはspoonの特に悩み相談カテゴリに当てはまると感じています。

配信アプリに来る人は安心できる居場所を求めていて、特に悩み相談カテゴリを利用する人たちは傷つかないことを求めています。
別にアドバイスや否定は求めていなくて、ただいることを認めてほしい、そして傷つけないでほしいというニーズを持っています。

それでも配信者側はデイケアでいうところのスタッフで、「いる」ということ、変化しないことに耐えられなくなった配信者が去っていって、新たな配信者がやってきます。

少なくとも配信者は人間です。人の願いを誰彼構わず引き受けれるような存在ではありません。

だからこそニーズを満たし、支え、依存を引き受けることはできません。

そう言い切ることはリスナーからすれば裏切られたようなもので、さらに配信者が去って新たな配信者が現れるということはデイケア自体が変わってしまったようなものでまた傷つき、しんどくなっていくのかもしれません。


SNS上でケアを求めることはとても難しいことで達成することは非常に困難でしょう。
少なくとも自分は毎日同じ時間に配信をすることによってケアという側面を提供しているかもしれません。でも自分が提供できるのはセラピーの部分です。

そして配信者さんへ

東畑先生は最終的にデイケアに「いる」ということに耐えられなくなり、辞めてしまいます。それでも時間がぐるぐる回り続けてめぐり続けます。

配信者だってそう、しんどくなったら休んでいいし、ケアを引き受け続ける必要はないと思います。

「いる」のはつらいけれど、時間はちゃんとめぐり続けているよ。


引用文献

東畑開人(2019).居るのはつらいよ ケアとセラピーの覚書 ,P276, 医学書院


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